ボロと山じい

氷空人

ボロと山じい

 北千住、閉店後のラーメン屋。山じい、初見の客、ボロと麻雀を打っていた。ここはボロの店。喉が渇いてるけど、嫌な感じじゃあない。


 今日も一人だけ勝ってる山じい。俺たちの他に山手線でボロが拾ってきた未成年の女が一人。肩から抜けた両腕を垂らして、冷えたカウンターに頬を潰してる。


 二十代、あちらの世界の怖いおっさん等に無様な格好で走らされ、お見事、大下手を打って左足の甲に17本の釘を刺された、びっこひきの山じい。薄汚く、どぶ臭い、最悪な老人。まして口もろくに聞けない。山じいは遠の昔に世俗を離れた立派な仙人だとボロは言うけれど。なあ、無視され取り残されただけの、憑かれた人間。本当になあ。それだけだろう。


 気味の悪い奴に店の前に立たれると大変に困るってんで、ボロが店に入れた、それが山じいとボロの出会い。なあ、運命的だよねえ。


「ま、ままま、まっ、真っ赤、真っ赤でよう、真っ赤っ赤っ赤な帽子が北口に落ちでたんよ」


「それ見たら俺、昔の女を思いだしたんだ、綺麗な女でよう」


 唇の端に溜めた唾と一緒にジャックの水割りを噛み、濁った吐息を吹きかけて麻雀牌を自在に操る山じい。その魔法は山じい本人をも飲み込む。己に対して感動の溜め息を持って、また勝ったよ山じい様。この店によた足を踏み込ませて以来、いくらやろうと負け知らず。一世一代の至福に微かな戸惑いさえ見せず、在りのままの表情で静かに頷く王。


 ああ、なんてロマンチックなんだろう。だってさあ、彼は英単語を右手で書き連ねながら、左手でポコチンをさするみたく、クラシックな手口で牌を抜いてたから。俺さあ、好きなんだよ。山じいとボロ、未成年の女が混ざった、わけの分からん粉の味。彼女のフェラチオより好きかも。


 きっとボロの奴も、そんなの嫌いじゃないよね。俺やボロみたくディープな男たちだけが地下の便所で寄り合って喝采を浴びせる、仙人の、仙人による、仙人のための、しかし無自覚な、それゆえ美しい仙人、山じい様の。その姿を見て、仙人様がもし老いた猿でなく、あどけなさを供えた美人の貴婦人だったら、いったい俺はどんな格好で対面したらよいのだろうかと空想中。


 今夜も幸福に尽きた山じいが店を出て行こうとすると、カウンターで急に覚醒した未成年が彼のリュックを肩にかけて、ボロの耳にキス。あたし、駅まで山じいを送っていくよと言って、つま先で鼻歌を鳴らしながら店を出ていった。結局、未成年は山じいを家まで送り、中に入って、中に入られて、存分に楽しませた後で天国まで送ってやろうとしたとか。


「おまえ余計なことしてねえだろうなあ」


帰ってくるなり、すぐにまた空気人形になった未成年に殺気だった声をぶつけてるけど、ボロはなにも不貞が気に触ったわけじゃあない。よなあ。


終わり。


 ここで少々、深夜に俺たちのショーを見ている老若男女諸君を眠らせるための、なんら筋の通らないお話を。夜中、車やバイクを運転してて、ふっと知らない道や街中に入り込んだ時、景色や感覚は鮮明なのに、頭ん中、つまり意識だけがぼやけている不自然で自然な合間があるだろ。冬なのに助手席の窓なんか開けちゃって、目を全開にしたあの瞬間。耐え難き眠気に襲われるあの現象。そういうの分かるかい?あれの話だよ。


 朝方、俺はボロにラーメンを食わせてもらってさ、家に帰ってから効きの強い巻きものを吸ってたの。ぼーっ、ぼーっと煙にインクをぶちまけるみたくしていたら、ついには深い深い森の中に迷い混んでしまってね。そこはすごく神聖な空気に満ちてて、俺はそんなもののけの森をぼっち歩いている時に出会った虹色の背中を持つカエルをひっくり返して、そいつの透けた腹に入り口のやたら小さな映画館を見つけたんだ。そこで山じいを見た。


