第5話
鼻歌を混じらせ、機嫌よく瑠璃は俺の先頭に立つ。俺を先導してくれるのか、それとも店を先に見つけたいのか。瑠璃の元気な後ろ姿は、俺の心も元気にさせてくれる。だが、内面は相当傷ついているはずだ。
異世界人に襲われた心もそうだが、瑠璃は心臓の病気も患っている。無理をしていることを隠すための空元気じゃなければいいのだが。
しばらく道に沿って歩けば、藁で作られたいかにも旧時代の産物とでもいえるような時代錯誤な建物を見つけた。だが、それも周りが森林で飾られた歩道に建てられていることもあって、それほど浮いた印象は見当たらなかった。
外には椅子や日傘なんて置かれているところも見ると、休憩所のような場所だとは大体把握できた。
瑠璃を連れて建物内に入ると、食い物や飲み物を提供している店のようだった。ラインナップに違いこそはあるが、俺たちの世界でいうところのコンビニかサービスエリアと同じような施設に分類できるだろう。
ゲテモノの類だとどうしようかと思ったが、見た目はただの洋風のパンが並び、とりあえずは食えそうな物と飲料水だけを買っておく。
金がいくらするかも分からないから、適当に種類の違うコインと札を一種類ずつ出した。すると、店員は困った風な表情を浮かべて、出したほとんどの札を突き返された。多かったのだろうか。
返された分は貰っておき、異世界人と同じ空間にいるのも居心地が悪いし、さっさと店内からずらかった。
陽が落ち始めた頃、河を見つけたのでそこで一旦、食事休憩を取ることにした。
異世界の料理を食べるのは初めてだが、先に瑠璃に食べさせて何かあっても困る物だから、俺が毒見も兼ねて食ってみたが、意外と食える。それを見た瑠璃もおそるおそる口に運ぶと、そこから先は美味しそうに次々と食べていった。
「ねえ、兄さん。これ、なんだかテレビで観た海外の料理みたいだね」
「そうだね。前の村でもそうだったが、住居は和風の造りで食文化は西洋の物みたいだ」
日本の文化に西洋の食事が組み合わさった世界。それが異世界の食文化なのだろう。
「空も暗くなってきたわね。これで私たちも異世界に来てから、二日が経ったということになるのかしら?」
「陽が昇って、また落ちる。一日の感覚は元の世界と変わらないのか」
「住居はまるで昔の日本みたいで、ご飯は洋風。周りに建物とか背景も私たちの時代と違って未来感が感じられないわ。……ふふ、なんだかタイムリップしたみたいだわ」
その例え方が一番、この状況を表すのに適していそうだ。瑠璃と話し合ったところで、とりあえず異世界のことについて現在分かっていることはいくつか判明した。
食文化、住居、住人、一日の流れ、重力の違い。
どれも馴染めば、苦になることはそれほどないだろう。あと、気になることがあるとするならば――それは。
「瑠璃。体調はどうだ。今日一日、歩きっぱなしで疲れはしなかったか? 瑠璃は病気のこともあるんだから、無理はしないでくれよ」
普段の瑠璃はこんなにも歩くことがないのだ。昨日までのことといい、この道のりといい、身も心も疲れ切っていることだ。
「いまのところは、問題ないわ。だけど……体力的にはもうヘトヘトね」
明らかに瑠璃の顔には疲労が出ている。足をマッサージするように揉んでいる様子からしてもそれは十分に伝わる。もしかすると、明日には筋肉痛にでもなっているかもしれない。
「でも、無理はしていないから心配しないで」
「……そうか。だが、今日はもう疲れているだろう……? ここで休息を取ろう」
これだけは瑠璃が何と言おうとも俺の中で決めた決定事項だ。
「うん。兄さんがそういうなら、言う通りにするわ」
さすがに瑠璃も自分のことはよく分かってくれている。俺の言うことは素直に従ってくれた。
「――ふふ」
「? どうした?」
「ううん。なんでもないわ」
「気になるじゃないか」
俺の顔になにかついているのか? 脈絡もなく、突然笑顔を浮かべられては気になって夜も眠れそうにない。
