第6話

 雨風を凌ぐため、全力疾走で光が差す場所を目指していくと町が見つかった。

 以前、拉致られたところを田舎風の村と例えた場合、こっちは大勢の人が住み、明かりが照らし、繁盛している店があり、賑わいがある。だったらそれはもう、町と呼んで差支えないだろう。

 ここならば、俺と瑠璃が今晩隠れ潜める場所なら一つや二つぐらいはあるはずだ。

 まだまだ活気づいている町には、異世界人の笑い声や怒号が飛び交い、雨の夜を賑わしている。

 こいつらの目を盗んで移動し、適当に明かりの灯っていない倉庫のような建物に押し入り、その中で一晩を過ごすことにした。


「ここならしばらくは安心だろう」

「……さむい」


 ここまで来る過程で随分と雨に濡れ、身体を冷やしてしまった瑠璃は小動物の丸くなっていた。


「これでも羽織っておくといい。濡れてはいるが、ないよりはマシだろう」


 雨合羽代わりに使っていた外套を瑠璃に手渡す。


「私よりも兄さんの方が濡れているわ。ね、一緒に使いましょう。そうしたら、私も兄さんも温まるわ」


 外套を手にした瑠璃は俺の側で、懇願した瞳で見つめてくる。


「それに、兄さんの側じゃないと落ち着かないわ。こんな世界なんだもの兄さんが近くにいてくれないと不安なの。お願いよ。私から離れないでね」

「瑠璃を置いてなんて、どこにも行きやしないよ。だから、いまはゆっくりと休んでいるんだ。俺がしっかりと見張りをやっておいてやる」


 俺の隣に座り込んだ瑠璃は肩に身を寄せてくる。やがて、上昇した体温が瑠璃に心地のいい睡魔を与え、夢の中に入り込んだ。

 みずみずしく照らされている瑠璃の髪。ながく綺麗な髪は水分を吸っており、束になって顔にへばりついている。肩からずり落ちそうになる瑠璃を膝の上で寝かしつけてから、何故だか俺は幼い日々の頃を思い返していた――。


 瑠璃。お前はまだ覚えているだろうか。もしかしたら、その夢の中で再生しているのだろうか。

 親父の母。俺からすれば、祖母にあたる人で顔も見たことがないのだが、二代目は若くして、任務中に謎の失踪を遂げた。そのせいで三代目である親父、朽月宗玖(くちつきそ

 うきゅう)は満足な技術を身に付けることも叶わずに朽月を引き継ぐことになった。聞いた話では半端な実力しか備えていなかった親父は相当苦労したらしい。

 何をするにしても、先代との技のキレが違う。それは先代が朽月最強と謳われたことも関係しているのだろうが、それでもかなりの差があった。

 しかし、親父は拙い技を独自に鍛え上げ、先代との差を縮めていき、なんとか殺し屋業で飯を食いつないでいくことが出来ていた。

 この界隈でもトップクラスの実力を持つ朽月の殺し屋。俺たちと互角に張り合える殺し屋と言えば、溝杭(みぞくい)の殺し屋がある。そいつらとは長年の競争相手であり、最初は歴代最弱とも馬鹿にされてきた親父だったが、やがては相応の実績を上げて見返してやったことを自慢に語っていたことを覚えている。

 先代が生まれ持っての天才だとするなら、親父は努力の天才と言えるだろう。

 そんな親父が俺に殺しの技を叩きこみ始めたのは10歳の時だった。

 親父は俺に自分と同じ思いをさせたくなくて教え始めたのだ。嫌ではなかった。俺には守るべき存在がいたからだ。

 病弱で唯一無二の妹。瑠璃。

 この歳になるまでは、家の中で遊ぶか、体調がいいときは外に出て遊んだ。

 俺たちは二人で一人。

 片時も瑠璃から離れることはなく、当然学校なんてものにも興味はなかった。――あったのは力。

 何があってもいいように、瑠璃を守れるだけの力が欲しかった。せっかく、それを為し得るだけの最高の家業があるのだから、利用できるものは利用させてもらう。それがたとえ殺しであったとしても。

