第8話 スライム

 魔物とは、何か。

 この世界での一般的な定義は“人に害をなす生物”である。だから熊や猪や蛇も魔物扱いされている。

 しかし厳密には、スライムやミミック、アンデッド類など、その発生に魔法或いは魔術が大きく関わる生物のことを指す。

 そんな内容の本を、城の図書館で読んだ。



「てぃーぶうぉーくぇりだーうんざちゅりっうぃんぷるうぇだうんるっ」


 今おれは、その厳密な意味での魔物の一種であるスライムの後ろを、歌いながら歩いている。


「あゆれでぃっへいっ、あゆれでぃふでぃす、あゆはぎのじえじゆしっ」


 赤茶色のスライムと、それに付き従う歌う男。傍から見ればとても絵になる光景と思うのだが、どうだろうか。



 にのまえ君と主計かぞえさんと別れたあと、すぐにこのカンパマ樹林へ入った。あまり整備されていないが、人の往来で自然と出来た道があったので、そこから外れるようにした。

 荷物は少ない。小さな背嚢に、着替えと保存食とお金が少しずつ入っているだけである。


 森の清澄な空気を楽しんで歩いていると、錆びたような色の、ひどく濁った水溜まりを見つけた。

 なんだこれは、と思いしゃがみ込もうとしたところで、背後からさりさりと葉と葉が擦れ合う音を聞いた。 


「魚?か?」


 姿を現したのは、空を泳ぐ大きな魚だった。

 魚といっても、よく見かけるそれではなく、所謂甲冑魚のような姿だった。甲冑魚なぞ地球では滅多に見られないからあまり知らないが、少なくとも中空を泳ぐことはない。

 体色は青緑色で、ひれは半透明のライムグリーン。頭部は胴よりも色が濃い気がする。


「…どうも。こんにち――」


 そんな空を泳ぐ甲冑魚がおれの姿を認めるなり、岩を削ったような牙を剥いて襲いかかってきたので、反射的に毒を吐いた。

 咄嗟のことだったのでどんな毒を吐くかまで意識出来なかったが、甲冑魚は、ぎゅうう、と低い声をあげて地に落ちた。


「これが、魔物か」


 襲われかけた恐怖と未知への興奮がない交ぜになって全身を駆け巡った。

 恐怖といってもあの銀槍官の方がよほど恐ろしかったので、興奮の方が勝る。

 挨拶は無視されたが、魔物なので止むを得ない。


 緑色のドデカ甲冑魚はぴくりともしない。もし殺してしまっていたら、とても悪いことをしたと思う。


 しばらく動かない甲冑魚を眺めていたが、赤茶色の水溜まりのことを思い出した。そちらも確認しよう。


 水溜まりは妙な光沢を放っていて、液体金属のようにも見える。落ちていた小枝でつつくと、全体がぶるぶると震えたので、驚いて背後に飛び退いた。

 今のは液体の波打ち方では断じてない。なんだ、と息を詰めて見守るおれの前で、水溜まりは蠢き、一抱えもある潰れた球状になった。

 これが、このスライムとの邂逅であった。



「なぁざんばいつぁだすつ、ちゃっちゃっちゃーちゃーん、なぁざんばいつぁだすつ」


 甲冑魚と違い、このスライムは襲ってくる素振りを見せなかった。

 また、おれに警戒心を抱いているようにも見えない。現に、このようにすぐ後ろを歩いて歌っていても、気にしていないようである。


 何故このスライムについて行っているかというと、行く当てがないからである。

 追っ手がいるかもしれないと考えると、人に均された道を歩く気にはなれなかった。

 そこに害意のない魔物である。面白そうだからついて行きたくなるのは当然の成り行きである。

 …今頃勇者達は命を賭して戦っているかも知れないのに、おれだけが能天気に旅を楽しんでいることに後ろめたさがないでもない。



 今おれ達は、小川沿いで一服している。

 スライムが止まって小川にその身を浸したので、おれも腰をおろすことにした。

 小腹が空いたので、その辺に生えていた真っ赤な色の指のような茸と思しきものを、水で洗い食べようとした。


「っ?」


 すると、スライムが体の一部を触手のように伸ばして、おれの手からそれを払い落とした。

 続いてもっと太い触手を作り、おれの遥か頭上へ伸ばす。見上げると、ゲル状の触手の先端が刃のような形になり、近くの枝から木の実を三つ切り落とした。

 地面に落ちきる前に触手を分裂させて器用に受け止め、それらをおれの目の前に差し出した。


「おれに?くれるのか?」


 言いながら一つを手に取ると、スライムが、こおおん、と硬質な音を響かせた。おれの言葉を理解して、肯定したのだろうか?

 木の実は見慣れない青と白の斑模様で、握り拳より一回り大きいくらいの大きさである。


「……では。いただきます」


 人にとって毒があろうとなかろうと、おれに限ってはどちらも変わらない。

 ありがたく思って一口かじると、林檎のような食感で、爽やかな酸味と仄かな甘さが口に広がった。その上、噛むと炭酸のようにぱちぱちと果汁が弾ける。

 美味い。とても美味い。間違いなく、この逆さにした唐辛子のような茸よりも美味いだろう。

 すぐに三つとも食べ終えると、すっかり腹が膨れた。


「美味しかったよスライム君、ありがとう」


 例を言うと、スライムはまた、こおおん、と音を響かせた。


 

 言語について。

 おれも勇者達もずっと日本語を話していたが、この世界の人間と話すことが出来る。これは召喚術式に“解読魔法”が組み込まれていたためである。

 解読魔法は相手の言葉を理解し、同時に自分の言葉を相手に届ける力がある。ただし言葉の持つ意味に大きく引きずられるので、俗語の類は通じないこともあるのだが、そこはご愛嬌か。

 これについては、勇者でないおれにもその恩恵を受けている。勇者かどうかに関わらず、召喚される者に適用されるからだ。



 そしてこのスライム、おれの言葉を理解しているのだろうか。このスライムがそういう奴なのか、それとも解読魔法が魔物相手にも働くのか、それはわからない。ともかく、おれの言葉に反応はした。

 恐らく、あの真っ赤な茸には毒があって、おれがそれを食べようとしたから止めた。そして腹が空いていると思ったから、代わりに無害な木の実を与えてくれた。

 こういうことではないだろうか。

 おれが毒の影響を受けないことなぞ、このスライムは知っているはずもないから、そう考えると辻褄が合う。

 うむ。良い奴ではないか。


「これからよろしくな」


 この森にいる間の、いい連れができた。

 そう思いながらスライムに言うとまたしても、こおおん、と鳴いた。

 

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