第10話 立派なお兄ちゃん
「
石清水の疑惑は濃いが、確信が得られない以上あらゆる可能性を考える必要がある。今は一つでも多くの情報を集めることが重要だ。
「うちの学校の生徒ではないので、名前など詳しいことは分からないですけど、時々雫ちゃんの周りに出没する他校の男子生徒がいて、その……」
「いわゆるストーカーかもしれないと?」
「はい。雫ちゃんは、あまり気にしていませんでしたけど」
「どこの生徒か分かるか?」
「制服が
「詰襟ってことは、この辺だと
涼の意見に、彩乃はコクリと頷く。陽炎市内はブレザータイプの制服を採用している高校が多いため、詰襟を使用している学校となると自然と限られてくる。涼の頭に真っ先に浮かんだのは、市内唯一の男子校である角橋高校と、市内では茜沢に次ぐ進学校である有留川高校の二つだ。
「分かった、その男子とやらは俺の方で調べてみるよ」
彩乃はこれ以上は本当に知らなそうなので、詰襟の男子生徒の件に関しては涼の預かりとなった。
「私も一人、気になる子がいる」
控えめに志保子が挙手する。
「聞かせてくれ」
「同じクラスの子、名前は
「えっ? 円千絵美」
予想外の名前の登場に涼は内心動揺した。その名前は織部を尋ねた帰りに茜沢の校門前で出会った、あの女子生徒の名前だ。
「あの子、いつも遅刻する度に雫に怒られてた。
「それは……」
それは違う、と言いかけた涼だったが、結局はその言葉を飲み込んだ。
涼自身が千絵美から聞いた、「雫ちゃんは私を特別扱いしない大切な存在だ」という言葉が嘘だったとは思えない、千絵美は雫を捜すことにも協力してくれるとも言ってくれた。少々軽薄ではあるが、決して彼女は人を恨んだりするような気質の持ち主ではないという印象を涼は抱いている。
しかし、いくら好感の持てる相手だったとはいえ、涼は千絵美とは一度しか顔を会わせたことがない。円千絵美という人間が絶対に雫を恨んだりはしないと言い切るには、あまりにも彼女を知らなすぎる。
その点、志保子らは千絵美の同級生でもあり、親しいとまではいかなくとも、毎日同じ空間で勉強をしている近しい人間である。そんな彼女の意見を軽んじることは出来ない。
「だけど、遅刻を注意されたくらいで恨みはしないだろう?」
千絵美側に寄った意見であることは重々承知しながらも、涼はあえてそう志保子に聞き返した。雫が千絵美の遅刻を注意していたという事実は、千絵美本人からも聞いてるし、恨みの理由としては弱すぎる。
「千絵美が雫に叱られてから、廊下で呟いているのを偶然聞いた。あの時千絵美、『許さない』って言って凄く怒ってた」
「怒ってた?」
その話は、涼の持つ印象とは異なる千絵美像を想像させた。千絵美本人は自分を怒ってくれる雫を大切な存在だと語っていたが、それでは今回の話と矛盾が生じてしまう。
「それに千絵美、同じクラスだから学校行事とかの雫の写真を持ってるはず。暗黒写真も出来たはずだよ」
ひょっとしたらあの時の話は、印象を良くするためのポーズだったのだろうか?
