第24話 発露
部屋に戻ると、リエルは呆然としていた。その目はどこか遠くを見ているように虚ろである。
困った。
リエルはとてもニーアさんを慕っていたから、その落ち込みようもたいそうなものであった。そんな彼女にどう声をかければ良いのか。
「あ…おにいちゃん」
そんな風にずぶずぶと考え込んでいると、リエルから声をかけてきた。
「…リエル」
「……ねえ、ニーア先生は……?」
「……」
「そっか…」
何も言えず黙り込んでいると、リエルはそれで悟ったらしい。
「……ぅ……」
リエルは小さく嗚咽を漏らしかけたが、それをこらえるように唇を噛んだ。
「リエル、良いんだ。我慢しなくて良い、大丈夫だ」
気付けば、おれはそう言っていた。
そう、彼女はずっと周囲の悪意に振り回され続けてきたのに、今まで泣き言を言うことはなかった。子どもならばそんな状況に文句の一つ二つ言ったって良いはずだろう。
年端のいかぬ子どもがただ黙って理不尽に耐えなければいかない道理なぞ、ない。少なくとも感情のままに泣くことくらいは当然であろう。
おれはリエルに近づき、リエルの頭を胸に抱いた。
「おにいちゃん…、っ~~……!」
リエルはおれにしがみつき、体を震わせた。
胸がじんわりと熱く湿っていく。
これ以上何を言えば良いかわからないので、おれは黙ったままリエルを抱きしめていた。
十分ほどたったころ、ようやくリエルは顔を上げた。
端正な顔は泣きはらしたせいでぐしゃぐしゃであったが、何やらさっぱりしたように見えるのはきっと気のせいではあるまい。
「…おにいちゃん、ありがと」
「うむ」
もう余計な言葉なぞ必要ない。ひとつ頷いて返した。
「おにいちゃんと会えたのは偶然だけど、わたしすごく助けられてるね」
「乗りかかった船だからな。君がご両親と会えるまではおれが守る」
そう言いながらも、本当におれにそれが出来るのか、一抹の不安があった。しかしそれを言うわけにはいかない。
彼女の前では、強くあらねばならぬ。
「さて、下で何かもらってこようか。腹が減ったろう」
「うん、おなか空いた」
カーデラ支部の一階は、一般向けの営業はしていないが関係者はちょっとした食事をとることができるようになっている。
「おれはまたイカヅチイナゴの揚げ物が食べたい。あれは本当に美味しいな」
「おにいちゃんあれ好きだよね。わたし虫はちょっと…」
「むむ、リエル、好き嫌いは感心しないな」
「そんなにたくさんきらいなものないよー。おにいちゃんはきらいな食べ物ないの?」
「その辺を走り回ってた鼠は不味かった。あれはもう食いたくないな」
「鼠って――」
その時。
どおおおん、だかがあああん、だか、とにかく轟音が響き渡り、同時に強い揺れを感じた。おれ達は二人揃ってふらつき、リエルは尻餅をついた。
「ああもうなんだ一体…リエル、大丈夫か」
「ん、うん」
リエルに手を貸していると、今度は複数の怒号と破壊音が耳に入った。どうやらただごとではない。
「リエル、おれから離れるなよ」
何だかよくわからないがそう言いつつ、次の行動を考える。
何者かが戦っているとしか思えない。それも喧嘩どころではないのだろう。
ぞわりぞわりと、頭皮が引っかかれるような感覚を感じた。
どうする。
このまま動かない方が良いのか、それとも他の誰かがいるところに行くべきか――
「おにいちゃん逃げて!!」
リエルがその小さな身体に見合わぬ凄い力でおれを引っ張った。火事場の馬鹿力か、とちらと思ったが、それどころではないようである。
ほんの数秒後、彼女に従って良かったと心から思った。
壁が爆発した。
そう勘違いするほど圧倒的な力で粉砕されたのだった。
幸いなことにさして怪我はなかったが、粉塵で視界が遮られてしまった。
「んん?なんだぁお前?」
手で払おうと無駄な努力をしていると、何者かから声をかけられた。
知らない声である。しかし妙に嫌な感じがした。
「おにいちゃん!!」
「おいそこにいるやつ、逃げろ!鮮血嵐土だ!!」
リエルの次に投げかけられた声は、アマンシオさんのものであった。
そんなことはどうでもいい。鮮血嵐土だと?
考えを巡らせる間もなく、薄くなった粉塵の霧の向こうに何かが振り上げられているような影が見えた。とんでもなく不吉な予感を感じて死に物狂いで後方へ飛び退いた。
だが。
「おにいちゃん!?」
「…っくううう、ああ…!?」
痛い痛い痛い熱い熱い痛い熱い痛い痛い
…浅くだが、おれの胸が熱い袈裟懸けに切り痛い裂かれた。いや、本当に浅いのか、血が、痛い吹き出してい痛いる。
痛い。
「っく……」
駄目だ思考がまとまらない。痛い。熱い。何だこれは。胸が燃えているかのようだ。
胸を押さえてのたうち回って叫びたい衝動に駆られたが、それだけはいけない。半分はリエルに心配をかけてしまうから、そしてもう半分は――
「…ああ、お前か?うちの連中を悉く追っ払った奴ってのは。にしちゃあなぁんか弱っちそうだが、ほんとにお前なのか?」
突然現れたど腐れ世紀末野郎への意地である。
…まだ胸の傷は痛いが、少しずつ慣れてきた。今は一定の感覚で疼いているに留まっている、と思い込むようにしている。
「おれだとも、ど腐れ世紀末野郎め」
世紀末というのは、目の前の男――鮮血嵐土がそんな風な格好をしているからである。
暑苦しく筋肉のついた身体は上半身は素肌の上に革の黒衣を羽織り、下はゆとりのある同色のズボン、そしてまたもや黒いエンジニアブーツのような靴である。頭にはヘルメットだか兜だかを被っていた。
そしてその手には長大な斧とも鎌ともつかぬ武器を持っていた。あれでおれを切り裂いたのだろう。
見た目からして柄の悪そうな奴である。
「せいきまつ?確か異界の人間なんだっけか、よくわからん言葉を使うな。まあ良いか、いい加減お前にゃ死んでもらうわ」
何も良くない。
この男が“鮮血嵐土”アダムズ・バルヘルトン。
恐らくとても強いのだろう。戦闘力なぞ測れないが、殺意だか戦意だか知らないが、ともかく強烈な圧迫感を感じる。
おれの十八番の毒は通じないだろう。と言うより、食らわせる前に殺される。直接対面して改めて思う。
「じゃ、あの世では達者でな」
「――っ」
考えている間に、バルヘルトンは至極軽い調子で戦斧を振り上げた。
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