「兄さんとこんなにも一緒に外を出歩いたことがないから、なんだか今日は嬉しかったなぁって思っていたのよ」
「俺がこの家業を引き継いでからは、休暇を取った時ぐらいしか一緒にいてやれなかったよな。寂しい思いをさせてしまって済まない」
「お父さんが殉職してからは、兄さん。毎日、私のために頑張ってくれているんだから、仕方がないよ。わがままなんて言えないもん」
俺たち、朽月は殺し屋業をやっている。先祖代々受け継がれてきたもので、俺は先代である父が亡くなったのと同時に四代目を引き継いだ。
瑠璃には止められたのだが、病に伏せる妹のためにも俺たちが育っていくには金が必要だった。そのために、この家業を引き継いだ。指名された人物を速やかにひっそりと殺す。汚れ仕事だが、その分稼ぎは良い。
先代から懇意にしている商売相手もいるし、この界隈でも朽月の名は有名だから依頼に困ることはない。毎日のように仕事が押し寄せてくる。報酬さえもらえるなら何だって引き受けるが、瑠璃のことを第一に優先させたい俺は、その日の瑠璃の体調などに合わせて仕事内容を選び、無理のないように引き受けてきた。
「皮肉だな。異世界に飛ばされたおかげで、こうして瑠璃の側にずっといられることが嬉しく感じているよ。せめてこの世界にいる間は、朽月のことは別に考えていようと思う」
「それがいいわ。私も仕事から解放された兄さんといられるのは嬉しいもの。なんだか、昔に戻ったみたいで。……ふふ、こんなところでもタイムスリップしたような感覚にさせてくれるわね」
瑠璃が心から笑っている。子供の頃に遊んでいたように無邪気な笑顔。
俺が仕事から解放されているように――瑠璃もまた……主婦の真似事から解放されているのだ。
「あら、何かしら? これって、雨?」
瑠璃が手をかざして空を見上げると、俺も釣られて同じことをする。
「そうみたいだな」
「異世界でもこういう気象の変化はあるのね。これでまた異世界の環境が一つ知れたわね」
肌を濡らす冷たい感触は雨で間違いない。まだそこまで強く降ってはいないが、止むことはないだろう。そればかりか、雨脚はより強まっていく。
遠くで雷の光が目に入り、とっさに瑠璃は耳を塞いで身体を強張らせる。
「兄さん……雷が鳴っているわ。どうしよう、おへそを取られるかもしれないわ」
「それはただの作り話だ」
「……分かっているわよ。でも、怖いじゃない、どうして兄さんは平気でいられるの? ずるいわ」
涙目になる瑠璃。フィクションが好きな瑠璃でも怖い話はあまり得意ではない。ホラー小説や映画を観ることもあるが、まあ、怖い物みたさだ。結局、震えて俺に泣きついてくる。
「雨風凌げる場所を探そう。さぁ、これを羽織るんだ」
着ている黒の外套を瑠璃に被らせてやる。俺のサイズで丁度あう外套は、瑠璃が羽織ると下が地面について引きずるような形になった。
「――おいで、瑠璃」
背中に瑠璃を背負うと、一回り以上も大きい外套が瑠璃を覆い、余裕が出来た襟部分を引っ張り上げて頭を隠す。大人用の雨合羽を着せた子供を背中に背負っているような感じだ。
「兄さんの背中……大きくてあったかい」
「懐かしいか? 昔はよく、こうして背負ってやったことがあっただろう」
「もちろん、覚えているわ」
瑠璃は体力がないものだから出先でよくバテて、その度にこうして背負ってやったものだ。
「少し、飛ばしていくからしっかり捕まっておくんだよ」
「こんな暗いのに大丈夫なの?」
「夜の移動は朽月の専売特許だ。それに戦闘になったとしても、朽月を上回れる奴なんてこの世界にはいないさ」
黒一色となっている朽月の戦装束なら闇に溶け込むことができ、そう簡単に見つけられることはない。
小回りの利く短剣。夜に紛れる外套。それらを纏い、夜を駆け抜けた。
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