第7話 暗黒写真

りょうくん、栞奈かんなです」


 午後5時を回った頃。山吹やまぶき栞奈かんな津村つむら家のインターホンを鳴らした。程なくして家内から玄関へと駆け足気味の足音が到着し、住人である涼が扉を開けて顔を覗かせる。


「悪かったな呼び立てて。とりあえず上がってくれ」

「お邪魔します」


 やや緊張した面持ちで栞奈は津村家の玄関を潜った。栞奈が涼の家を訪れたのは何もこれが初めてではないが、年頃の女の子として、同級生の男子宅にお邪魔する際の気恥ずかしさにはなかなか慣れるものではない。


「よお、栞奈」


 リビングのソファーには麟太郎りんたろうが深く腰掛け、栞奈に向かって陽気に手を振っていた。


「相変わらず、自分の家のように寛いでるね」

「そうか? まあ、お前もゆっくりしてけよ」

「いや、そういうのは俺の台詞だから。それと栞奈の座るスペースが無くなるからもう少し端に詰めろ」

「あがっ!」


 涼は手に持っていたクッションで麟太郎の顔面に軽快なツッコミ? を入れると、そのクッションをカーペットの上に敷き自分はそこに腰を下ろした。


「栞奈も座れよ」

「それじゃあ、遠慮なく」


 麟太郎の座っていたソファーは三人掛けなので、細身の栞奈が座ってもかなりの余裕があった。麟太郎は叩かれ損だったかもしれない。


「さっそく本題に入りたいんだが、いいか?」

「もちろん。写真は用意できた?」

「ここに」


 涼はリビングのテーブルの上に置いていたアルバムを取って戻ってきた。このアルバムは一年の三学期の終わりに学校側から配られたもので、昨年の文化祭や体育祭などの写真が収められている。


「では、ちょっと長くなるかもだけど、暗黒あんこく写真しゃしんの都市伝説について大まかな解説を始めるね」


 涼と麟太郎が無言で頷き、二人の視線が栞奈へと集中した。


「もう知ってると思うけど、暗黒写真というのは対象者に呪いを掛けるための都市伝説だよ。呪いを掛けられた人は行方不明に、噂に使われている表現を借りるなら、この世ならざる場所に隠されてしまう」

「この世ならざる場所ってのは?」

「解釈は人によって分かれると思うけど、一般的にはあの世とか、深淵しんえんとか、虚無きょむとか、まあそれに関しては深く考えるだけ無駄だと思う。都市伝説の禁忌性きんきせいを演出するための表現って考えるのが自然だと思うから」

「あの世ね……」

「……ごめん、無神経だったね」


 栞奈は失言を悟り申し訳なさそうに俯いた。いくら都市伝説とはいえ、妹が行方不明となっている涼の前で『あの世』などという言葉を発したのは確実に無神経だった。


「いや、話を聞きたいっていったのは俺の方なんだ。気にしないで、そのまま話を続けてくれ」


 涼の表情には怒りや悲しみは無く、純粋に情報に関する好奇心を募らせているように見えた。今の涼は雫のために前だけを向いているのだと実感し、栞奈も自分の役割を全うすべく解説を続ける。


「それじゃあ次は暗黒写真のやり方、呪いの掛け方について教えるよ。二人はそのことに関してはまだ知らないんだよね?」

「ああ、俺が話を聞いた相手も、具体的な内容までは知らなかった」

「俺の方はしずくちゃんの足取りを追うのに集中してて、都市伝説に関しては完全にノータッチだったしな」


 栞奈は短く「成程ね」と頷くと、涼の用意したアルバムへと手を伸ばした。


「暗黒写真に使うのはね、呪いたい対象の写った写真。それも一人で写っている物じゃ駄目、最低でも二人以上で写っている写真を使わないといけないの」


 そう言うと栞奈はアルバムをパラパラとめくり、あるページで手を止めて一枚の写真を取り出した。


「例えばこの写真を使うとするよ」


 栞奈が取り出したのは去年の陽炎かげろう高校の文化祭で撮られた写真で、クラスの模擬店での一コマを写したものだ。麟太郎や栞奈、それとギリギリ涼の姿も確認出来た。


「しかし、涼の写り方は相変わらずだな」

「嫌いな物は嫌いなんだよ」


 写真の中の涼は完全に見切れており、さらにはカメラに背中を向けている。この時間帯に模擬店を担当していた生徒全員で写るはずだったのだが、写真嫌いの涼が咄嗟に身を翻したため、このような仕上がりとなっていた。


