第20話 不穏

 生活の拠点が孤児院になって六日が過ぎた。

 おれもリエルも変わらずのんびりと過ごしている。



「えー、その人辛いの苦手なんだろー?それでどうなったんだ?」

「うむ、その激辛を食べた浩輔こうすけは一口で限界を迎えてな。それで口から火を噴いて店を燃やしてしまったのさ」

「あーあー」

「かじじゃん!」

「かじだー!」

「まあ全部燃えたわけではなかったからまだましだった」

「大丈夫だったんですか?」

「怪我人はいなかった。そして店が再開すると、浩輔を待っていたのはただ働きの日々だった、という話だ」


 授業終了後。

 そんな学生時代の話をしていると、不意に郷愁の念に囚われた。こちらの世界に来てからあまりそんなことを考えたことはなかったのだが。


 辛いものが苦手なくせに好きだった浩輔はそのカレー屋で作ることの魅力を知り、卒業してからもその店で働いた。いつか独立するんだと息巻いていたが、彼は元気にしているだろうか。


「ソウカ先生?」

「ああ、なんでもない」


 まあ、いい。

 帰る当てなぞないし、仮に帰れるとしても今のおれはそれを望んでいない。もし帰るとしたら、この世界の端々まで巡り、これ以上知らないことがないというくらいになってからだ。



 おれは平和だったのだが、ギルドの方は、というより街全体の空気がよろしくない様子であった。

 その原因がアダムズ・バルヘルトンである。今までその存在が示唆されていたが、とうとうその姿が確認されたのだった。


 昨日ギルドに立ち寄ったとき、アマンシオさんからそう聞いたのだった。

 リエルがカラムと遊んでいる間に、おれ一人を呼び出したのであった。


「噂は噂であって欲しかったんだが、そうはいかなかったみたいだな。……それと」


 そこでアマンシオさんの声が小さくなった。


「こないだ言った、バルヘルトンと戦った俺の知り合いなんだが…あれはハビラスのことなんだ」

「リエルのお父さんですか?」

「ああ、あんときはリエルがいたから言えなかったがな。まあバルヘルトンがいなかったらそもそもあんたにだって言うつもりはなかった」

「そうですか」


 確かにリエルが知れば、いらぬ不安を与えることになると思う。

 おれだって不安になった。どうやらバルヘルトンとリエルにはそのような因縁があるらしい。

 ……ああ、いや。因縁といってもかつて戦ったことがあるというだけか。バルヘルトンは戦闘狂らしいから、そやつにとってはリエルのお父さんのことなぞ有象無象に過ぎぬのではないか。

 そう言うと。


「残念ながらそうじゃない、と思う。今のバルヘルトンがどれだけ気にしているか知らんが、あのときのあいつは怒り狂ってたって話だ」

「なんと」


 一体何をしたのだろうか。

 では、もし今もバルヘルトンがリエルの父を恨んでいるのだとしたら。


「リエルが攫われたのは、偶然目を付けられたからではないと」

「ああ。バルヘルトンはハビラスに一泡吹かせたい。やつの雇い主の盗賊達は……まあ、エルフは金になるからな。そう考えると互いに利害が一致するわけだ」

「陰謀ですな」

「ま、不自然じゃないってだけで、そうと決まったわけでもない。ただ――」

「辻褄は合うから一応その可能性を考慮するべきだと」

「そうだ」


 それはまた恐ろしい。

 それに“一応”と言えど、それが現実であったときのために第一に考えるべきであろう。

 杞憂であったならばそれで良い。だが偶然に過ぎないだろうと高を括るのは危険だと思う。


「こちらに戻ってきた方がよろしいですね」

「そうだな。夜中に孤児院を強襲する可能性もなくはない。それはいくらなんでもリスクが大きいからやらんだろうが」

「それもまた、現実になってからでは遅いですからね」


 考えられる限りで最悪の状況を仮定して動かねばなるまい。

 それにしても鮮血嵐土とかいう仰々しい二つ名を持っているくせに、本人ではなく娘を狙うとはせせこましい輩である。


 ともかく、それが昨日のアマンシオさんとの会話であった。



 そういう次第で、またギルドで生活することにするとリエルに言った。

 無論事情は説明していないが、カーデラの不穏な空気はリエルも察していたらしく、すぐに納得してくれた。ただとても残念そうではあったが、それは仕方がない。


「ほとぼりが冷めたらまた来ればいい」

「うん、そうする」


 わがままを言わない良い子である。

 だが、もし一度攫われたからこうなったのだとしたら、少し辛くも感じる。子どもならばもっと奔放であって欲しいと思う。


 リエルの説得は一分で終わったが、孤児院の子ども達はそうもいかなかった。


「えー!」

「なんでー!」

「無念なり」

「いやです…」


 まあ予想はできていたが、こうなった。

 