 俺の関心は親父の仕事にあったのだ。

 親父から技を教え込まれている間は、ただひたすらに打ち込んだ。守りたい人がいるから強くなろうと思った。たったそれだけが俺の原動力だ。

 暑い太陽の光が木々に生きる活力を注ぐある日。俺はいつものように親父にしごかれていた。

 その日は瑠璃も体調がよく、俺たちに付き合ってくれた。こういう日でもなければ、訓練が出来ないものだってあるからだ。

 一対多数の戦いを得意とし、隠密行動に特化した朽月の技術を鍛えるためには広い場所が必要であったため、人気のない山奥にまで足を運んだ。


「いつも通り、俺たちの手から無事逃れて、瑠璃を殺せたらお前の勝ちだ」

「今日こそは、達成してみせるから覚悟しとけよ」


 現朽月の継承者である親父に加え、同業者が五名。


「今回も朽月の技。拝見させてもらいますよ」

「昨今では珍しい武術と武器を巧みに操る影の殺し屋。俺の戦術がどこまで通用するか試させてもらいます」

「この界隈では名を知らぬほどの殺し屋。こうして訓練に付き合えることは実に光栄だ」


 この五人は、昔から朽月との関わりを持っている。まあ、古くからの付き合いがある商売仲間だ。

 一対多数の戦いを好む、朽月の訓練には欠かせない存在達だ。それに得をするのは、俺たちだけでなく、こいつらも伝統ある朽月を相手にすることが出来る。お互いに利点があって、付き合ってもらっているのだ。

 同業者たちは、いずれも銃を手にしている。拳銃、突撃銃、狙撃銃。

 得意とする得物を持ち合わせて、それぞれのスタイルで瑠璃を俺の手から守り切る。そして、親父は朽月の技術を駆使して、瑠璃を守る。

 俺の殺しのターゲットは瑠璃だ。こいつらの手を掻い潜って、瑠璃を殺すことが出来れば任務達成となる。逆に俺がこいつらに殺されてしまえば俺の負けだ。

 死ねば終わり。殺せば生き残る。分かりやすいルールだ。


「兄さん。頑張ってね! 私も殺される役を頑張るから」


 殺される役とはいっても、ただ親父たちから守られているだけのなのだが、瑠璃は機嫌が良さそうにしていた。大方、普段は外に出られない分。訓練の一環とはいっても俺と一緒に何かが出来ることが嬉しいのだろう。

 瑠璃はいつもそうだった。

 瑠璃の声援をもらい受けると、親父と同業者たちが森の中へと身を隠す。対象を探す索敵力を身に付けることも訓練の一環だ。

 しばらくしてから森へと追っていき、物音を立てずに親父の通ったと思われる痕跡を探っていく。足跡や木の葉の散ったあとなどを見ていけば、大体の位置は補足できる。

 相手は護衛対象である瑠璃を俺に殺されない様に、常に気を張っているだろう。慎重に進んでいくと、同業者の一人を見つける。

 現代の殺しでは銃器を使ったものが多い。この同業者たちも例に漏れることはない。

 朽月はあらゆる得物を武器とし、体術を駆使しながら音もなく殺しを済ませる。向こうは俺に狙われる側だから警戒も強いし、決めるのなら一撃で済ましてしまいたい。

 装備はボウイナイフと鎖鎌。本物ではない。訓練である以上は、ラバーゴム製で作られている。そして、銃にはペイント弾が仕込まれている。あれを喰らえば、俺の体に色が着いてしまいその時点で終了だ。

 木の上に登ると、葉っぱが多い茂っているおかげで多少なりとも姿をくらませられる。そこで、対象に近い木に鎖鎌を飛ばして枝に引っかける。

 まるで木々が鳴いているような音が木霊し、対象は手にした銃をそこへ向ける。同時に俺は鎖の部分にしがみ付いて、弧を描くようにして地面間近を滑った。

 完全に背後を取った状態となり、ボウイナイフで斬りつけた。

 一人倒したところでさほど時間も経たずにもう一人現れる。木々の乱れた音を感じ取って、駆け付けてきたのだろう。

 俺はすぐに木の後ろに隠れ潜んだ。

 あいにくだが、瑠璃の取り巻き風情には用がない。しかし、少しでも任務達成の可能性を上げるためには仕方ない。ここで殺しておいた方がいいだろう。

 警戒が強く、歩を緩めながら右へ左へと照準を合わせている。


 ――息を殺せ。

 生物としての存在を消し去り、自然と同化する。

 自分の呼吸は把握する必要はない。

 “無の境地”と呼ばれる、大技を出す前の精神統一のような物を行う。

 木から身体をさらけ出す動作でさえ、自分に意志が宿っているのか不安になるほど自然だった。

 すべての感覚を遮断しているという錯覚を感じさせ、構えたボウイナイフで走りだす。

 鮮血を開花させる瞬速の影。

 吹き荒れる血飛沫は花弁の意。

 朽月が代々伝える一なる秘義――。


 名を――“散華(さんげ)”


