第7話 夜逃げ3
「なん、なんスか、あれっ」
「左右加さん、ちゃんと、歯磨き、してましたかっ?」
「口臭ではないっ」
走りながら、一君と主計さんが聞いてきた。あれだけ派手に魔法を使ったのに大丈夫だろうか。
あと歯磨きは毎食後欠かさずきちんとしている。甚だ不名誉である。
「灰色の、ことなら、麻痺、するようなっ毒、吐いてやったっ」
話すなら立ち止まってゆっくりとしたいが、そんな暇はない。しかし二人は聞かずにいられないようである。
「毒?っああとにかく、さっきの、左右加さんがっ、やったと」
「そうだ」
それきり、一君は聞かなくなった。というより、もう走りながら喋るのが辛くなったのだろう。
おれは毒など悪いものの影響を受けない。そして毒に限って言えば、飲んだそれを体に溜め込んで、自分の意思で体外に出すことが出来る。
また、おれの血肉は既に毒の塊となっているそうだ。どんな毒かは知らない。
このことから、小中学生の頃は河豚という渾名で呼ばれていた。
ようやく市壁が見えてきた。どれくらい時間が経ったかなぞ考えたくもない。とにかく終わりが近い。
先の一団以降、追っ手はいない。さすがにあれらだけしか出動していないということはないだろうから、主計さんの魔法で上手く攪乱出来ているのだと思う。実際に、全く見当違いの方から、いたぞ、というような声を何度も聞いた。
「ちょっと休憩っ」
外は近いが、路地裏で最後の休息をとることにした。そこでもう一度、ポーションなるものを摂取する。たちまち、全快とはいかないものの、とても身体が軽くなった。
異世界の強壮剤は凄い。
「夜でよかったですね」
「そうだな」
昼まで待って喧騒に紛れるという選択肢はなかった。おれの暗殺がいつ行われるかまではわからなかったが、いつか、恐らく近い内に実行されるのは確かだった。
おれ達もこの街の地理を把握してきたが、完全ではない。幻影魔法があるとはいえ、この国の住人と街中で追いかけっこは不利だ。
ならおれ達にできることは、彼らの不意を突くこと。準備が整わない内に逃げ出すことだ。
それに喧騒に紛れるのは、追っ手の方もそうだ。人が沢山いては、一君の熱源探知も意味をなさない。
結局あの灰色には見つかったが……。
「あの灰色のアザラシのような顔の奴はなんだ」
「アザラシに似てますか?…あいつは銀槍官の一人で、まあ聖騎士団の幹部?みたいなもんっス」
「そうか。強そうだったな」
「まじ強いっスよ。銀槍官は五人いるんスけど、皆やばくて」
初めから勇者としてある程度以上の力量を持つ彼らを以てしても、未だ銀槍官たちには敵わないらしい。
「まあ私達も成長中ですから」
そう言う主計さんは、少し悔しそうだった。あの状況で力が及ばなかったから、というより純粋に負けたことが悔しいらしい。
「だからそれを一瞬でのした左右加さんはもっとやばいっスね。これ俺らいらなかったんじゃないスか?」
そんな風に笑う一君だが、とんでもない。
「君、さっき矢か何かからおれを守ってくれたろう。もし君がいなければ、おれはあそこで死んでいたよ」
そう言いながら、改めて思い返す。
おれは死ぬところだったのだ。
周千寺で何度か修行体験をしたからか、勘が働いて何かが迫ってきたことに反応“は”できた。だが、それだけ。避けたりするなぞ不可能だった。
「毒を食らって毒をはくことはできても、それだけだよ。遠くから矢だの魔法だので狙われれば、おれになす術はない」
「まず私達には、毒をどうこうというところから信じられないんですが……詳しく聞く時間、もうなさそうですね」
「ああ、すげー気になるけどそろそろ行くか。――やべ忘れてた、左右加さんこれ持ってってください」
「そっか渡してなかった」
立ち上がり、最後の徒競走だと気合いを入れたところで、二人に手渡されたものは。
「…これは、金か」
「無一文よりまし、くらいしかないスけどね」
「……。ありがとう。本当にありがとう。そして役立たずですまない」
「気にしないでください。私達は勇者なんですから。勇者は、力を持たない人を救うんですよ、なーんて」
「佳奈ちゃんいいこと言うねー!その通り、俺ら強いから、心配いらないっスよ」
この世界でもおれの毒は通じる。だがそれを差し引いても、これから蟻芝さんと道祖君のもとに行くには、おれは足手まといになる。
今ばかりは、おれが勇者でないことが悔やまれる。
市壁は魔術で本来の硬度以上に強固なものになっている。一君の魔法でも溶かして穴を空けるのは難しいという。
そこで穴を空けるのではなく窪みを作って、それを使って登ることにした。
「そんじゃ行くか。覚悟は決め――、くそっまたか!」
一君が明後日の方を向いて苛立たしげな声をあげた。その理由はすぐにわかった。
