第11話 怪物

麟太郎りんたろう、今大丈夫か?」


 情報収集を終えたりょうはファミレス前で彩乃あやの達と別れ、歩きながら麟太郎に電話を掛けていた。これからの活動に関して、彼にある仕事をお願いするためだ。


『どうかしたか?』

「今までしずくの友達と会っていたんだが、雫を呪った可能性のありそうな人物の情報を得ることが出来た。そのうちの一人をお前に調べてもらいたいんだが」

『お安い御用だ。それで俺はどんな奴を調べればいいんだ?』

「雫に対してストーカーをしてた疑いのある他校の男子生徒が一人いる。名前も学校も分からないけど、制服が詰襟つめえりだったらしいから、角橋つのはし有留川うるかわどちらかの生徒だと思う。これだけの情報で捜すのは難しいかもしれないが、こういうのはお前が一番得意だと思うんだ。頼まれてくれるか?」

『任せとけ、絶対見つけだしてみせる』


 麟太郎は力強い口調でそう断言した。


「お前の任せとけは、本当に心強いよ」


 決して口約束では終わらない。麟太郎は一度宣言したことは必ずやり遂げる人間だ。

 それを分かっているからこそ、涼には一切の不安はなかった。


『涼はこれからどうするんだ?』

「俺は名前の挙がった別の人間と会おうと思ってる」

『そうか。お互い収穫があるといいな』

「そっちは任せたぞ」

『直ぐに捜し出してみせるさ』


 そう言い残し、麟太郎の方から通話を切った。


「さてと、俺は俺の仕事をしないとな……」


 未だに迷いを感じながらも涼は再度スマートホンを操作し、登録して間もない番号を探し始める。

 電話帳のま行まで行ったところで、目当ての番号――まどか千絵美ちえみの電話番号を見つけた。

 疑いたくはないが、雫に暗黒写真を行った可能性がある人物は全て調べる必要がある。ならば真っ先に千絵美の嫌疑を明らかにしたい。


 あくまでも千絵美は白であると信じ、涼は発信の操作を開始する。


『は~い、千絵美です。涼君だよね?』


 スリーコールで千絵美は電話へと出た。間違いなく千絵美だと分かるような、テンションの高い明るい声色が耳へと届く。


「休みに悪いな」

『大丈夫だよ。そういえばこれが初電話だね』


 千絵美は鼻歌でも歌い出しそうくらいに上機嫌だった。


「もし良かったらこれから会えないかな? 急な誘いだし、無理強いはしないけど」

『おやおや、デートのお誘いかな?』

「残念だがその可能性は無し。要件はもちろん雫のことでだ」

『分かってるよ。ちょっと言ってみただけ』

「それで、都合はつきそうか?」

『うん、特に用事も無くて家にいたから大丈夫だよ。どこに行けばいいのかな?』

「そうだな……俺がよく行く喫茶店があるから詳しい話はそこでしようと思う。中央公園の近くだから、とりあえずは公園で待ち合わせでどうだ?」


 落ち着いて話が出来る環境であることはもちろん、女性向けメニューも多いので千絵美も退屈はしない筈だ。話し合いの場にはピッタリであろう。


『喫茶店か、いいね。時間は?』

「今が一時ちょっと過ぎだから、二時に待ち合わせでどうだ?」

『二時に中央公園ね。了解で~す』

「じゃあ、後ほど」

『は~い』


 そこで会話は終了し、涼の側から通話を終了した。


「やっぱり、悪い奴に思えないが」


 電話で話してみた千絵美はノリこそ軽いが邪気があるようには感じられず、疑念を抱く涼の心に幾分かの罪悪感が浮かぶ。

 ともあれ、まずは話してみなければ何も始まらない。

 涼は気分転換のために少し歩こうと考え、駅前から中央公園までの道のりを徒歩で移動し始めた。




 涼との電話でのやり取りから数十分後。麟太郎は陽炎かげろう市の郊外に位置する閉鎖された工場の立ち並ぶ一角へとやってきていた。

 閉鎖されているとはいえ当然、土地や建物には企業などの所有者がいる。無断で立ち入ることは本来許されてはいないが、管理者が常駐しているわけでは無いので、これらの廃工場は現在では市内の不良グループの格好の溜まり場と化してしまっていた。


