第3話 出会い 2


「ごちそうさまでした」


「はい、お口にあったようでよかったです」


 朔夜がベッドまで持ってきた朝食を食べ終え、ふと話題が途切れた時、私は気になっていたことを尋ねた。


「ねえ朔夜。私と貴方は、どういう関係なの」


 てっきり、知人か恋人という言葉を即答されると思っていた。彼となら、どちらの関係だったとしても何ら違和感がない気がするんだ。

 だが、私の言葉に彼がとった反応は、フリーズだった。時間にして5秒ほど。


「知人ですよ」


 フリーズの溶けた彼は、5秒の戸惑いなど存在しなかったようにその言葉を口にする。


 それだけで、彼は嘘が下手だということがよく分かる。


「本当に?」


「はい、勿論です。あ、そうだ明日香さん。あなたに紹介したい人がいるんです」


「え?」


 明らかに話題をすり替えられたのは分かったが、実際代替の話題の方が気になってしまった。

 彼は、私の興味がそちらに移ったことを感じ取ったのか、安心したように破顔した。


「部屋に呼びますね」


 そして、そう言うと片手開きのドアに向かって、『入ってください』と声をかけた。

 おそらく、ドアの向こうで待たされていたのだろう。すぐに銀色の円柱ノブが古めかしい音を立てて回り、失礼しますという男女の揃った声と共に2人の人物が入ってきた。



 1人は、おそらく私より少し年下の女性。茶色く長い髪を肩口で結んでいて、女性らしい優しげな顔の人だ。格好から見て、ここのメイドだろう。

 もう1人は初老の男性。染めた雰囲気のない白髪混じりの髪を、ワックスで綺麗に整えている。こちらは、燕尾服を着ていることから察するに、ここの執事だろう。


 女性は、キョトンとしている私と目が合うとにこりと笑い、男性とこちらに向って歩いてくる。彼女は今にも瞳から雫をこぼしてしまいそうで、男性の方は、静かな表情だった。


 朔夜の後ろで立ち止まると、熟練された綺麗な一礼をする。無駄のない動きだった。

 朔夜は、彼らに背を向けていたにも関わらず、2人が姿勢を正したタイミングで朗らかに説明を始める。互いのことをよく分かっているからこそだろう。


「メイド長の柚さんと、執事の明さんです。これからの生活上、2人と関わることが多いと思うので、呼びました。……というのもありますが、2人とも明日香さんと早く会いたいとのことだったので。2人とも、挨拶を」


「はい、執事の明でございます。明日香様のご回復、大変嬉しく思います」


 初老の男性はアキラと名乗り、再度綺麗に一礼をする。恐らくこの道のベテランなのだろう。無駄を省いたような動きと、すきの無い表情だ。なんとなく機械的にも見える。


「朔夜様の言う通り、メイド長の柚でございます。明日香様との再会を心待ちにしておりました。お久しぶりでございます」


 柚というメイド長は、綺麗な一礼を終えて顔を上げると同時に、大きな瞳から澄んだ雫を零した。

 彼女自体涙の存在に驚いたようで、すぐに俯き気味に他所を向くと、ポケットから取り出したレースのハンカチでそれを拭って向き直る。

 正直、どう反応すればいいか分からなかった。


「あの……、私は以前も2人と会ったことがあるの?」


 恐る恐る口にした言葉は、やはり正解だったらしい。明さんの態度に変化は一切ないが、柚さんはもう一筋零す。それが返事なのだ。

 それを背後で感じ取ったのか否か、朔夜がすかさず問いに答えをくれた。


「はい。事故の日以前も、何度かここに来ていましたから。その時2人と会っています。特に柚さんとは仲が良かったようで、ずっと明日香さんの目覚めを待っていたんです」


 それを聞いて、虚しくなった。

 やっと訪れた再会の場に以前の私はいないのだ。今の私は、2人は疎か朔夜や自分のことすら分からない明日香という名前の女。


「そうだったんだ。ごめんなさい、何も覚えてないの」


 自分でも歯痒かった。どうして誰のことも覚えてないのだろう。覚えてさえすれば再会を喜べたはずなのに。そう強く思った。


「明日香さん、大丈夫ですよ。ここにいる僕を含めて皆で歓迎します」


 そう言って私を安心させるように微笑んだ後、だから、自分を傷つけないでくださいと付け加えて私の拳の上に片手をそっと重ねた。

 その動作が、あまりに自然で一瞬反応が遅れてしまった。

 理解が信号として届いて、すぐに飛び退くように手を素早く引っ込めると、すみませんと言って彼も手を引っ込めた。そして、少し傷ついたような顔をする。


「ビ、ビックリするじゃない……」


 庇うつもりは無かったが、手を払われた彼の顔があまりに捨てられた子犬のようで、ついそんなに言葉を口にする。


「すみません、きつく手を握り込んでいたのでつい……」


 言われて初めて気づいた。いつの間にか作っていた拳を開くと、少し伸びた爪の跡がくっきり付いている。


「ごめん、気づいてなかった」


「いいんですよ」


 そう言った彼の笑顔からは、他意が無い事が伝わってくる。どこまでもいい人なのだ、この人。


 2人して、その後10秒ほど無言で見つめあっていたらしい。遠慮のない咳払いで我に返ると、私を一瞥した明さんは「朔夜様」と、彼に丁寧に声をかけた。


「ああ、そうでした。挨拶も済んだ事ですし、明さんは仕事に戻って構いませんよ。柚さんは、今日1日明日香さんにこの家のことを教えてあげてください。可能であれば家の案内も」


「承知しました」


 振り向くとすぐに的確に指示をした彼は、私の方に向き直り、名残惜しそうに口を開いた。


「すみません明日香さん。せっかく今日から動けるというのに、僕は仕事に行かなくてはいけないのです。終わったらすぐに帰ってきますのでそれまで、無理はなさらないでください。いいですね?」


 私が、呆気に取られながらもなんとか頷いたのを見届けると、満足したようでそそくさと部屋を出ていった。

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