影の王攻略戦《魔法暦94年》 前編(2)

 正午よりも老いた太陽が世界を真紅に染め上げ、昼と夜が入れ替わるとき、黄昏たそがれ間隙かんげきを縫うようにして薄墨うすずみ色の球体が上空に姿を現した。はじめて間近で見る「影の王」の姿……。上空100メートルを倍する高さに浮かぶ直径100メートルの巨体。魔法士のほぼ全員が視線を釘付けにされた。


 大きさは魔法研究所の外壁を含めてようやく同等か……。自分たちの本拠地すら見劣りするのだから恐れ入る。魔法士は影の王の体内で行動しているようなものだ。


 夕暮れに漂う半透明の黒い姿は遠距離から眺めている時と変わらないが、透明度が時間の経過とともに上下し、時折、実体を現したかのように明瞭な姿を見せる。表面は漆黒の液体に覆われ、水が波立つようにうねっていた。


 情報では体表を包む液体の一部が地面に落ちて影の子となる。4年に一度活動する機会が来るまで地下に潜伏しているようだ。なぜ一定期間沈黙を保つのか、影の王や手下たちに動機というものが存在するのか、超常物体を巡る問題は不明なままだ。


 疑問をかき消すように、デスティンの声が空をつらぬいた。


「攻撃用意、第二陣形直列魔法、火属性一斉発射!」


 各部隊の魔法弾供給役18名が1人の魔法士に力を集約して放つ、火属性最大の攻撃手段。第16部隊では、私が背後の魔法士たちから受け取った魔法弾を連結して撃ち出す。


 脳内に炎が燃え盛るイメージを浮かべて右手を胸の前に突き出した。まっすぐ斜め上に伸ばした腕を伝わって、数多くの炎のイメージが先端の一点に集まるのを感じる。手のひらに力を込めた瞬間、炎の矢が光条となって上空の黒い球体めがけて飛び立った。同時にVの字に展開した他15の部隊からも炎の帯が空中へ昇ってゆく。距離を苦にしない推進力こそが連結魔法弾の特長だった。


 半透明の黒い身体に何本もの炎が襲いかかった。16本の光条は全弾命中した。轟音と同時に100メートルの巨体を爆煙が包んだ。敵対する相手に魔法弾を炸裂させた実感が徐々に沸いてくる。


 「影の王」の表面が半透明だった状態から完全な輪郭を現した。見紛みまごうことなき真球、漆黒の液体に包まれた巨大な球体だ。夕闇を背景に、視界の一部を埋め尽くす「黒」は、世の中の悪を一身に集めた怪物に見える。魔法士全員が改めて脅威を実感していた。毎日おぼろげながら目にしていた天体が遂に現実へ到来したのだ。


 姿をあらわにした漆黒の塊は同時に燃え上がった。身体をえぐられた影の王は復活する予定の魔法暦100年を前に、炎を噴き出した。

 

 薄闇の広がりつつあった周囲が明るくなる。影の王を中心に伸びる火柱の一部が地上まで届き、草木を燃やしてたいまつのように決戦場を照らした。ひときわ輝いているのが灼熱に包まれた空中の標的そのものというのは皮肉な話だ。暗がりに心許なくなっていた足元が鮮明になり、正面はV字型陣形の左端……こちらから反対側となる100に加えて30メートルほど離れた第1部隊の砲台役まではっきりと見える。


 相手の出方をうかがうことなく先制攻撃するのが本日の戦略方針だ。ひとつ課題は達成された。


「攻撃用意、第二陣形直列魔法、火属性準備、1分ごとに連続発射!」


 活動を始めぬ影の王に対し、魔法弾が魔法士体内で装填され、1分おきに炎の帯が16本ずつ放たれる。私の手のひらから再び飛び出した紅蓮の光条は浅い夕闇の中、影の王の中心に吸い込まれ、表面で燃え盛る炎にさらなる勢いをもたらした。漆黒の球体は爆発の威力であちこち歪み、もはや真球ではなくなっていた。標的の全てが炎に包まれてゆく。


 一瞬、影の王の姿が赤い背景に溶け込むかのように薄くなった。燃え広がる炎も空に溶け込むように消えかけた。各部隊3本目の光条を撃ち出した後で、デスティンの命令により攻撃は中断した。あまりに無防備な黒い巨体の反応は手ごたえがなさすぎる。攻撃という行動自体が空振りに終わったのかもしれないという疑問が生じ始めた頃だった……変化が起こった。


 魔法兵団の後方より夕闇の空一面に黒い塵が現れ、影の王めがけて集まっていった。傍目はためには砂埃程度に見えたが、頭上の暗がりを凝視すると黒い液体が多種多様な大きさで、次々と上空200メートルに浮かぶ球体めがけて吸い込まれていく。どこから湧き出ているのかわからない。後ろを振り返っても地平線の彼方から飛んできているとしか言いようがなかった。


 影の王本体がゆっくり活動を開始した――。


 背景に溶け込みつつあった輪郭は、黒い塵を吸収するや否や欠損部分を修復し、元の綺麗な真球に戻っていた。影の王は再び明瞭な輪郭を魔法士たちへ見せる。


 同時に紅蓮の炎に包まれていた表面の液体が、まるで昆虫の脱皮さながらにドロリと脱げて下に落ちた。影の王から落下した黒い液体の抜け殻は炎をまとったまま着地し、粘性のある身体を周囲に広げた。


 地面に落ちた塊から無数の突起物が現れた。形状を人の姿に変え、分離して動き始める。


「影の子だ……」


 誰かがつぶやいた言葉は周囲にいる魔法士へ速やかに溶け込んだ。皆、相手が何者であるか理解したようだ。ピリリとした空気が魔法兵団を包み込んで緊張感がにわかに高まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る