第22話

琉架は視線を落とすと向かった時同様、気怠い足取りでリビングに戻って来た。

そのままソファーに深く沈みこむ。

「話を聞いた母親は真っ青な顔をして”恐ろしいモノ”でも見るような

 怯えた目をした。

 『この事は誰にも言っては駄目。ふたりだけの秘密にしましょう』

 今にも泣き出しそうなボクの肩を強く揺すりながらそう言ったんだ。

 どうしていいのか判らずに、ただ頷くだけのボクに

 『あなたは男の子だから大丈夫なの』ってね・・何度も何度も呪文のように

 繰り返した。

 その後からだな…母親がボクの事を『琉架』って呼ぶようになったのは。

 ”この子は男だから呪われた血を受けついではいない”

 そう自分に言い聞かせたかったんじゃないのかな…」

浮かんだ微笑は切ないほど儚く見えた。

「それからボクは他人の物に触れないよう、細心の注意を払いながら

 生活するようになった。うっかり触れて飛び込んできた”声”は

 聴こえない振りをして・・

 その内段々と要領を得てきてね。

 上手く心の扉を閉ざして、やり過ごす事も出来るようになったんだ。

 周りの人にはちょっと変わった子って見られてたみたいだけどね…」

「琉架…」

真澄は言葉を詰まらせた。

まだ10歳にも満たない子供が過酷な運命に翻弄され、他人の目を

気にしながら必死に生きる術を身に付けた…

計り知れないほどの苦悩を思うと、真澄の胸は締め付けられるように

痛んだ。

琉架はくっきりとした二重のラインの刻まれた瞼を数回瞬かせた。

「…でもね、本当に触れてはいけないモノは家の中にあったんだよ…

 ボクは不用意にソレに触れてしまった…」

真珠のような前歯で下唇を強く噛み締める。

唇が色をなくし始めた頃、やっとポツリポツリと言葉を紡ぎ出した。

「あの日・・何気なく渡された父親のネクタイを受け取った瞬間

 今まで一度も感じた事のない激しい憎悪が身体を覆い尽くした。

 ボクは立っていられなくなって、その場に崩れ落ちたんだ…」

不意に硬く目を閉じると、指先でこめかみを押さえ俯いた。

白い顔からは血の気が失せ、軽く開かれた口で浅い呼吸を繰り返す。

「どうしたの、琉架!」

異変に驚いた真澄が腰を浮かせると、それを押し留めるように腕を伸ばした。

「…大丈夫・・ちょっと・・貧血・・か・・な」

荒い呼吸の合間に発せられる、途切れ途切れの言葉。

「・・少し経てば・・落ち・・着くから…」

「でも…」

琉架は僅かに首を横に振ると

「ホントに・・大丈夫・・だから…少し・・静かに・・してて…」

ソファーに顔を押し付けるようにして、身体を丸める。


…いつもそうだ

あの日の事を思い出そうとすると、身体がそれを拒絶する。

”防衛本能”ってやつなのかなぁ…

苦しい息の下でそんな事をぼんやりと思う。

閉じた瞼の裏では白い閃光が絶え間なく煌ている。

琉架は波のように押し寄せる眩暈と吐き気にじっと耐えた。

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