Ver3.3 勝敗の行方

勝敗の行方(1)

「……起きてください!」


 唐突に身体を揺り起こす声が聞こえたので、魔法研究会議で居眠りでもしたのかと驚いて目を覚ました。金色の太陽から激しい光が地面に降り注いでいた。


「生きていらっしゃいますか? 動けますか? 返事ができるようなら答えてください!」


 随分乱暴な起こし方だな……不満げに顔を上げると白亜はくあのローブを着た魔法士が数名、目の前に立っていた。背中に覆いかぶさっていた大きな塊は取り除かれ、うつ伏せのまま黒い粘土の中から掘り出されたようだった。


 立ち上がろうとしたが、右足の違和感が邪魔して再び前方へ倒れ込んでしまった。腕や背中にはまだ粘土の欠片かけらがくっついており、衝撃で地面にがれ落ちた。


「良かった……。生きていらっしゃるのですね?」


 顔を近づけてきた若い魔法士に「ああ」と合図を送った。片足が脳の命令を受けつけない。影の子に触れられた右脚は、大腿部だいたいぶから下の感覚がなかった。不自由なりに体勢を整えて、衣服に残った黒い残りかすを叩き落とした。


「生存者がいたぞ!」


 他の魔法士が声をあげた。私は依然いぜんまどろみの中にいたが、照りつける直射日光の下、言葉の意味をどうにか理解した。生存者なのだ。真っ青な空を仰いでも影の王の姿はない。現時点で無事なら生還できるだろう。一晩中なにか重い物を背負っていたせいか、肩のあたりに鈍痛を感じた。右手で左の肩を揉みほぐそうとしたが、今度は手のひらの方に激痛が走った。


 両手とも火傷やけどの跡が生々しく残っていた。右手が特にひどい。


 背筋を伸ばして周辺を確認した。目を閉じる前と変わらぬ乾燥した平原が茫漠ぼうばくと続く。昨日と異なるのは周囲数百メートルにわたって黒い粘土状の物体が地面を覆い、おそらく魔法士だった残骸が数え切れないほど横たわっていることだ。


 それらは個別に存在している印象はなく、広大な黒い粘土が本体であり、時折人間の輪郭をした部位が飛び出しているようだ。目の前に広がる光景が力尽きた者の成れの果てなら、生存者はさぞ珍しいだろう。


 夜中に一度意識を取り戻した際に覚えた重量感の正体は、背後を見て判明した。小柄でずんぐりした人型の粘土が表面をいびつに変形させて転がっていた。


「大きな塊があなたの背中におぶさっていたんです。重かったでしょう?」


 粘土は右腕の手のひらを突き出した姿勢のまま、硬直したように固まっていた。


 リューゾだ……。顔で見分けがつかなくとも体型から見知った人間であることを確信した。今しがた引き離したからか、腕と思わしき先端に自分の背中と一致するくぼみが見受けられる。


 何か踏みつけた。自分が埋まっていた場所のそばに魔法具が落ちていた。地べたに散乱している手袋の数々は誰かが物色した後のような気配を漂わせた。形状と種類から私の懐から落としたものに間違いない。一枚一枚手に取って確認しながら、ちり土埃つちぼこりでかろうじて白亜はくあ色を維持するローブの内ポケットにしまい込む。


 ひとつを除いて所持していた枚数を回収できた。無くなったのは土属性の魔法具1枚……砲台役だけが持つ番号の振られていない治癒の手袋だった。代わりに別の魔法具……「1601番」、私の番号が刻まれた遠隔治癒の手袋が半ば破れた姿で残されていた。推察するに、リューゾが持っていたものだろう。


 リューゾは支援役の魔法士だ。治癒に関しては1601番の魔法士を遠隔から回復する手袋しか持っていなかった。


 もし、地面に落ちている手袋が戦闘中に破損したものだとしたら、私に土属性の魔法弾を送るため、番号の無い魔法具が必要だったはずだ。彼は地面に散らばった魔法具の中から土属性の手袋を探し出し、直接背中の刻印から治癒を試みたのかもしれない。それなら堅い粘土と化した腕が自分の背中にくっついていたことも、魔法具が物色されたことも説明がつく。


 リューゾとよく似た人型の粘土に近づき、仰向けに倒れた姿勢のまま前方へ突き出している手のひらに触れた。魔法具を身につけている……間違いなく私が懐から落とした手袋だ。


 土属性が持つ治癒の効果は影の子が発する有害な液体から人体を守る。私は戦闘中、うつ伏せに倒れ意識を失った。黒い粘土と化したリューゾの姿を見ていると、彼が自分の背中に手を当て、影の子に襲われながらも懸命に回復させようとしている情景が浮かんできた。


 急に目頭めがしらが熱くなった。ずんぐりした後輩とは簡単にわかり合えないと思っていたが、彼なりに人間関係を真面目に考えていたのだろう。それどころか、己の命に替えて魔法士の責務を果たそうとした。


 リューゾは以前から不器用な男だった。どこか自分と同じ匂いを仕草から感じることがあった。向こうも同様に似た何かを感じていたのかもしれない。心から謝罪したかったが、リューゾは変わり果てた姿になってしまった。


 足元に落ちている破れかけた手袋を拾い上げる。手のひらを向けても何も反応せず、小柄でずんぐりした体格の魔法士を困らせた魔法具だ。破れていない部分を丁寧に調べると、番号のあたりにあらかじめ細工をした痕跡こんせきがあった。


 1601番の魔法士を対象としたものではなく、161番を対象とした刻印を巧みに誤魔化した形跡が見て取れた。


 1部隊内に60番台はなく該当する魔法士は存在しない。これでは距離を隔てて土属性の魔法弾を放とうとしても届くわけがなかった。リューゾがずっと苦笑いを浮かべていたのは、自身の能力に問題があると疑っていたからだろう。努力次第で解決できると信じていたからだろう。誠実で不器用な男だ。責任を放棄して逃げ出せば助かったかもしれないのに……。


 目の前で仰向けに転がっているリューゾの遺体を直視すると、最期の苦しみが伝わってくるようだった。涙をこらえることができなかった。大粒の涙が両眼からあふれ出た。私は救助に来た魔法士たちの目をはばかることなく嗚咽おえつを漏らして泣いた。涙は止まらなかった。


 自分は影の王との対決に際し、砲台役の任務と幼なじみの安全だけを考えていた。魔法研究生の先輩としては心構えがあまりに稚拙だ。心から仲間の命を救おうと考えていたのは支援役の不器用な後輩魔法士だった。最後まで彼の良さを認めてやることなく、挙げ句の果てに死なせてしまった。


 しばらくして泣き止んだ私は、黒い粘土で固められたリューゾの腕を両手で握り、彼の思いと責任感を無駄にしないことを誓った。


 手のひらに走る痛みに耐えつつ腰を下ろした。身体のあちこちが痛んだ。右足は1本の棒のように動かず、歩くのは骨が折れそうだ。気を抜くと地面に倒れこんでしまい、埋まった黒い人型の一部になりそうだった。せっかく助かったのに……。


 言いようのない気だるさを感じ、近寄ってくる魔法士に対して一声かけた。


「影の王よりも巨大な睡魔が襲ってきたんだが……もう少し眠っていてもいいだろうか?」


 若い魔法士はひきつった笑みを浮かべた。

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