第18話 空も飛べるはず

「シズキさんの世界にはこういうのはありましたか」

「いや、ありませんでした。そもそも、これは?」

「あーこれ知ってる」


 適当にぶらついていたら、大きな広場に出た。地面は芝生で、木が何本か、阿呆のように突っ立っている。

 そしてそこでは、人々が自在に宙を飛び交っていた。


「これは飛空魔法使いのモイセス・アネル氏による飛空体験場です」

「飛空体験」

「料金は一人当たりマルソ銅貨で五枚、時間は三十分です」


 今朝方、アマンシオさんの紹介で既に両替は行っている。 

 体験場は大半が家族連れか若いカップルである。しかし中にはとても真剣な顔をした大人が一人で、或いは少数で飛んでいるのも見かける。


「ただ宙に浮いて真っ直ぐ進むだけならともかく、自在に飛ぶのは平衡感覚が必要なのです」

「なるほど、体幹トレーニングにもなるのですな」

「おにいちゃーん…」

「はいはい」


 リエルにはつまらなかったらしい。

 わたくしも久々にしようかな、と言ったテクタルクさんも共に、順番待ちの列に並ぶ。

 なお、カラムは列から外れてぽつねんとしている。彼はあまりこれを好まないらしい。

 退屈ではなかろうかと思っていたが、どこからか現れた同じくらいの大きさの蟷螂と戯れていた。誰かの戦の供だろうか。



「はい、では耐魔防具やアクセサリー類は外されていますかー?…はい、では魔法がかかりましたら軽く地面を蹴ってくださーい。…はーいそうですー」


 おれとリエルは初めてなので、係員による指導を受けた。

 どうやって飛ぶかというと、全て自分のイメージで決まる。実際に飛んでみると、物凄い速度が出たので肝が冷えた。速度も自分で注意しなければならない。この辺りは車の運転に似ていると思う。


 十分間の講義と実践練習のあと、おれ達は自由に飛ぶことになった。ちなみにテクタルクさんは経験者なので、とうに飛び回っている。


「おおっ」

「すごい!飛んでるー!」


 初めての体験に、二人で歓声をあげる。

 これは楽しい。面白い。愉快だ。そして何より爽快だ。

 そんな風にしか言葉に出来ない。


 地球では飛行機に乗ったことくらいはあるが、生身で空を飛ぶのは無論初めてである。

 地球でいうとハングライダーが一番生身での飛行に近いのだろうが、それとも違うのだろう。なにせ自分の意思で、上下左右前後に到るまで自由自在である。

 

「ふはっははははははははっ!ひうぃごーかもんっ!」


 思いつくままに空中で錐揉み回転、クロール、座禅、その他諸々。

 

「おにいちゃん、楽しそうだね」

「うむ、楽しいとも」

「わたしも楽しい!」

「それは良かった」


 リエルそっちのけで楽しんでしまったが、彼女も同じように感じているので安心した。


 そんな風に、しばらく二人で飛ぶことを満喫していると、テクタルクさんが現れた。


「お二人とも筋がいいんじゃないでしょうか?初体験なのにそんなに動けるとは」

「うはははははははははえっそうなのですか?」

「ええ、わたくしが初めてここで飛んだときは、もっとおっかなびっくりでしたねえ」


 そうらしい。地に根を張る植物だからだろうか。


「お二人からこちらのコースでもいいかもしれませんな」

「わ、面白そう」


 テクタルクさんの指し示した先に、リエルが興味を持った。

 