そこまで考えて涼は頭を振った。どうしてもあの時の千絵美とのやり取りを否定することが出来ない。
千絵美が白であれ黒であれ、もう一度会って話をする必要がある。彼女の連絡先は聞いているし、コンタクトは取れるはずだ。
「ありがとう。参考になったよ」
志保子に礼を言うことは忘れなかったが、混乱のあまり笑顔を作る余裕はなかった。
「他に気になる人物とかはいるかな?」
「心当たりのある名前は全て出尽くしました。雫ちゃんは優秀だったので、嫉妬していた人もいたかと思いますが、流石にその全ては把握しれきませんし……」
彩乃は申し訳なさそうに閉口したが、涼からしたら岩清水やストーカーらしき詰襟の男子生徒の存在を知れただけでも上々の収穫であった。
「貴重な話を聞かせてくれてありがとう。お礼って言うわけではないけど、ここは奢るよ」
まだ正午前ではあるが、ランチタイムも始まっていたのでメニューは豊富だ。
「お構いなく。そもそも私達の方から協力したいって申し出たんですから」
「何を食べよう」
彩乃は遠慮がちに手を左右に振っていたが、その横ではちゃっかりと志保子がメニューを広げていた。二人のギャップに涼は思わず吹き出す。
「ちょっと、志保子ちゃん」
無遠慮な友人の様子に彩乃は苦笑し、志保子の肩に手をかけて揺すったが、志保子本人は微動だにせず、メニューと格闘を続けている。
「人の好意を無駄にしてはいけない」
メニューから一切目を逸らすことなくそう発言する志保子の姿には、先達(せんだつ)の如く説得力がある。
彩乃はその後も申し訳なさそうに渋っていたが、最終的には断るのも逆に失礼だと考え改めたようで、志保子からメニューを受け取った。
「遠慮はしないで」
涼が一応そう付け加えると、志保子はもちろん、今回は彩乃も控えめに笑いながらも素直に頷く。
数分メニューと睨めっこした結果、涼がカルボナーラと烏龍茶、志保子がオムライスとオレンジジュース、彩乃がパンケーキセットと紅茶をそれぞれ注文した。
「せっかくだから、学校での雫のことを少し聞かせてもらってもいいかな? 自分で言うのもなんだけど、面と向かって雫とそういう話をする機会って以外と少なかったから、この機会に知りたいと思って。本当は、本人から聞くべきことなんだろうけど」
「私達にお話しできることでしたら喜んで」
涼の願いに二人は快く頷いた。
「雫は、学校ではどんな感じなんだ?」
「そうですね。いつでも明るいムードメーカーで、それでいてとても優しい子といった感じでしょうか。行事の時には率先して皆を引っ張っていてくれますし。クラスメイト達には失礼ですが、雫ちゃんがいなかったら、うちのクラスはもっとつまらないクラスになっていたと思うんです」
「雫は勉強も凄く得意。私が苦手な数学、よく雫が教えてくれた。ここだけの話、先生よりも教えるのが上手だと思う。それでいて運動神経もいいんだからまさしく超人」
「超人か。まさしく雫らしいな」
烏龍茶を啜りつつ、涼は表情を綻ばせた。
昔から雫は人並み以上に何でもこなし、周囲からの信頼も厚かった。そういうところは高校生になってからも健在だ。
「でも、雫にも一つ直した方が良い部分があった」
「直した方が良いとこ?」
含みのある笑みを浮かべて指を立てる志保子の言葉に、涼は興味津々だ
「ずばり」
そう言うと志保子は、真っ直ぐと涼を指差した。
「ん?」
いまいち意味を理解出来ず、涼は小首を傾げる。
「志保子ちゃん、それじゃあ説明になってないでしょう。それと人を指差したら駄目だよ」
口振りから察するに、彩乃は志保子の言わんとしていることを理解しているようだった。
「すみません涼さん。えーと、つまりですね。雫ちゃんの直した方が良いことというのは、涼さんに関係がありまして」
「俺が? 何故に」
「涼さんは知らないと思いますが、雫ちゃんの学校での発言が……何といいますか」
「ここまで来てだんまりは無しだぜ? 遠慮しないで教えてくれ」
彩乃は「困ったことになった」と言わんばかりに志保子を横目で少し睨んだが、ここまで来たら言わないわけにはいかないと観念し、渋々語り始めた。
