第20話 本性
普段は立ち入り禁止であろう屋上はご丁寧に開錠されており、
「どうしてこのビルを待ち合わせ場所に?」
油島ビルの屋上に到着した涼は、フェンス越しに下界を見下ろしているパーカー姿の人物にそう声を掛ける。
「父の持ち物なんです。三階より上には関係者以外は立ち入らないので、秘密のお話にはピッタリかと思いました」
初対面の時と同じ礼儀正しい口調だった。もっとも、敬意の込められたあの時とは違い、今の話し方はどこか事務的で、口調を演じているような印象を受ける。
「確かに、あまり人目のある場所でする話じゃないからな」
邪魔者が入らないというのは涼にとっても好都合だった。
「それじゃあ、一連の事件についての答え合わせといこうじゃないか――」
言葉に呼応するかのようなタイミングで強風が涼の顔を撫で、勢いそのままにパーカー姿の人物へと向かっていった。深々と被っていたフードを剥ぎ取り、素顔を露出させる。
「――
お嬢様然とした整った顔に、見る者の背筋を凍り付かせるような冷笑を浮かべた草壁彩乃の姿がそこにあった。
「ふふ、まるで物語の中の探偵みたいな物言いですね、涼さん」
「褒め言葉だと受け取っておくよ」
「私に行きついた経緯をお聞かせ願いましょうか」
「随分と余裕だな」
「ふふふふ」
涼の言葉に彩乃は反応を見せず、無機質な笑みだけを浮かべていた。まるで笑顔そのものを顔に張り付けているかのようだ。
「君を怪しむきっかけとなったのは、
「仮にそうだとして、私にどんなメリットがあるというんですか? 私は雫ちゃんの親友で彼女の事がとても大切です。そんな私が遠回しに雫ちゃんに嫌がらせをするだなんてありえませんよ」
「確かに普通に考えればそうだ。だが君にとってこの行為は、一石二鳥のアイデアだったんじゃないのか?」
「どういうことでしょう?」
やはり彩乃は笑顔を崩さない。この話題に彼女を追い詰める程の威力が無いことは涼も分かっている。これはあくまでもこの先に話を進めるための布石だ。
「推測も多分に含まれるが、恐らく君は雫に頼られたかったんじゃないのか? 完璧人間だった雫のことだ、あまり誰かに助けを求めるようなことはなかったはず。だからこそ君はストーカーの存在を演出し、不安を覚えた雫に頼りにしてもらいたかったんだよ」
「一石二鳥と言いましたが、もう一つは?」
「ストーカー事件を仕組んだ人間の存在に誰かが気付いた時に、石清水が悪者になるようにさ。佐古田は本気で君の名前を石清水若奈だと思い込んでいた。あいつの口から石清水の名前が出て矢面に立つのは当然本物の石清水だ。石清水には雫に嫌がらせをしていた前科もあったしな。もちろん佐古田本人が不信感を抱く可能性もあっただろうけど、あいつは利用されていると分かっても君を恨まないような馬鹿野郎だ。その気になれば、言い包めるのも簡単だろう」
「……」
彩乃は俯き沈黙した。先制攻撃としては上々だったかと思われたが、
「素晴らしい。大正解ですよ涼さん」
彩乃は軽快な拍手を送り、心にも無い世辞を涼に述べた。心なしか、顔に張り付く笑顔が先程までよりも生き生きとしいるような気すらする。
「反論はしないのか?」
「佐古田の証言をとっているのなら、言い逃れのしようはありません。佐古田に私の姿を確認させたのは、昼間の喫茶店でですか?」
「気づいていたのか」
「佐古田の視線って分かりやすいんです。ジトッとして気味が悪くて。あの喫茶店でもそんな感覚がしていました」
「なるほどね」
涼は佐古田をフォローするつもりなど毛頭なかった。正直あいつのことは嫌いだ。
「しかし涼さん、ストーカーの黒幕が私だったからといって何だと言うのです? あれはあくまで失踪が起こる前の事であり、今回の件とは何の関係ありませんよ」
「言うと思ったよ」
反論は想定の範囲内だった。この話をした真の目的は、草壁彩乃という人間の雫に対する感情を確かめることにある。