「おーい、ちょっといいかな?」


 麟太郎は開けっ放しの扉から廃工場の中に立ち入り、中でたむろする見るからに柄の悪い不良グループへと、好青年の如く気さくに尋ねた。


「何だてめえは?」


 リーダ格と思われるスキンヘッドの男が眉をしかめ、それに続いて仲間達も一斉に麟太郎に対して睨みを効かせた。

 グループの人数は十人程で全員が男。服装や髪形は派手で厳つい雰囲気で統一されており、道で見かけたらならば目を合わせたくないタイプばかりが揃っていた。


「角橋の宝木たからぎってのはあんたか?」

「だったらどうした」


 麟太郎の言葉を、リーダー格の男が不機嫌そうに肯定した。

 リーダー格の男の名は宝木たからぎ吾朗ごろう。ヤンキーが多いことで知られる角橋高校のトップに君臨し、喧嘩とは縁の無い他校の一般生徒にまでその名を知られる危険な男だ。


「聞きたいことがある」

「ああん?」

「角橋の生徒で最近、茜沢の女子にストーカー紛いの行為をしてた奴に心当たりはないか? 角橋のトップのあんたやそのお仲間だったら、噂くらいは知ってるんじゃないかと思ってな」


 角橋の生徒のことを聞くならば角橋の生徒が一番、どうせならトップを張る宝木に尋ねるのが手っ取り早いだろうと思っての行動だった。恐怖心は微塵もない。雫の身を案じればこそ、少しでも早く情報が欲しい。


「突然やってきて一方的に質問まくしたてるとは、いい度胸してるじゃねえか。俺らもなめられたもんだぜ……」


 宝木は首を鳴らしながら不敵に笑い、傍らに控えていた仲間に目配せで何かを合図をした。

 「やってしまえ」と命じられたのだろう。二人の男が指を鳴らしながら、麟太郎の方へとゆっくりと近づいてくる。


「まあ、そうなるよな」


 自分を排除する気満々の男達を見て、麟太郎は肩をすくめて溜息をつく。

 元より円満に情報を聞き出せるとは考えていなかった。ありがちな展開ではあるが、ある意味ではこちらの方がやりやすい。


「痛い目に遭いたくなかったらさっさと帰んな」


 金髪のオールバックが特徴的な背の高い男が、文字通り麟太郎を見下しながら笑った。


「おい、宝木。別に減るものじゃないし、知ってることがあれば教えてくれよ」


 目の前の金髪の男には目もくれず、麟太郎は宝木に向かって飄々と問い掛ける。

 余裕綽々、相手からしたら屈辱以外の何物でもないだろう。


「おい、シカトしてんじゃねえぞ!」

「お前には聞いてないよ」


 金髪の男は顔に青筋を立て、麟太郎の肩を掴もうとしたが、麟太郎はぞんざいにその手を払った。


「馬鹿にしてんじゃねえ!」


 金髪の男の自制心は限界を超え、本気の拳を麟太郎の目掛けて振りかざした。

 骨が軋むような衝突音。勢いよく後ろ向きに倒れ込む体。

 

 倒されたのは麟太郎ではなく、金髪の男の方だった。


「何だと!」


 その場に居る全員の思考を代弁するかのように、宝木が驚愕の声を上げる。

 一体何が起こったのか、不良グループの誰もが一瞬の出来事に理解が追いついていなかった。

 激昂した金髪の男が麟太郎に対して殴りかかった瞬間、誰もが麟太郎の体が崩れ落ちる様を想像していた。だが実際にはその真逆で、麟太郎は金髪の男の拳を上半身の動きだけで軽やかに回避し、間髪入れず右フックのカウンターを金髪の男の頬に叩き込みダウンを奪った。


