新・聖弓魔法奏団(4)

 魔法研究所の裏庭でひとり寝そべっていた。本日の大規模演習で再び包帯姿になった右腕を眺めながら問題に頭を悩ませる。


 不意に顔を上げると男が立っていた。黒い上下の衣服に身を包み、精悍せいかんな顔から鋭い眼光を放っている。髪は銀色、面差おもざしは以前と変わっていない。


「デスティン!」


 跳ねるように立ち上がって男の名を叫んだ。1年ぶりだろうか。かつて魔法兵団長を務めた男の顔は端正なままだったが、右目には黒い眼帯が掛けられていた。


 過去の映像が湧き出るかのごとく頭によみがえった。研究所地下に投獄されたこと、ティータが戦場で怪我を負ったこと、リューゾが志半ばで息絶えたこと。許せるわけがない。燃え盛る怒りが身体を突き動かした。


 力をこめた右拳みぎこぶしが銀髪の左頬ひだりほおを捉える。染みのある右脚にふんばりがきかず、意思に反して体重の乗らない一撃が入った。デスティンはびくともしなかった。今度は左足を強く踏みこみ、左拳を銀髪の右頬に浴びせた。弧を描いた拳は今度こそ頭部を揺らした。黒衣をまとった身体がぐらついた。


 デスティンも黙っていなかった。右拳に力を入れ、まっすぐこちらの顔面をつらぬいた。衝撃を支えようとした右脚がバランスを崩し、あやうく後ろに倒れそうになった。


「……相変わらず、無鉄砲な性格は変わらないようだな」


 脳裏に染みついた高飛車な物言いが耳に響いた。私はもう一撃、左の拳をふるった。彼は全く無防備のまま右頬に拳骨を受けた。効いてはいるようだ。さらに同じ一撃を加えようとしたとき、銀髪の下に掛かった右目の眼帯が視界に入って急に怒りを削がれてしまった。


「右目は昨年の戦闘で失ったのか?」


「……そうだ。治せず仕舞じまいだ。おかげで視野がせばまり、下手くそな拳すらよけられなくなった」


 私は黒い服装に身を包んだ銀髪の魔法士の容貌を改めて眺め、ため息を吐いた。


「デスティン、お互い相手の負傷箇所を攻めての殴り合いは公平フェアじゃない。質問にだけ答えてもらおうか」


 銀髪の下にある顔が頷いた。そのために来たとばかりに真剣な面持ちに変わった。


「デスティン……半年ほど前に、エキスト元教官に会ったよ。相変わらず俺を憎んでいるようだった。他にも憎んでいる者はいると言っていた。お前に聞きたいのは影の王との決戦のとき、なぜ俺を殺そうとしたかだ」


「エキスト先生は何も話さなかったのか?」


「精神的に追い詰められているようだったから、無理やり聞き出すことはしなかったが……自分は許可しただけだ、と言っていた」


「そうか……」


 銀髪の青年は動かず目をつむって過去を振り返っているようだった。再び目を開いたとき表情には後悔の念がにじんでいた。


「エキスト先生の言ったことは本当だ。俺も先生もアキムを憎んでいたが、嫉妬しっとしていたという点では、俺の方が深刻だったな……。だから投獄したときも手はずは俺が整えた」


 平然とした様子で無法を説明する口ぶりに怒りを感じ、語気を荒げてたずねた。


「百歩譲って投獄したことは良しとしよう。だが……命まで奪おうとしたことは許せん。俺だけじゃない。おまえのした愚行で、後輩のひとりが困惑したまま死んだんだぞ!」


 銀髪の下の目がくもって地面に向けられた。


「謝って済む問題ではないが、取り返しのつかないことをしたと思っている」


 私は良識の足りない元同僚に飛びかかって、初歩的な道徳精神を叩き込んでやろうとした。先んじてひとつ確認した。


「主犯はおまえなんだな」


 銀髪の頭が縦に振られることはなかった。思いつめた眼差しが蛮行を躊躇ちゅうちょさせた。


「おまえが殺そうと提案したんじゃないのか?」


 デスティンは何も答えなかった……。どういうことだ? デスティンでもなく、エキストでもない……。


 自分を殺そうとするほどの敵意を持つ者など他にいなかったはずだ。落ち着いて記憶を整理した。影の王との戦闘で害敵もろとも葬り去ろうとした手段は、後輩リューゾの魔法具に細工したことだった。魔法具に……。


「もしかして、レッドベース先輩なのか?」


 思いがけず世話好きだった先輩魔法士の名前を口に出した。実行可能な立場というだけではない。過去に何度か目にしたことのある先輩の思いつめた表情が脳裏によみがえった。


「……故人のことを悪く言うもんじゃない」


 銀髪の隻眼せきがんが遠くを見るように空中の一点へ向けられた。古い記憶をたどっているようだ。悲しげな表情が真実を伝えていた。エキスト教官の残した言葉が再び頭に響いた。


「おまえにいてもらっては面倒になると考える者はいくらでもいた……」


 強張こわばった顔と充血した目つきは忘れようと思っても消えることがない。


「レッドベース先輩は面倒見の良い人だった」


 デスティンは銀色の頭髪を風になびかせながら口を開いた。


「君に対して劣等感を抱いていた俺の相談に何度も乗ってくれた。俺に足りないものは何か、どうすれば魔法研究で結果を出せるのか、懇切こんせつ丁寧に教えてくれたよ」


 重い鉄槌が頭を打った。自分が思い違いしていたことに気づいた。レッドベースは私に対してだけ世話を焼いていたわけではなかった。誰に対しても気を遣い、目をかけていたのだ。むしろ自分だけ特別だと考える方が虫の良い言い分だ。


 エキスト元主任の研究班にいた者たちは、教官からの影響もあって私に対して良い感情を持っていなかった。赤髪の長身魔法士はデスティンたちと長い時間を共有していた。いつの間にか先輩も周囲に感化されていったのかもしれない。時折、見せたことのある険しい表情は、彼の心の内で繰り広げられた葛藤が作り出したものだったのだろうか……。

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