「確かに君が佐古田にストーカー行為をさせていたからといって、今回の事件に関わっているという根拠にはならない。過激な方法とはいえ、君の行動の原点は雫に頼られたいという願望から来たものだ。少なくとも雫に対して抱いてた感情は、愛情であり憎しみではないということになる」
「その通りです。やり過ぎたのは認めますが、私は雫ちゃんを恨んだり、憎んだりしたことなど一度も有りません」
「そうだな。そこは俺も疑っちゃいないよ」
そう、草壁彩乃にとって雫は大切な存在なのだ。それが友情なのか、恋愛感情なのか、それ以外の何かなのか。根底にあるものまでは涼にも読み取ることは出来なかったが、少なくとも負の感情を抱いているわけではない。それだけは確かだ。
「だからこそ、今回の事件は起こってしまったんだ」
「矛盾していませんか? どうして私が大切な存在である雫ちゃんを呪わなければならないのです」
「君が呪いたかったのは、雫じゃない」
涼の言葉を聞いた瞬間、笑顔の仮面を纏っていた彩乃の表情が微かに歪んだ。その歪みもすぐに笑顔へと修正されたが、その一瞬の動揺は涼の中の確信をより強めた。
間髪入れずに、涼は決定的な一言を発する。
「君が呪いたかったのはこの俺、津村涼だったんだろ?」
「……」
無言の彩乃の顔には、驚きとも悲しみとも取れる複雑な表情が浮かんでいた。言葉など無くとも、涼の言葉が正解であることを何よりも物語っている。
「……何故、そう思うのです?」
「雫を消すことが目的なら、それは当に叶えられている。にも関わらず犯人は
この言葉は彩乃を更に追い詰めるかと思われたが、涼の言葉を聞いている間に彩乃は冷静さを取り戻しており、静かに涼の推論の問題点を指摘してきた。
「その考えは現実的ではないと思いますよ。雫ちゃんの親友である私が、雫ちゃんと涼さんを間違える筈がありませんから。確かにお二人は双子であり、たいへんよく似ていらっしゃいますが、だからといって見間違える程ではないでしょう? 顔立ちにも男女の差は現れていますし、身長も体格も違いますもの」
彩乃の言葉は正論だ。涼と雫は顔立ちが似てはいても同じではない。面識の少ない人間が戸惑うことはあっても、普段から顔を合わせている人間が見間違うことなど考えにくい。
だけどそんな反論は、涼に対しては何の意味も成さなかった。
「今の俺らならな」
「どういう意味です?」
「君が呪いに使用したのが、俺の家にあるアルバムから拝借した昔の写真だったならどうかな?」
「……」
彩乃は憎らし気に歯を食いしばり、僅かに後退した。まるで防御本能によって涼から無意識の内に遠ざかろうとしているかのようだ。
「初めは写真が無くなっていることと、君が犯人であることを関連付けることは出来なかった。雫を呪うのが目的だったらなら、きっと君は幾らでも写真を持っているだろう。
彩乃は
「無くなっていたのは小学生の頃の写真だ。あの頃の俺と雫はまだ体格差なんてほとんどなくて、俺らの見た目は、改めて見ると自分でも驚くほどにそっくりだ。しかもあの頃の雫は動きやすいからという理由で男子みたいな恰好が多かったから、尚更俺らの見た目はそっくりだった。実際俺の友達も、写真だけだと見分けられるかどうか怪しいと言っていたくらいだ」
「違う、私は――」
論理的思考の伴わない、感情的な叫びが彩乃から飛び出す。
涼はそれすらも遮り、止めの一言を静かに言い放つ。
「俺と雫、君は呪う相手を間違えたんだよ」
「……違う」
消え入るような声でそう言うと、彩乃は床へとへたり込み、生気の無い目で虚空を見上げた。
その姿は糸の切れたマリオネットに似て、彼女が壊れてしまったのではと錯覚させる。
「大丈夫か」
涼は静かに彩乃に近づき、涼は彩乃の肩に触れようとする。決して憐みの情があるわけはない。まだ明らかにしなければいけないことが沢山残っている。その前に彼女が壊れてしまっては元も子もない。
「触らないでよ!」