 上映会場に客は俺だけ。ああ、卑しい男、アランドロンもいなかった。スクリーンには俺ん家の窓が映ってた。カーテンに小指の曲がった俺の左手が伸びて、ゆっくりと、恐る恐るとそれをめくった。3Fのアパートのベランダだぜ、そこに山じいがいた。山じいは夜中だろうと店を出る時、外にいる時には必ずレイバンをかけるんだけど、その時もかけてたよ、レイバンのサングラス。それでもって歯も舌もない内側がただただ真っ黒黒な口をおーっきっく開けながら俺のことを黙って指差してた。タイミングよくさ、まんまと苦手なものに俺は引っかかる。


 俺は眼球観察の趣味があるから、レイバンをかけている人間に、男であろうが、チンパンジーであろうが、ある感情を抱かされる。例えば色白で華奢な身体つきの女に、体育座りで小さく又を開脚させて、おマンコを色色な国の様様な果物で隠させる事だけ、それだけを唯一の生きがいにしてる男の性癖の如き、歪んだ小春の感情。そんな愛らしいレイバンの奥から視線は確かに俺に向けられていた。俺がその事に気づいたんじゃない。きっと俺でも山じいでもなく、この映画館で何十年と映写機を回し続けるカエル人間によって、すべては演出されてたんだ。そうなったらさ、俺も山じいも全霊で踊る他ないよね。


 山じいの視線がさらに強まるのを感じたその時、山じいはゆっくりと肘を折って、今度は自分の顔を指差したんだ。それからじわあじわあって指を口に近づけて、少し少し、ずりずりと音も無いまま黒い口内に指を入れてった。安心して。この先はあっという間もなかったよ。俺は思わずあっと言ってしまったけど。山じいは力んで、一気に押し込むように掌、手首、肘まで口に入れた。その時、静粛だった俺と山じいの間に突然、バチィィィッッと炸裂音が響いたんだ。次の瞬間さ、山じいの口が山じいの頭を食べた。背中も足も一気にごくり。俺にはどうすることもできなかったよ。


 意識が遠のいて、気が付くと、俺はソファにもたれかかってた。床にそのまま座っていた俺の視線の先のテレビは大好きなNHKの家族に乾杯を映して、さだまさしのあの歌が流れてた。


終わり。


 次の夜、ボロの店。ボロに髪の毛を鷲掴みにされ涙をポロポロする未成年。可愛い。可愛いすぎるよう。


「それでさあ、あれから後はどうだったのさ」


俺は未成年に聞いた。


「すごくいいところだったよ。素敵な椅子があってね。それにね、すごいの、なんとなんと、その椅子の上に、あたしの愛してやまない大森靖子ちゃんのシングルがあったのよ。山じいも好きなんだって」


「あのなあ、セイコでもセイシでもどうでもいいけどよ、なあ、俺はどうでもいいことに時間を使いたくないんじゃ」


 歯をぎしぎしさせて、ボロが頭から髪の毛を引きちぎらんばかりの力で未成年の頭蓋をカウンターテーブルの角に打ちつけた。あーあー。大森靖子ちゃんのシングルはさ、あれはなあ。どこまでも純粋で愚かな山じいが未成年とどうしても生セックスがしたいとぼやいてたもんで、小粋な椅子と一緒に俺がプレゼントしたんだ。しかししかし。まったくもって未成年が可愛い女だということに変わりはないぜっ。そう思ってる間に、ボロの拳が未成年の鼻を潰す鈍い音が店ん中にガッと響いた。ボロが死ぬ程大事にしてる、そりゃもうハッピーターンのあの魅惑のパウダーをこぼしただけの客を殺さない程度でぶっ殺すぐらいの、それだけ大事にしてた麻雀卓に真っ赤っ赤な血が滴るシーンを、俺はすかさずアイフォーンで録画した。あとで変態山じいに見せてやりたいなあと思ったけども。でも駄目だ。だって実行日だから。


「でも優しいおじいちゃんだよ」


未成年は久しぶりに未成年らしい可愛い声を振り絞ってる。


「知ってるさあ」


心ん中で話したつもりだったけど、つい声に出た。ボロは俺の方を見て軽く微笑んだ。それから未成年の方に向き直って、おまえもう帰れよ、また九時にな、と言った。俺は頷いて冷蔵庫から出したハートランドの蓋を飛ばして、これからボロにぼこぼこにされる可愛い未成年に、またねをして店を出た。


