第25話 鮮血嵐土

 死が近づく。




「おにいちゃんっ!!」


「…駄目だ、来るなリエルっ…」




 後ろに逃げればリエルがいる。一度避けられても、追撃されれば彼女も巻き込んでしまう。それにどうせ、痛みでいつまでも動けないだろう。


 ならば。




「……っ!」


「おん?」




 己に渇を入れ、前に、バルヘルトンの方に飛び出した。直接毒を吹きかけてやるのだ。碌に逃げられないのならば死中に活を求めようという魂胆である。




「おうおう、良い根性だなぁ」




 しかしそんな素人考えが通じる相手ではなかった。戦斧を持っていない方の手で腹を殴られた。




「げぁっ…」




 その勢いのまま壁に叩きつけられる。口の中に血の味と嘔吐感が広がった。


 胸の次は腹か畜生め。痛い。


 いや、意図していた展開とは違うが、死ぬほど痛いという点に目を瞑れば悪くない。バルヘルトンはおれの返り血を浴びているから、その臭いに含まれる毒を吸い込んでいる筈であるが、全く堪えた様子がない。だから今度は血を顔に浴びせよう。


 おれは溢れる血をバルヘルトンへ向けて思い切り吹き出した。行儀が悪いけれども、やむを得ない。




「うおっ、きったね――ぐっ!?」


「お代わりもあるぞっ…!」


「てめぇっ…何を…!?」




 奴は顔を逸らしたので、殆どかからなかった。流石裏社会に名を轟かせた男、おれなぞが敵う相手ではないのだろうが、それでも僅かに、飛沫程度であろうが口に入ったらしい。バルヘルトンはただそれだけで大きくよろめいた。その隙に痛い怠いと文句を垂れる身体を無理やり動かして、血で濡らした手をヘルメットの下から口に向けて突っ込んだ。




「…ははっ…お前、面白いなぁ?」


「っ…」




 だが、バルヘルトンはすぐに己を取り戻しおれの腕を掴んだ。




「さっきからどこか身体の調子がおかしいと思ってたが、お前、血に毒か何か仕込んでやがったな?人間にしちゃ随分イカレてるな」




 言いつつ、もう片方の手でおれの首を掴んで力を込めた。




「つまり血が出ないようにすりゃ良いわけだ」


「…ぁ、…」




 窒息死――いや、首を折るつもりか。




 …嗚呼、おれもここまでか。いよいよ体が動かない。まだ若いのに黄泉路を辿るのは勿体ないと思うが、このような状況では如何ともし難い。


 そんなことはどうでもいい。リエルはどうなる。おれが守ると言ったのにこの有様である。




「なにっ――てめぇっ!?」


「ソウカさん、遅くなって本当にすまない!」




 己の情けなさを嘆いていると、突如バルヘルトンが声を荒らげおれの腕を放し、その手で頭上へ戦斧を振るった。


 何もない筈の空間から現れたのは、真っ黒な剣を持ったアマンシオさんであった。




 ……ここだ。これが最後の機会だ。ここで終わらせなければならぬ。


 奴がアマンシオさんに気を取られた隙に出来るだけ息を深く吹い、咳き込むように吐き出した。




「……うおぁっ!!……ぐぐっ……、て、め…!」




 ほぼ零距離で猛毒を含んだ呼気を吐いてやるとバルヘルトンはおれを睨みつけたが、何も出来ず仰向けに倒れた。


 吐いた毒は、強烈な呼吸器系と神経系の麻痺と発熱と嘔吐感を発生させるものである。




「よくやったソウカさん!」




 そう言って再度剣を構えるアマンシオさんは、満身創痍といった有様であった。今になって気付いたが彼は左の肩から先が無く、また両脚も血まみれで、またそれらの傷はまともな治療をしていないようである。だというのに勇ましくバルヘルトンに向かっていく。


 一方バルヘルトンも――未だその目に燃えるような光を宿していた。


 まだ、諦めていない。




「鮮血嵐土おおおおっ!!」


「…っがあああああ!!」




 果たして、喉を引き絞るような雄叫びとともにバルヘルトンは立ち上がった。


 奴はアマンシオさんが振り上げた剣を片腕を上げて防いだ。半ばまで刃が進んだが、そこで止めてしまった。




「なんという奴だ。あれでまだ動くのか」




 銀槍官や密猟者どもと相対したときの経験から、死んでもやむなしとばかりの猛毒を吐いたが、バルヘルトンは肉体強度的に彼らの更に上をいくらしい。




 身体の痛みを忘れて呆然と見ていると、バルヘルトンは更に戦斧を拾い上げようとしたが、その動きはひどく緩慢であった。


 ここが、奴の限界であろうか。




「くそ……んな、…ろで……」


「いいや、終わりだ…!」




 アマンシオさんは素早く剣を納めると両手を前に突き出し、何かを破るかのように外側へ大きく開いた。




 するとその空間が歪み、破れ、その奥から“何もない空間”が現れた。


 何もない。虚空。おれの知る言葉ではそうとしか形容できない。矛盾しているが“無があった”のである。




「ぐ――あ……!?」


「じゃあな、大人しくしてろよ!」




 アマンシオさんはその“虚空”にぐったりとしたバルヘルトンを放り込んだのだった。








「…やあ、ソウカさん。大丈夫…じゃなさそうだな」


「ええ…まあ」




 これで、終わったのか。


 随分と呆気ない。


 緊張の糸が切れると、今まで忘れていた痛みが戻ってきた。律義なことで結構であるが、そのままどこぞへと旅立って行って欲しかった。主に胸と腹である。


 と、そこでリエルがいないことに気付いた。


 急激に頭が冷えていく。




「リエル、どこに!?」


「大丈夫だ、テクタルク達が保護している」


「アマンシオさん」




 狼狽して頭を動かすと、アマンシオさんがそう言った。


 というか、いつの間に。




「ソウカさん、本当にすまなかった…」


「おっ」






 戻ってきた痛みに家出を勧めつつ疑問を感じていると、アマンシオさんがおれを抱き上げた。お姫様抱っこである。


 やだ…こんなの初めて…。あっ痛い。




「待ってください、どうなされた」


「どうもなにも、客人でしかも一般人のあんたにそんな怪我をするまで戦わせてしまった……あってはいけないことだ」


「ああ」




 なるほどそういうことか。


 しかしアマンシオさんが謝ることはないと思う。




「これは、おれ自身が決めた行動の結果であって…、誰かが悪いと、いうことはありません。…ああ、バルヘルトンやその他の連中は悪いですが」


「ソウカさん…」


「ご自分を、責めることはありません。むしろあの場面で、そんな怪我をしても来てくれて、感謝しています」


「…はははは、なんというか…敵わんな。だがまあ、せめてあとのことは任せてくれ。ソウカさんの治療も全てな」


「そうですか、お願いします」




 リエルも安全らしいから、もう憂いはない。


 では安心して意識を手放すことにしよう――

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