「お、おい! ふざけてないで、さっさと起き上がれよ!」


 不良グループの一人が金髪の男に向かってそう叫んだが、倒れた金髪の男は完全に伸びてしまっている。しばらくは目を覚まさないだろう。


「なあ、頼むから俺の質問に答えてくれよ」


 麟太郎は眼光鋭く宝木に、いや、今回は不良グループ全員に向かってそう言った。

 先程までの純粋なる質問ではなく、今の麟太郎の言葉は武力行使一歩手前の最後通告だ。拳を握り、臨戦態勢はすでに整えている。

 反射的な迎撃とはいえ拳を振るうという一線を超えた以上、穏便に済ませるつもりは最早無かった。相手の不良たちもそれは同じだろう。


「ざけんな! 仲間をやられてただで帰すと思うなよ」

「だよな」


 宝木から発せられた言葉は当然質問に対する答えなどではない。麟太郎は覚悟を決めて肩を回した。


「てめえら、やっちまえ!」

「了解! リーダー」


 不良達の動きは早く、簡単には逃げられないように麟太郎を取り囲んだ。ご丁寧に出入り口の近くにいた不良は扉の閉鎖も行っている。

 素手で向かってくる者。メリケンサックをはめた者。金属バットや倉庫内に転がっていた鉄パイプを得物とする者。多種多様な攻撃方法で不良グループは麟太郎へと襲い掛かった。


「どうせこういう展開になるなら、交渉染みた真似なんてしないで、最初っから殴り込みをかけてれば良かったな」


 麟太郎が後悔した点はただ一つ、最初の交渉で余計な時間を取ってしまったことだけであった。




 勝敗は、僅か五分で決した。

 その場に立っているのは二人。麟太郎と、冷や汗を浮かべながら茫然と立ち尽くす宝木だけだ。

 他の不良達は力無く地面に伏して気絶、ないしは痛みに悶絶し立ち上がることが出来ないでいる。

 十倍の人数を相手に素手で挑んだというのに、麟太郎には目立った怪我も疲労感も見えない。あえて言うならば、相手を殴った際に痛めた右の拳が少し赤身を帯びているくらいだだろうか。


「さてと、もう口を挟むような奴はいなそうだし、そろそろ質問の答えを聞かせてもらうぞ」


 麟太郎は獲物を捉えた狼のような目で宝木を睨み付け、ゆっくりと一歩ずつ近づいていく。


「い、一体何者だお前は」


 迫りくる恐怖に宝木は声を震わせる。

 十人前後とはいえ、宝木達のグループは市内最強の不良集団だ。それをたった一人で制圧してしまうような怪物の存在など、宝木にはまったく心当たりが無かった。


「質問してるのは、こっちだ」


 麟太郎は不愉快そうに眉を顰める。すでに拳が届きそうな距離まで宝木へ接近していた。


「なめるな!」


 リーダーとしての意地から宝木は渾身の右ストレートを麟太郎の顔面目掛けて放った。宝木の拳は強烈だ、まともに顔面に入れば無事では済まない。


 しかし、宝木の一撃が麟太郎の顔に届くことは叶わなかった。


「何だと……」


 宝木は驚愕に目を見開く。麟太郎の右手が、宝木の重い一撃をがっしりと受け止めていた。


「は、離しやがれ」

「言われなくとも」


 笑顔でそう言うと、麟太郎は宝木を突き放した。


「おまけだ」


 瞬間、麟太郎は一瞬で間合いを詰め、強力な右ストレートを宝木の腹部へと叩き込んだ。


「がはっ!」


 強烈な一撃をくらった宝木は悶絶。膝をついて倒れ込みそうになったが麟太郎はそれを許さず、襟ぐりを掴んで宝木を無理やり立ち上がらせた。


「さてと、そろそろ教えてくれよ。角橋の生徒で、茜沢の女子にストーカーしてた奴に心当たりはないか?」

「し、知っててもてめえなんかに教えるか!」


 宝木は悪態を突いて不敵な笑みを浮かべる。それは宝木なりの最後の抵抗だった。


「言え! こっちは大切な人の命がかかってるんだよ!」


 麟太郎は激昂した。決して怒りを表に出すようなタイプではない。大切な存在――雫の身を案じればこそ、普段のような温厚な態度を貫き通すことは出来なかった。


「てめえの事情なんて知るかよ」

「そうか」


 冷めた麟太郎は、宝木の襟から手を離した。

 解放された宝木は地面に膝を付き、首元を抑えて咳き込んだ。


「くそ野郎が……えっ……」


 懲りずに悪態を突く宝木だったが、自分を見下ろす麟太郎の目を見て戦慄した。

 本気で殺られる。

 そう錯覚させるには十分すぎる威圧感を、麟太郎の双眸そうぼうは放っていた。

 

「く、来るな」

「言いたくなるようにしてやる。病院送りは覚悟しておけ」


 麟太郎は冷笑を浮かべてそう言った。

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