「……雫ちゃん、いつも涼さんの話ばかりなんです」
「……俺の? 何で?」
「雫はたぶん、ブラコ――」
「こら、志保子ちゃん!」
慌てて彩乃は志保子の口を塞ぎにかかったが、もうほとんど言い終えていたため、大した口封じにはなっていない。
「いやいや、それはないって。別に仲が悪い訳じゃないけどさ、そんなブラコンなんて感じはまるで無いぞ?」
確かに雫は何かと涼の世話を焼きたがるところがあったが、それも過剰という程のものではない。近すぎず遠すぎの程よい兄弟関係を築けていたと涼は自負している。
「……でも学校じゃ本当に涼さんの話題が多かったんですよ。例えば雫ちゃんのことを誰かが褒めれば、雫ちゃんは「涼ちゃんには負けるよ」と言ってみたり。理想のタイプはって言えば「涼ちゃんみたいな人」と言ってみたり。冗談めかして言ってる感じではあるんですけど、どう考えても涼さんの名前を出し過ぎているとは思いませんか?」
「……本当なのか?」
彩乃が嘘を言っているようには見えないが、それでも涼はその言葉をいまいち信じきれないでいた。家での雫の様子からは、学校でのそんな発言にはまるで想像つかない。
「本当。クラスメイトはもちろん、担任の
「織部先生の名前まで出されると、反論のしようがないな……」
冗談など言わなそうな印象のあの織部まで知っているとなると、いよいよ本当のことのようだ。涼はとうとう反論を諦めた。
「こんな馬鹿な兄のどこがそんなに誇らしいのかね。勉強だって雫の方が出来るし、俺と違って表情豊かで周りからの印象だって良いし。雫は自慢の妹だが、俺はあいつにとって自慢の兄である自信はないよ」
謙遜しているわけではない。周囲には双子なのにどうしてこんなに差が着いたのかと揶揄されたこともある。中学時代には涼が雫に対して一方的に劣等感を抱き、関係がギクシャクしてしまった時期もあるくらいだ。
決して涼が人よりも劣っていたわけではないが、比べられる相手が悪かった。そうした周囲の目に嫌気がさした涼はいつの間にか向上心を失ってしまい、何事も程々にこなすようになってしまったという経緯がある。
これによって肩の荷が下り、涼には雫と正面から向き合う心の余裕が生まれた。兄妹の関係も現在のように良好なものへと変化していったので、結果的には良い方向へと進んだわけだが、それでも涼は時折、雫を言い訳にして努力をしなくなってしまったことに自己嫌悪を覚えてしまうことがある。
「そこまで自分を卑下する必要はないですが、だけど確かに、雫ちゃんがどうしてそこまで涼さんを慕うのか、疑問には思います」
「だよな」
彩乃の物言いは厳しいものではあったが、涼は凹むことはなく、むしろ肯定的に受け止めた。
「私はそうは思わない」
志保子のその言葉は思いがけないものだった。これまでの志保子の発言はどちらかというと遠慮が無く、あまりフォローを入れるようなタイプではないと思っていなかったからだ。
彩乃にとっても志保子のこの発言は予想外だったらしく、驚きを隠せないといった様子で目をパチクリさせている。
「お世辞でもうれしいよ」
「お世辞じゃない。私、こう見えても本当のことしか言わない主義」
「本当のこと?」
「君は雫ちゃんの立派なお兄ちゃん。それは間違いない」
今まで以上にはっきりとした言葉だった。志保子は確信を持ってそう言っていることが伝わってくる。
「俺が?」
自嘲気味に笑って涼は烏龍茶を飲もうとするが、
「だって君、雫のために頑張ってる。妹のピンチに必死で頑張れるのは、立派なお兄ちゃんだと私は思う」
「俺は当たり前のことをしてるだけだよ。妹のピンチに立ち上がるのは、兄として当然のことだから」
「それで十分。その気持ちは大切」
自分が立派な兄である自信はやはり持てないが、それでも志保子のその優しい言葉は涼の身に染みた。
「そうだな」
微笑みを浮かべると、涼は負の感情を押し流すように豪快に烏龍茶を飲みほした。
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