「それにしても懐かしいな、去年の模擬店か」

「盛り上がったよな、棉飴わたあめ屋」


 昨年、涼たちのクラスが行った催しは棉飴屋だ。棉飴作りの機械をレンタルし生徒達で棉飴を製作、一袋百円で販売していた。


「まずはこの写真の中から呪いたい人を一人決める。そうだな、とりあえずは麟太郎君でいいか」

「いやいや俺かよ」


 幾ら説明のための例えとはいえ、呪う対象に選ばれてしまった麟太郎は不安気に顔を引きつらせている。そんな麟太郎の様子はまったく気にせず、栞奈は淡々と説明を続けた。


「今は口だけで説明するけど、まずは写真の中から呪いたい相手をはさみやカッターで綺麗に斬りぬく。丁寧に、輪郭をなぞるようにね」


 栞奈は指先をカッターナイフに見立てて、写真の中の麟太郎の部分をなぞっていく。


「そして次に、写真から切り離した呪いたい相手の写る部分を……」


 栞奈はそこで、あえて間を貯めた。

 妙な緊張感に包まれ、涼と麟太郎はゴクリと唾を飲み込む。


「火にくべるの」


 栞奈がそう言った瞬間、突然キッチンの方から蒸気が噴きあがるような音が飛び込んできた。驚いた栞奈と麟太郎が咄嗟に身構える。


「あっ、ポットのお湯が沸いたみたいだ」


 涼の冷静な一言。話を聞くのに夢中で、お茶を入れるための湯を沸かしていたことをすっかり失念していた。


「いや、紛らわしいわ。タイミングも神がかってるし!」


 寿命が縮まるような思いをした麟太郎は思わずソファーから立ち上があり、大仰に吠えていた。


「だけどさ、例えば呪いたい相手が一人で写った写真を燃やすっていうのなら、いかにも呪いの儀式って感じで納得なんだけど、暗黒写真は何で態々切り抜いた写真を燃やす? そこには一体どういった意味合いがあるんだ?」

「スルー?」


 麟太郎に対してフォローもツッコミも無く、涼は知識欲の赴くままに栞奈に質問していた。完全に空回りした形の麟太郎は、恥ずかしそうに静かにソファーへと掛け直した。


「写真の中から特定の人物だけを切り抜くということは、その人物を現世から隔絶するという意味合いを持つの。そして、その切り抜きを燃やして消し炭にしてしまうことで、存在は完全に消失し現世へと戻ることが叶わなくなる。それを簡易的に表現したのが暗黒写真の儀式だと言われているわ」

「詳しく聞くと、確かに呪いって言葉がピッタリだな。気味が悪い」


 涼の疑問は解消されたものの、代わりに怖気にも似た気持ちの悪い感覚が体を支配していた。


「もっとも、暗黒写真に関する内容が本当にこれで合っているのか、正直言って疑問なんだけどね」

「情報通の栞奈がえらく弱気だな」

「あくまでも今聞かせたのは、茜沢あかねざわで噂されている内容だからね」

「それが何か問題なのか?」

「こういった呪いとかの噂って、必ず一定数試してみようと考える人間がいるものなんだよ。本気で恨みを抱いている人もいれば、面白半分に試してみる人もいるかもしれない。いずれにせよ噂されている内容が本当だったとしたら、呪いが成功して失踪者多数。大騒ぎになっちゃってるよ」

「それはそうだな」

「あくまでも推測だけど、茜沢で語られている暗黒写真のやり方は間違いで、それとは別に正規の方法が存在するんじゃないかな? 噂が伝播でんぱしていく過程で内容が脚色されたり、逆に重要な部分がそぎ落とされたりするのはよくあることだしね」

「……さっきから気になってたんだけど」


 麟太郎が挙手をして話に割って入る。その眼差しは真っすぐで、普段のような茶化す雰囲気ではない。


「栞奈は、呪いが存在する前提で話を進めているんだな」

「うん、私は今回の雫ちゃんの失踪は暗黒写真の呪いだと思ってるよ。二人もその可能性を感じたから、こうして私から話を聞こうと思ったんじゃないの?」


 口調こそ軽めだが、栞奈の顔は真剣そのもので、声と表情のギャップが妙な緊張感を生み出している。


「俺も涼も、暗黒写真の呪いが本当に存在するかもしれないと思っている。雫ちゃんの失踪時の様子もかなり不自然だったからな。だけどな、正直なところ完全にその線で考えるのまだ難しいんだ。多分俺たちは心のどこかでは、未だに呪いについて否定的なんだと思う。常識に囚われてるって奴だ。だからこそ教えてほしい。お前が呪いの存在を信じているその理由を」


 麟太郎は真っ直ぐと栞奈の瞳を見つめ、力強くも優しい口調でそう問い掛けた。決して栞奈を信用していないわけではないが、それでも納得出来るだけの理由は欲しい。

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