「こーら、リエルちゃんを困らせないのっ」


 ニーアさんがとりなしたが、子ども達は不満そうだった。まあ気持ちはわかる。

 それにそういうニーアさんも残念そうであった。


「でも、本当に行ってしまうんですか?」

「ええまあ、色々ありまして」


 心配してくださっているのに嘘を言うのは心苦しいが、本当のところを言うわけにもいかぬ。

 最終的に、渋々とだが皆納得してもらえた。



 別に今生の別れでもないのだが、その日は皆で大いに遊ぶ運びとなった。


 駆けっこだの鬼ごっこだの、外で飛んだり跳ねたりしたあとは、年下の子どもにつき合っておままごとなどをした。

 普段は端でぐでぐでしているカラムも一緒になって遊んだ。

 ニーアさんは用事だとかで出掛けたため、おれもただ一人の大人として大人気であった。



 日が傾き、西の空が朱に染まる頃。


「じゃあなー!」

「ばいばーい!」

「明日も来てよー!」


子ども達に見送られて、おれ達はギルドへ行こうとした。

 そこにニーアさんがこちらに駆け寄ってきた。


「ソウカ先生、リエルちゃん、これ持って行って」

「?」

「先生?」


 ニーアさんが手渡してきたのは、お揃いのネックレスだった。トップはまだおれが見たことのない貨幣で、革紐で提げるようになっている。


「これは」

「お守り。最近なんだか大変そうだから」

「もしや昼の用事とは」

「これだけでもないけどね」

「ニーアさん…ありがとうございます」

「ニーア先生、ありがとう!」

「ふふ、いいのいいの。…カラム君のはちょっと用意できなかったけどね」


 カラムは言わば巨大な餅であり、装身具の類は身につけられないので、やむを得ない。

 それにしても、ニーアさんからのプレゼントである。

 そう、ニーアさんからのプレゼントである。

 素晴らしい。


 彼女の心遣いに感動しながら、おれ達は孤児院に背を向けて歩き出した。




「楽しかった」

「そうだな」


 帰り道。 

 少しばかり人通りが少なくなってきた道を、並んで歩く。

 リエルはすっかり満足したらしい。


「綺麗だね、カラム」

「ん?ああ」


 夕日に照らされて、カラムの液体金属のような体が、きん、と輝いている。何のことかわからなかったが、それを言ったのだろう。


 日が沈みつつある街は、人は少なくとも騒がしい。マクロルは宗教国家だったからか、この時間になると城下町からはほぼ人がいなくなっていて、静かだった。

 時間といえば、聞きたいことがあったのを思い出した。


「リエル、天動説は聞いたことがあるか」

「えーと…聞いたことがあるような…」


 マクロルでは使われていなかったが、この世界に定時法は存在する。ということは、太陽が地球の周りを、或いは地球が太陽の周りを二十四時間で回っていると認識されているはずである。

 しかしここは地球ではない。

 そこでおれが疑問に思っていることは、“この世界”は地球ではない惑星なのか、それとも地球ではあっても全く異なる歩みを進めた並行世界なのか、である。

 こちらに来て以来何人かに聞いてみたが、皆よくわかっていないようだった。

 そんなことを考えていると、離れたところでなにやら騒ぎが起こった。


「暴れスレイプニルだ!」

「退避退避!」

「馬刺にすっぞこらあああ!」

「どうどうどうどう」


 スレイプニルとは確か八本脚の馬であった。確か地球にも北欧の主神の愛馬として伝えられていたが、この世界では当たり前のように人に飼われている。


「暴れスレイプニルだって」

「こっちに突っ込んで来ては敵わん、早く帰ろう」


 そうリエルを促した瞬間。


「っ、カラム!?」


 カラムがその体を大きくして、おれ達を呑み込んだ。 

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