第14話
結局いつも行く定食屋で”特選刺身定食”を堪能した後
自宅の前まで送ってもらった。
食事の間も車の中でも結衣の名前は一度も出る事はなかった。
「ただいま」
明かりの灯るキッチンに向かって声を掛けるも、返事が無い。
ひょいと顔を覗かせると、奈保子がダイニングテーブルに
突っ伏して眠り込んでいた。
「お母さん。こんな所で寝たら風邪引くよ」
母の肩を揺すり起こす。
「ん・・あぁ真澄。帰ってたの?」
真澄を仰ぎ見る母の顔には深い皺がくっきりと刻まれている。
豊かな髪にも白いものが目立つ。
ここ数年でぐっと年を取ってしまったよう…
いつも笑顔を浮かべていた口元もため息を零す事が増えた。
最愛の息子の突然の事故死が、母親に与えた衝撃は計り知れない
ものだったのだろう。
真澄はさり気なく視線を逸らすと、追い立てるように母の背を押した。
「明日も仕事でしょ?
ちゃんとお布団で寝た方がいいよ」
「…そうね」
よいしょと言う掛け声と共に、ゆっくりと立ち上がる。
「あなたも早くやすみなさいよ。じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい・・」
小さく丸まった弱々しい背中を見送りながら、鼻の奥がつんと痛んだ。
生前、雅貴が座っていた椅子の背もたれに両手を掛ける。
一家団欒の場所だった食卓も、今ではただの食事を摂るだけの空間に
なってしまった。
お兄ちゃんがいてくれたら…そう思わない日は一日だってない。
真澄は大きなため息をひとつ落とすとキッチンの電気を消し
二階の自室へ続く階段を一段一段踏みしめるようにのぼって行った。
フローリング張りの八畳間。
モノトーンで揃えられたシンプルな家具。
20代の女性の部屋にしては華やかさに欠ける。
唯一ベッドの枕元に置かれた、淡いピンク色のクマの縫いぐるみだけが
僅かな彩を見せていた。
兄が入社後初めて参加した企画商品。
乳幼児でも安心して遊べる玩具。
そのコンセプトを基に素材とデザインにこだわった逸品。
発売当初からヒットを飛ばし、今でも根強い人気を誇っている。
真澄はクマをそっと抱き上げると、頬に押し当てた。
マシュマロのように柔らかな感触が心地良い。
そのまま机の傍らに歩み寄ると、一番下の引き出しの奥から
白い封筒を取り出した。
琉架から返された手紙。
結局封を切ることなく、今日までしまい込んだままだった。
ペン立てからペーパーナイフを取ると、一気に刃先を突き入れる。
ピリッという微かな音が、静まり返った部屋の中に響く。
中から便箋を取り出すと、ベッドの端に腰を下ろした。
丁寧に四つ折りにされた封筒と揃いの便箋。
ここには何が書かれているんだろう・・
結衣の6年分の想いが詰まっているようで、たった一枚の紙に重みを感じる。
真澄は深呼吸すると震える指先で便箋を広げた。
次の瞬間、その瞳が大きく見開かれた。
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