 閃光の如く走り抜け、逆手に取ったボウイナイフで人体の一部を斬りつける。そこに意志を持っての攻撃はない。高速ゆえに、無意識のうちに斬っている。

 事実、技の発動中に斬ったという自覚はない。感覚と引き換えに思い知るのだ。たった今、斬りつけたということを。

 この技の使用後には対象の背面に移動している。そして、背後から声もなく地面へと倒れ伏す対象者。それは振り向かせる間を与えずに、疾く斬りつけた結果を物語っていたに過ぎなかったのだ。


「こんなものか」


 二人の同業者を後にして、瑠璃を探し出す。

 こいつが来た方向に歩を進めていくと、ほどなくして親父と同業者三名が瑠璃を中心にして取り囲まれた現場を見つけた。

 一対四。

 朽月の神髄を見せる時だ。

 覚悟を決めて、鎖分銅で一人を昏倒させようとしたが、親父が阻止しに入って来る。


「あ! 兄さん、みーつけた!」


 何がそんなに楽しいのか、瑠璃は笑顔を振りまきながら指を差す。それを合図にして、三人の同業者がペイント弾を撃ってくるが、乱雑に生えた木が邪魔になっている。かえって、俺には都合のいい盾にもなっているのだが。

 らちが明かないと見た三名は追ってくるが、それこそがこいつらの誤った選択だ。


「馬鹿な奴らだ」


 木陰に身を潜め、中に飛び込んでくる対象者を待ち、姿が見えると同時に襲い掛かった。一人を鎌で斬りつけて銃を奪い取り、残った二人はペイント弾で終わらせた。

 観戦していた瑠璃は歓声を上げるが、気にしてられない。ずっと瑠璃の側で待機している親父へとすぐに矛先を向ける。

 強敵である親父はまず俺では倒せない。このルールは先に瑠璃を殺せたら俺の勝ち。

 狙うは瑠璃。だが、立ちはだかる壁は大きい。

 真っ向から突っ込んできた親父に対応するべく、ボウイナイフを構えたが――それは徒労に終わった。

 驚異的な瞬発力で、距離を縮められ、気が付いた時には後ろに親父がいた。


 “散華”


 遅れて、首元に摩擦熱による痛みが発生して俺は痛みでうずくまるしかなかった。



 気が付けばいつも帰りの車の中だった。

 小さい膝の上で寝かされていた俺の眼に、まず飛び込んでくるのは決まって瑠璃の顔だった。


「今回も失敗しちゃったね。兄さん。でも、次は成功できる筈だから、また頑張ろうね。私も付き合ってあげるから」


 この頃の俺は瑠璃の膝に伏せてしまっていたのが、ふがいなくて悔しかった。

 もっと強くならなければ。

 瑠璃を守れるほどに。

 それだけが俺の生きがいだ。



 耳障りな物音がきっかけで俺の睡眠は解けた。どうやらいつの間にか寝ていたらしいが、それも扉を強く叩く音で目覚めてしまった。

 先日、この倉庫を宿代わりに使用する際に、もしものことを考えて扉を物で抑え込んでいて正解だった。

 あの頃とは逆の位置で、俺の膝の上で気持ちよさげに寝息を立てる瑠璃。

 訓練をしていた時と違って、いまは俺が親父と同じ状況下に立っている。瑠璃を守り抜く。この世界で俺の死ねない理由の一つ。

 目を向けた先にある壁一枚隔てて聞こえる話し声。

 扉が開かないことに疑問を感じ取っているのだろう。そろそろここから動かなければ、奴らが無理やりにでも押し入って来る。


「……おはよう……あれ? 兄さん。どうしたの? 怖い顔してるよ」


 瑠璃を起こし、開き切らない瞼をこすりながら挨拶を交わしてくる。それに俺も返した後で、物音から瑠璃は現状を察してくれた。

 息を潜めて、ボウイナイフを構えて俺は戦闘態勢を取る。

 来訪者――それは俺たちにとっては敵を意味していた。

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