第2話

 2016年――秋、某日。


 今日は早めに依頼を終わらせ、俺は瑠璃に頼まれていたものを買いに文房具屋へと向かっていた。

 病弱であまり外に出ることが出来ない瑠璃が趣味としている読書。好みは恋愛やホラーにファンタジーといった娯楽小説から。時には、哲学書のような難しい本に料理本など幅広く読み漁っている。

 中でも最近は小説を書くことに目覚めたらしく、原稿用紙を買ってきてほしいと頼まれた。色々読んでいる内に自分でも書きたくなったのだとか。恥ずかしがって一作も読ませてもらったことはないが。

 用事を済ませて自宅に帰れば、瑠璃が料理を作って俺の帰りを待っていてくれていた。


「ほら、瑠璃の欲しがっていた物だ」

「わあ、ありがとう。兄さん」


 袋に入れてもらった原稿用紙を瑠璃に手渡すと、笑顔を浮かべる。それを見るだけで俺は帰ってきたことを実感することが出来る。


「兄さんが帰る連絡を入れてくれたおかげで、丁度いいタイミングにご飯が出来ているわよ。さあ、兄さん。冷めないうちに召し上がれ!」


 瑠璃に促されるままに食卓につく。


「どうかしら?」

「ああ、美味しいよ。やっぱり、瑠璃の作る物が一番だ。将来はいいお嫁さんになれるかもな」

「もう、兄さんったら冗談ばかり言って……」


 実際、瑠璃の手料理は大したものだ。家にいてやることもないから、手の込んだ物を作ることもあった。


「瑠璃。今日の分の薬。忘れずに飲むんだぞ」

「分かってるわ」


 瑠璃は心臓の病を患っている。治るかどうかも分からない奇病らしい。世界でもほとんど知られていないので、治療方法が見当もつかないらしく、気休め程度に近い症状に合う薬を服用している。


「済まないな。俺がこんなことをやっているせいで、闇医者に頼るようなことになってしまって……本当なら、立派な病院に入れてやりたかったんだが」

「ううん。私はそんなこと全然これっぽっちも気にしてないわよ。それに病院なんて行ったら入院をさせられるんでしょう? そんなことになったら、兄さんのお世話ができなくなっちゃうよ」

「俺の心配なんてする必要はないさ。瑠璃のために買っている料理本を真似すれば、簡単に瑠璃の味が再現できるだろう?」

「あら、それだけじゃあ私の味は無理よ」

「どうしてだ? そうか、なにかアレンジをしているのか?」

「それはね、私の兄さんに対する愛情成分がないからよ。料理はね、愛情を込める必要があるんだよ」


 それが隠し味…となるのだろうか。料理なんて物はレシピを見れば誰でも同じ味が再現できると思っていたのだが、殺し屋業を引き継ぐようなことと比べれば遥かに難しいことのようだ。


「家事は瑠璃がいてくれないと、俺には難しそうだな」

「兄さんは不器用そうだもんね。だから私にどーんと任せちゃって。あ、でも兄さんにも少しは出来るようになってほしいかな。だって、このままだと妹離れが出来そうにないでしょ……」


 言ってくれる。だがその通りかもしれない。指摘通り、俺には家事全般は全くと言っていいほどできやしない。


「仕事の合間を作って努力してみるよ」

「それじゃあ、私が手取り足取り教えてあげるよ。……これで兄さんと一緒に家事がやれるわ。ふふ、兄さんが構ってくれると嬉しい」

「瑠璃の方こそ、兄離れが出来そうになさそうだな」

「私はいいじゃないの。だって兄さんがいてくれないと、私には他に誰も構ってくれる人なんていないんだから……」


 今年で16になろうという年だが、体質のせいでまともに学校にすら行くことが出来ない瑠璃には友達なんていなかった。そんな瑠璃を見ていられなかった俺は、いつもそばにいてやった。何をするにしても、俺がやることは瑠璃も真似をする。それが幼い頃の俺たちだった。だが、この家業を継いでから、瑠璃はいつも一人寂しく家で待機していた。瑠璃に買ってやった本もいつしか棚に入りきらなくなり、積みあがっていった。

 次第に趣味を見つけるようになり、家庭的な子に育った。半分は俺が育てたようなものだった。

 そんな境遇で育ったからこそ、俺たちはどちらかが欠けてしまえば、うまく世の中を生きていくことは難しいだろう。

 俺たちはいつも二人で一人なんだ。

 寂しくうつむいたままの瑠璃の長い黒髪を梳くように撫でる。それを気持ちよさそうにした瑠璃は、嬉しそうに微笑み返してくれる。


「そういえば、洗濯はまだ干していないんだろう。手伝うよ」

「ええ、沢山溜まっているわ。それじゃあ、すぐに洗い物を済ますから待ってて」

「一緒にやろう。その方が瑠璃も楽だろう」


 立ち上がって、瑠璃と洗い物にかかる。俺の洗い方だと汚れが付いていることがあるのだとか言って、俺は瑠璃から受け取った食器を拭く役目となっている。

 それが終われば洗濯だ。

 かごに入れられた洋服は、瑠璃が持ち上げるに少し無理があり、持ち運びは俺がやる。力仕事ばかりは俺に頼らざるを得ないのだ。

 庭まで運んでいき、そこから俺は服を手渡しては瑠璃が干していく。

 辛いことも多くあるが、十分に満たされた日々を送れていた。


「よし! これで終わりね」


 洗濯で体力を消耗した瑠璃はアウトドア用のイスに座り、夜風に当たりながら俺たちは休憩を取る。


「見て! 兄さん。今日も星が綺麗だわ」

「ああ、そうだね。月まではっきりと見えるよ」


 ここしばらくは雨が降り続き、洗濯ものは溜まり、こうして空を見上げることもなかったから、瑠璃は少しはしゃいでいるようにも見えた。


「兄さん兄さん! 今の流れ星よ。兄さんも見たでしょ!」

「ちゃんと見ていたよ。瑠璃、願い事はしないのか?」

「願い事? そんなの兄さんがいてくれるだけで、ほかに何も望むことなんてないわ。兄さんこそ、お願い事はいいの?」

「俺も瑠璃と一緒で、瑠璃がいてくれたらそれでいい」

「もう、真似ばかり」


 そう、俺たちはいつまでもずっと、一緒にいられるはずだった。なのにこの時。俺の身に異変が起き、瑠璃は驚愕の声を上げることとなった。


「――え?! 兄さん! その身体? 一体何が起きているの……っ!」


 円筒状に俺の体を包み込む白い光。まるで、天が俺を呼びよせているような。光に身体を縛られて、その場から一歩も動けず。

 ただ――瑠璃の泣きそうな声が俺の胸をひどくざわつかせる。


「やだ……! 兄さん!」

「瑠璃――」


 駆け寄る瑠璃に手を差し伸べ、触れ合う。そのまま、抱き寄せるようにして胸で受け止めてやる。

 その瞬間、気味の悪い浮遊感に囚われ、気が付いた時には見知らぬ土地に辿り着いていた。

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