「おにいちゃん、向こう行かない?」

「ん、行こうか」


 そこは木や障害物が幾つかある場所だった。

 今までおれとリエルが飛んでいたのはそんな物のないのっぺりとした芝だったが、テクタルクさんの言う所では障害物に衝突しないように動かなければならない。

 少し難しそうだ、と思ったが、まあ大丈夫だろう。



「おにいちゃんすごーい!」

「おお、やっぱり上手ですねえ」


 木に真っ直ぐ突き進み、衝突する直前で避ける。

 上に高く飛び上がり、枝から枝へと飛び移る。

 地面への突進から、低空飛行へ移行。

 おれは自分でも驚くほど完璧に飛んでいた。


「いいいいいいえああああああ!そいやっそいやっ!」


 高揚感を内に秘めたままに出来ず、叫んだ。


 リードヴァーグに乗ったときも未知の経験に心を踊らせたが、これは自分で動くので一段と楽しく感じる。

 空高く舞い上がり、空を切る感覚が心地良い。


 風だ、とおれは思った。

 そう、風だ。おれは風になったのだ。何者にも縛られない風に――


「おにいちゃーん!」


 風になったおれの耳に、リエルの声が届いた。


「リエルー!おにいちゃんは風になっ」

「おにいちゃん前前前!!」

「なに、前?―――ゔぁすっ!!」


 前を向いた瞬間、顔面から木にぶつかった。




「おにいちゃん…大丈夫?」

「ああ……」


 本当は凄く痛い。

 ぶつけた跡は、テクタルクさんに軟膏を処方してもらった。軟膏を塗った部分は、しらしらと冷たい熱をもっている。


 それにしても何が風だ。人間は人間でしかないに決まっているだろう、馬鹿馬鹿しい。


 ギルドに入る前に、テクタルクさんとカラムは買い物をして来ると行って離れた。お二人もどうですかと誘われたが、初めての飛空体験に揃って疲れていたので、辞退した。


「ただいま」


 と言うのには少し違和感があるが、そう言った。


「おう、お帰り。……どうしたソウカさん、ひどい顔だぞ」


 ギルドに戻ると、支部長のアマンシオさんがいた。


「アマンシオさん。人の子は、地に足を着けて生きるべきです。そうは思いませんか」

「あ?ああ…、まあ」

「おにいちゃんまだ言ってる…」

「…ああ、なんだ、モイセスんところで飛んで、ぶつかったりしたのか?」

「おっ……」


 よもやこれだけのやり取りで言い当てられるとは。かつてアマンシオさんも同じ経験をしたのやも知れぬ。


「はは。俺はぶつかったことはないが、そうなった奴は皆同じこと言うんだよ」

「なるほど」


 至極納得した。



「で、その子の名はリエルと聞いたんだが……」

「はい、わたしの名前はリエル・マニエ・キロンスです」


 エルフの姓は、両親のものを二つとも使う。フランスだかスペインだかと同じである。


「キロンス……ああ、やっぱりか……」

「まさかお知り合いで?」

「ああ。リエルちゃん、お父さんの名前はハビラスか?」

「うん!おじさん、お父さんのお友だち?」

「ああ、若い頃、何度か助けて貰ったんだよ」


 意外な繋がりである。よもやリエルが、アマンシオさんのご友人の娘さんだったとは。


 それからどうするか、三人で話し合った。

 リエルの父親がアマンシオさんと知り合いならば、直接アマンシオさんが連れていけば良い。

 しかし今彼はとても忙しいので、状況が落ち着くまでは昼間宣言したとおり、おれが彼女の面倒を見ることになった。

 また、都市の警備兵に任せるのは保留となった。


「今日、昨日言ってた盗賊連中を何人か捕まえて口を割らせたんだが、どうやら警備兵の中に内通者がいるらしい」

「なんと」

「そんなわけだから駄目なんだよ。まあ、数日で騎士様が派遣されるから、それまでの辛抱だな」


 その他、おれだけでは何かあったとき心許ないと訴えたところ、だれか冒険者をつけようと言ってくれた。


「悪いな、ソウカさん。この子はあんたに相当懐いているようだからな。ああ、リエルに必要な金は俺が出すから安心しろ」

「ありがたい」

「えっと、つまりおにいちゃんといっしょ?」

「そうだ、一緒だ」

「やったっ」


 無邪気に喜ぶ姿が愛らしい。

 リエルはおれが守らなければな、という思いを強くした。

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