 もうすぐ九時。どこかで見たなあ、この殺風。北千住、閉店後のラーメン屋。山じい、初見の客、ボロと麻雀を打っていた。ごめん、ほんとはこの店、一見も初見もいないの。だから今夜の初見の客も実は顔見知り。ここはボロの店。じゃないよなあ多分。ここ誰の店だろう。少なくとも今の今まで俺はそんな事考えたことも無かったよ。どうしてかな。今夜は初日ほど喉も渇いてないな。


俺たちの他に山手線でボロが発見した未成年の女という設定の少女が一人。肩から抜けた両腕を垂らして、冷えたカウンターに頬を潰してる、鼻はボロに潰されて青黒い。顔色も悪い。けど可愛い。


「それで結局山じいはどうだったのさ」


練習がてら演じる俺に演じて答えてくれようとする少女を払いのけて主演ボロ様の登場。


「本物だったぜ、間違いなく」


眼球内の血管をビクつかせてボロが言った。眼球を観察するまでもなく、こいつは殺る気まんまん。ちなみにボロはラーメン屋じゃない、偶に知り合った人骨の収集家。奇形趣味の好青年。


 さて皆さんのお待ちかね、ヒロインの山じい登場。初日と何も変わらない状況。だったけど、その夜、俺たちは初めて山じいとの麻雀に勝った。山じいは相変わらず器用に牌を抜いていたけど、ボロも今夜は負けるためでなく、山じいよりも慎重に牌を抜いた。


 この店はアフターサービスまでしっかりしてる。俺たちは足の悪い山じいを家まで送り、そして山じいの人生における唯一の誇りである品物を回収した。俺たちは単なる一次的なチームメイト。俺は安物は扱わない。


 俺と少女は山じいと、それからボロの処分を初見の客から買った。


「ねえねえ、おじちゃんの残してくれた銃、17つもあるんでしょう、あたし一丁買いたいなあ」


可愛らしい鼻声を出す少女に、お金はいらないからもう一度山じいの家に戻って、山じいのかけていたレイバンを持ってきて欲しいと頼んだ。


「いやよ、だってあたし、ボロのこと本気だったのよ」


ボロの死体は見たくないのか、少女は目に涙をしとしと溜めて、その姿に俺は素直に感動したから、若かりし頃、山じいが盗んだ使えない拳銃ではなく、しっかりメンテナンスされた本物をやった。何度も言うけど、泣いてる未成年はめちゃくちゃ可愛いんだ。


 ボロはむごい殺しの最中、山じいの身体の骨付きの特殊性に違和感を覚えた。なぜなら今まで自分の体にしかないと思っていた骨を山じいの体に発見したから。そして冷たい汗をボロボロと流した。すかさず少女は山じいの財布を拾って、その中から山じい、すなわちボロの父親が何十年も肌身離さず持っていた、ボロの本名が入った赤ん坊の写真を山じい、否、肉だんごのかたわらに落とした。地べたにへたり込んで、そこから狂い咲いたボロの見事な頭突き!頭割り!自滅!脳みそがだらあっと垂れてたと少女は俺に嘘をついた。


 少女を始発の電車で田舎に送った。もう一度、俺は部屋に戻って、肉だんごのリュックからレイバンを取り出した。肉だんごの財布の中には例の写真とは別に、まだ演じることを知らない赤ん坊の俺とボロが並んだ写真が一枚あった。ほらあ、すべて、偶然じゃないなあと俺は確信した。そのたった一枚の写真をそれなりの覚悟をして俺は山じいの口の中に突っ込んだ。再会したばかりの弟と親父に、俺は最初で最後の別れを捧げた。


 もしも今、眼球観察されたら嫌だなあ、ちょっとキツいなあ、なんて落ち込んでみたけど、そう思いながらもレイバンを鏡の前でかけたら、これがなかなか俺の顔にしっくりはまっていて、いやむしろよくお似合いで、きっと山じいも粋がってた頃はこんな感じだったのかなと思えば、多少気分も回復した。その後はすごく悩んだけど、結局レイバンをボロにつけてやって、代わりにボロの腕時計をもらったよ。


終わり。


 ねえ、ボロ。ねえ、山じい。俺は今夜も明日の夜も北千住にいるよ。いつかまたね。

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ボロと山じい 氷空人 @kokuhito

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