第9話

冷たい空気が流れる室内。

簡易ベッドに横たわる雅貴。

その身体に取り縋るようにして泣き叫んでいた結衣は

ドアの開く音に振り返った。

「真澄ちゃん…」

頭部には包帯が巻かれ、額と頬には大きな絆創膏が貼られている。

「ご・・めん・・わ・・たし…」

結衣の肩越しに兄の顔が見える。

「雅貴!」

奈保子は息子の名を叫ぶと、へなへなとリノリウムの床に

しゃがみ込んでしまった。

あまりにも変わり果てた兄の姿に、真澄の口から声にならない悲鳴が漏れる。

足元が崩れ落ちるような感覚に大きく揺らいだ身体を、宮沢が後ろから支えた。

「お兄ちゃん…」

震える足取りで一歩ずつベッドに近寄り、そっと頬に指先を伸ばす。

冷たい…

反射的に手を引っ込めた。

青白い兄の顔。

ほんの数十時間前―――――


『お兄ちゃん、お土産忘れないでよ』

玄関先まで見送る真澄に『了解!』とおどけて敬礼して見せた。


まさか…こんな事になるなんて…

「ごめん・・なさい…」

すすり泣きに混じって結衣の呟く声がした。

「ごめんね・・真澄ちゃん。私のせいなの。私が無理やり雅貴を誘ったから…」

結衣は大きくしゃくりあげた。

「仕事が忙しくって・・今回の旅行はキャンセルしたいって言われたのに・・

 私が我がままを言って…」

「どうして?…どうして事故なんて…」

消え入りそうな真澄の声に、結衣は顔を上げた。

間近で見ると瞼の上や顎のあたりにも小さな切り傷がついている。

「峠道に入る手前のドライブインで休憩したの。雅貴すごく疲れているみたいで

 眠そうだったから私が運転代わるって…雅貴は危ないって言ったけど、

 ゆっくり走るから大丈夫って…」

結衣は洟を啜り上げた。

瞳からは途切れることなく大粒の涙が零れ落ちる。

「下り坂に差しかかる頃、会話が途切れがちになってきて・・

 そのうち気持ち良さそうな寝息が聞こえてきたの。

 ちらっと見たら、窮屈そうに身体を縮めて眠っていたから

 私・・シートベルトを外してあげて…後ろの席に置いてあった

 ブランケットを取ろうと手を伸ばしたら…」

結衣はぎゅっと目を閉じ俯いた。

「車が横滑りして…あわててハンドルを切ったの。

 その後物凄い衝撃があって…後は何も覚えてない。

 気付いたら病院のベッドの上だった…」

溢れた涙で、横たわる兄の輪郭が滲んで見える。

「真澄ちゃん」

握り締めた拳に結衣の手がそっと触れた。

その瞬間、真澄はびくりと肩を震わせ一歩退いた。

「…ご…ろし…」

「え?」

驚いたように見開かれた結衣の瞳が真澄を見上げる。

「人殺し!お兄ちゃんを返してよ!」

「真澄」

宮沢は真澄の腕を引っ張ると、その華奢な身体をぎゅっと抱きしめた。

「これは事故だ。結衣ちゃんのせいじゃない」

優しく背中を撫でながら、諭すようにゆっくりと繰り返す。

「事故なんだよ…」

真澄は宮沢の胸に顔を埋めると子供のように泣きじゃくった。

声が嗄れるまで…

受け止める宮沢の肩も小さく震えていた。

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