第3話
「真澄さぁん、お電話ですぅ」
真澄の物思いを断ち切るように美和子の甘ったるい声が響く。
受話器を受け取ろうと手を伸ばすと、含み笑いを浮かべながら
「若い男の人ですよ~」
と付け加えた。
「おっ!ついに真澄にも春がやって来たか」
宮沢がすかさず茶々を入れる。
真澄は苦笑した。
「もう、所長ったら何言ってるんですか」
受話器を耳に当てながら首を傾げる。
若い男?・・誰だろう…
今抱えている案件のクライアントにそんな人いたかしら?
「もしもし、お電話代わりました」
「”真澄さん”ですか?」
「・・はい、そうですけど」
いきなり名前で呼ばれるほど親しい間柄の男性など思い当たらない。
真澄の訝る気配を察したのか、電話の相手は
「今朝、駅の改札でぶつかった・・」
「あぁ!」
天使くん…心の中で付け加える。
「あの時、封筒を落としませんでしたか?」
「えっ?」
真澄は机の上に広げた書類の間をガサガサと漁った。
ない!
「階段の下に落ちてたんで、ボクが預かってます」
「わざわざありがとうございました」
「あの・・そちらにお届けすればいいですか?」
破り捨ててくれ…とは言えずに
「いえ、わたしの方から取りに伺います」
「じゃあ、仕事帰りにでも駅前の喫茶店まで来てもらえます?
確か『Noël《ノエル》』とかって名前の店があったような・・」
「そこなら分かります」
ロータリー沿いにある小さな喫茶店だ。
「あ!あの・・」
18時に・・と言って電話を切ろうとするのをあわてて引き止めた。
「どうしてわたしの連絡先が分かったんですか?」
真澄が疑問を口にすると、少しの間の後
「持ってたファイルに『宮沢探偵事務所』って名前が印刷されてたから。
それに散らばってた書類にも…勝手に見てすいません・・」
バツの悪そうな謝罪の言葉に続き「じゃあ、後で」と電話は切られた。
真澄は受話器を握り締めたまま机の上の書類に目を遣る。
契約書に調査依頼書。調査対象者の略歴を記したモノも混ざっている。
探偵にはクライアントの秘密を守る守秘義務がある。
今回の依頼人は名のある大企業のトップ。
娘の見合い相手の素行調査を依頼されていた。
一瞬の間にそこまで読み取れたとは思えないが…迂闊だった。
こんな初歩的ミスを犯すとは・・
「真澄さぁん、デートのお誘いですかぁ?」
キャスター付の椅子に座ったまま近寄ってきた美和子は、口元に
ニヤニヤ笑いを浮かべている。
「え?違うよ。今朝、駅でぶつかった男の子。
わたしが落とした手紙を預かってくれてるみたい」
「なんだ・・そっか。
いきなり”真澄さんはいらっしゃいますか”なんて言うから
てっきり彼氏さんなのかと思っちゃいましたよぉ」
美和子は真澄から受話器を受け取ると、つまらなそうな顔をして
自分の席に戻って行った。
…名前?
そう言えばあの封筒には宛名も差出人も書かれていなかった。
それなのにどうしてわたしの名前を…
ストーカー?
脳裏を過ぎった言葉にぎょっとする。
甦る記憶・・
高校時代、見知らぬ男に付きまとわれた経験があった。
その時には警察官だった宮沢の計らいで大事に至る事はなかったが。
一歩間違えば…今思い出すだけでも背筋が寒くなる。
まさかね・・あの天使くんが。
真澄は身震いをひとつすると嫌な考えを追い払った。
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