Ver1.3 特任魔法研究生

特任魔法研究生(1)

 影の子を撃退してから2日が経過した。私は魔法研究所から呼び出しを受けた。朝食の余韻を味わう暇もなく、石造りの旧王城を目指す。左腕は肘から下に包帯が巻かれている。布から時折漂う甘い柑橘かんきつ系の香りをかいでいるだけで、不思議と心が落ち着いた。治癒の効果を持つ土属性の魔法と誠実な幼なじみの看病のおかげで、見るも無残だった火傷やけどは快方へ向かっているようだ。


 魔法研究所正門入り口をくぐると、左に向かって花崗岩でしつらえた大階段がそびえている。踊り場がなく2階へ一直線に続く幅広の歩廊ほろうは見る者を威圧する。私がひとり呼び出されて大階段を昇るのは初めてかもしれない。


 魔法研究所の2階は大広間がある1階と異なり、石の壁を境に複数の部屋に分かれている。多くが研究用に設けられた関係者以外立入禁止の部屋であり、中央に位置する間取りの大きな部屋が魔法士たちの集まる魔法研究会議室だ。私は木製の扉の前に立って姿勢を正し、やや間隔を空けて3回ノックした。


「アキム・ミヤザワ魔法研究生入ります」


 扉を開けて一礼した。会議室の中は外と同じく石の壁に囲まれている。奥へ向かうように巨大な木製の長方形テーブルが備えつけられ、左右に分かれた席にジョースタック魔法研究所長を中心として並み居る魔法研究士全員が腰掛けていた。


 ジョースタックがひげを豊かにたくわえた顔を上げて、訪問者の私に語りかけた。


「おお、アキム君か。左手の火傷は災難だったね」


 左腕の包帯を一瞥いちべつしながら、とぼけた口調……。大広間で威厳たっぷりに演説していたときとは雰囲気が異なる。存外、こちらが本来のジョースタックというキャラクターなのかもしれない。


「君を呼んだ理由はわかっているね?」


「はい」


「では先日の件について説明したまえ」 


 私はひと呼吸置いてから一歩進み出て部屋の扉を閉め、直立不動の姿勢で答えた。


「一昨日の影の子遭遇に際し、とっさの判断で独自に構想中だった魔法弾の連続発射を試みました。右手から左手の刻印へ何度も魔法弾を送り循環させて右腕に蓄積し、一度に放出するというものです。調節はできず、体内の魔法力を使い切りました。また、無属性の魔法弾を想定していましたが、実戦では火属性の魔法弾を使ったことが災いしたのか、吸収しようとした左手に重度の火傷を負いました」


「ふむ……」


 テーブルの右側に座るジョースタックがうなずき、目配せした。反対側に座るエキストが口を開いた。


「間近で見たのは、私エキストと、ほか魔法士2名です。従来の魔法弾とは別次元の破壊力をもった炎の帯――赤き光の矢というべきものが彼の手から放たれるのを確認しました」


「……そうか。魔法弾を媒体として多様な目的に用いられる点は従来の研究によって明らかになっておる。火の属性は炎の塊を放ち爆炎を生じさせる。他に、土の属性はを除く対象の生命活動を活性化し、体力や傷を回復する。吸収の刻印を使って対象に留まらせることで重傷者も治癒できる。近年の成果は目覚しいものがあったが、アキム君は全く異なるアプローチをしていたようだ」


 ひとり異彩を放つ聡明な老紳士に敬意を示しつつ、はいと私は頷いた。一方で視界の端で沈黙しているエキスト教官から向けられた無愛想な視線へは、関心のないそぶりを示した……。


「魔法研究において、最も懸念していたのは威力の問題だ。影の王は山のような巨体だ。従来の魔法弾をいくら撃ち込んだところで効果など期待できそうもない。8年前……魔法暦80年に達してようやく魔法具と刻印を充分に用意できる環境が整い、魔法弾の運用といういしずえを築いたが、規模の拡大という点で研究は滞っていた。今回の影の日までに何かしらの成果を得ようと皆で協力していたのだが、結局断念せざるを得なかった。もし、光の矢なるものを安定して放つことができるようになれば、ようやく影の王と戦う『運命の日』へ実践的な準備を始められる。アキム君……魔法弾の強化について研究を進め、その手法を完成させてみないか?」


 ――願ってもない誘いだった。上気する心境を隠せず、精一杯大きな声で「やりますっ!」と返答した。おどる声が会議室にこだまして自分の耳に跳ね返ってきた。


「それでは君に魔法研究班のひとつを任せても良さそうだ」


 バンッ、と木の机を叩く音が会話を寸断した。眉をひそめて聞いていたエキストが魔法研究所長の提案に反対した。


「彼は魔法研究生です。責任をになうには未熟すぎます!」


「同じく研究生のレッドベースにも魔法研究班を率いてもらっている。前例のないことではあるまい」


「彼は素行が悪く、国家の将来を担う魔法研究の中心にはふさわしくありません」


 ジョースタックはあご髭をひと撫ですると、主任魔法研究士をにらみつけた。


「影の王の危険性を考えたら素行など些細なことだ。すべての見地、あらゆる考え方をもって対抗しなければ私たちに未来はない。エキスト……魔法研究所とレジスタ共和国の行く末を案ずる気持ちはわかる。だが、敵は礼儀正しかろうが悪かろうが関係なく我々を攻撃する。味方はひとりでも多いほうが良いだろう」


 エキストは反論の言葉が出ずに沈黙した。


「魔法研究士全体の多数決で決めようと思う。魔法研究班を率いる権限を、アキム・ミヤザワに与える。賛成する者は手を挙げて欲しい」


 14名の魔法研究士のうち10名が挙手した。


「よかろう。アキム・ミヤザワ、そなたを特任魔法研究生に任命する」


 わけのわからぬ間に重要な事柄が決まってしまった……そんな気がしたが、空転していた歯車がかみあうような感覚は不快ではなかった。


「……とその前に」


 ジョースタックが付け加えた。


「君には現在知り得ることについて全て話してもらわなければならない。責任ある役職につくのだから問題はなかろう?」


 ジョースタックは穏やかな笑みを浮かべ、澄んだ目でこちらを見据えた。


 なるほど、と納得した。高齢な魔法研究所長は一筋縄では行かない人物のようだ。今日は説明で忙殺されるだろう。






◇欄外◇【物語で扱っているコンピューター・情報技術(IT)について】


 本作「ソフトウェア魔法の戦術教本」では現実のコンピューターで動くソフトウェアを製作する手法として、C(C++)言語を用いたプログラミングを題材としています。これから本編に登場する専門用語のほか、ファンタジーの世界観で表現された内容はC(C++)言語のものです。


 ソフトウェアの概念については汎用的な情報技術がテーマです。本作は技術者でない方にも楽しんで頂くことを目的に執筆したものですが、勉強している方にとって技術習得の手助けとなれば幸いです。


 今後、この欄外にて情報技術に関する解説があります。物語とは関係ありませんのでご安心ください。

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