「にがさん、いたんしゃめ。きさまのたましいが、すくわれることは、ないと、おもえ」
「……もう回復したのか」
灰色アザラシ、もとい先程の銀槍官だった。
相当濃い毒を中ててやったから、よもやこうも早く立ち直るとは思わなかった。超人的な回復力だ。
ただ、まだ毒は残っているようだった。足取りが危なっかしく、体の痙攣も続いている。そのせいで、話し方も辿々しい。
「しつっけえなクソ中年……!お呼びじゃねーからとっとと消えろやッ!!」
すかさず前に飛び出した一君が吼えると同時、熱を放出した。
銀槍官はそれより一瞬早く一君の胴を縦に斬ったが、もう魔法は放たれたあとだった。
数メートルも離れているのに、サウナに放り込まれたよりもっとひどい熱さを感じた。息が苦しい。というか出来ない。
これを真正面からぶつけられたらひとたまりもない。そうに、違いない。
……そのはずなのに。
「っ……」
隣で主計さんが、恐らくは恐怖と驚愕で息を呑んだのがわかった。いや、おれのものだったのかもしれない。
「…よぐも、やっえくえあな。きあまも、あくにおぢらか」
最早なんと言っているのかわからない。体中が焼けただれていて、なんとか人の形を保っているのが精一杯といった有り様だ。
しかし、その目は真っ直ぐにおれ達を射抜いている。
「なんと、恐ろしいやつだ…」
全身の骨がかりかりと引っかかれている錯覚に陥る。
これほど人間を恐ろしいと感じたのは初めてだ。
――それと同時に、感動した。
おれにとってはひどく傲慢に映るが、それでもこの男には、決して揺るがない軸がある。
全身の大火傷に泣きも叫びもせず断罪せしめんと歩を進めるその姿に、心から感嘆した。
「はははははは、すげー執念だな!さすが栄光ある銀槍官ってか!?クソ中年なんて言って悪かったな!」
一君が面白そうに笑う、その気持ちもわかるというものだ。
「けどよ、これでお終いだッ」
一君が武器の金属の棒を、腕が見えなくなるほどの速さで何度も灰色の体に叩き込んだ。おれがおなじことをしようとすれば、肩が外れる。
やがて灰色は、ぐずぐずした細切れの肉片になった。
とても衝撃的な光景のはずなのに、嫌悪感はない。いや、ないのではなく、それを遥かに上回る安堵を感じたのだ。
この歩みを止めなかった男が、きちんと死んだことに。
そんなことを思ってしまうほど、すっかり思考の感覚が麻痺していた。
「一さん怪我は!?大丈夫ですか!?」
放心していた主計さんが我に返り、一君に駆け寄った。
驚いたことに、一君の斬られた跡はもう血がじわじわ滲む程度で、治りつつあった。これもまた、勇者故か。
「こんぐれーなんともねーって。それよりほら、行こうぜ?派手にやったから、他の連中が寄ってくるかもしんねーぞ」
……ああそうだ。すっかり銀槍官の気迫に呑まれて忘れていたが、もう終わりが見えていたのだ。
そう、ようやく逃げられたのだ。
「いよっと」
「んぬっ」
城から脱出したときと同じように、一君に抱えられて市壁から飛び降りた。飛び降りたといっても途中までは真下に壁を走っていたから、着地の衝撃はそう大きなものでもない。
「そんじゃお別れっスね」
「……お元気で」
「主計さん、そんな今生の別れではないのだから」
「……そうですよね。うん、また会いましょう!」
ようやく主計さんは笑った。いつだったか一君が、主計さんの笑顔は可愛いとか言っていたと思うが、なるほどこれは見惚れてしまう。
……さあ、行こう、と思ったが、最後にもう一度確認したくなった。
「君達は本当に戻るのか。随分消耗したのではないか」
「はん、勇者は強いんスよ。もう完全回復しました!」
「強がりじゃなくて、本当に大丈夫なんです。それに、今日は本当にこの国が怖いと感じました。こんなところに、蟻芝さんも道祖君も置いていけません」
「だな。前会ったときだってやばかったんだから、もう時間かけるわけにゃいかねーんス」
「そうか」
二人の意志は固い。そうだ、おれだってこれ以上、二人を巻き込みたくない。彼らが逃げるだけならともかく、おれを守るために共に行くと言い出したら絶対に止める。
そんなおれの意志と同じなら、何も言えることはない。
「あいつら引っ張って来たら、なんとかして伝えますよ。んで、迷惑かけたんだから、左右加さんに謝らせてやります!」
「ふふふ、そうですね。それから……あ、今度こそ色々お話聞かせてくださいね?」
「わかった、約束しよう」
その会話を最後に、二人はおれに背を向け、壁の中の街に戻った。
「…………」
おれに出来ることは、また現れるかもしれない追っ手から無事逃げ切ること。
おれは勇者ではないのだから、それだけだ。
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