涼が肩に触れようかというその瞬間、スイッチが入ったかのように、彩乃は反射的に涼の手を払いのけた。
眉を顰めるその表情には涼に対する明確な嫌悪感を感じさせ、その目つきには仇でも見ているかの如く、煉獄の感情が渦巻いていた。
「あなたの事が気に入らない! いつも雫ちゃんの傍に居るあなたが気に入らない! 雫ちゃんにそっくりなあなたのことが気に入らない! 気に入らない気に入らない気に入らない! あなたのことが気に入らない!」
ヒステリックに彩乃は繰り返す。その言葉使いに普段の正純さは微塵も感じられない。感情の赴くままに、ひたすらに悪意だけを並べ立てている。
「それが本性か……」
崩れ落ちた瞬間、彩乃は壊れてしまったのだと思ったがそれは間違いだった。
彼女はあの瞬間、壊れたのではなく再起動したのだ。
美しい言葉使いに彩られた建前と笑顔の仮面を脱ぎ捨てた、本当の草壁彩乃として。
「ええそうよ、これが本当の私。あなたの前で、もう猫を被る必要なんてないもの」
「丁寧語で問答されるよりは、それくらいはっちゃけてもらった方が俺も話しやすい」
ここまで堂々と気に入らないと言われてしまえば、むしろ清々しいとさえ涼は思っていた。感情的になった彩乃の方が、より簡単に質問に答えてくれそうでもある。
「俺が気に入らなくて呪いを試みたのは分かったが、何故俺が気に入らないのか、それくらいは聞かせて貰ってもいいか? 仮にも呪われるところだったんだ。それくらいは聞いても罰は当たらないだろ」
「いいわ、聞かせてあげる」
彩乃は邪悪な微笑みを浮かべ、嬉々としてそう返した。
「私は雫ちゃんの親友、雫ちゃんの理解者、雫ちゃんのパートナー。一緒にいるだけ幸せだったし、毎日がとても楽しかった。雫ちゃんも同じ気持ちでいてくれていると思ってた、私のことを誰よりも大切に思ってくれていると――」
言いかけて彩乃はするりと立ち上がり、見開いた目で涼を睨みつけた。
「――なのに、雫ちゃんが話すのはいつもあなたのこと、『昨日涼君が』、『涼君は凄い』、『涼君は自慢の家族』、涼君涼君涼君涼君涼君涼君涼君涼君、涼君! 雫ちゃんにとっての一番はいつでもあなただった!」
「だから、俺さえいなくなれば全てが解決すると、そう思ったのか?」
「ええそうよ。だから暗黒写真であなたを呪ってやった。なのに、世界からいなくなってしまったのは雫ちゃんの方だった……何で、何であなたがここに残っているの!」
「……愚かだな」
涼の内心に静かな怒りが湧き上がっていたが、それを感情として表すことはしなかった。感情に支配され、醜い本性を晒している彩乃を前にしているからこそ、冷静さを保てているのかもしれない。
「一つ気になっていることがある。どうして俺達が小学生の時の写真を暗黒写真に使った? 確かに俺がまともに写っている写真はほとんどが小学生の時に集中しているが、後半の方に分かりやすく俺と雫が写っている写真があっただろ」
その写真とは言うまでもなく、中学の卒業式の際の一枚である。当然涼と雫の外見には男女差が顕著に表れており、制服だって男女別となっている。この写真を使えばそもそもこんな間違いは起こらなかったはずなのだ。何故彩乃があんなに分かりやすい一枚を使わなかったのか、その点が涼には大きな疑問だった。
「……あの写真、雫ちゃんがあなたの腕に手を回してたでしょう。うまく切り取れないだろうと思って、仕方がなく小学生の頃の写真を選んだのよ。あなたが写真嫌いっていうのは大きな誤算だった」
「……俺は、雫に救われたんだな」
図らずもあの写真を撮った際の、涼の腕を取るという雫の愛嬌のある仕草によって涼は呪いを回避したということになる。その事実は涼にとって何の気休めにもならない。自分の代わりに雫が消えてしまったことに変わりはないのだから。
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