第114話 はじめての記念日
去年の4月、ガイダンスの日、彼はわたしに劇的な告白をしてくれた。桜の花がひらひらと、まさに羽のように春風に舞って、前が見えなくなりそうだった。
彼とわたしは研究の合間を見計らって、一緒に去年と同じ場所に来てみた。
「『好きです、つき合ってください』か。ほんと、ひねりないよなー」
彼は白衣のポケットに両手を入れてそう言った。裾が風にはためく。
「啓が言ったんじゃん」
「なんか、告白ってそういうイメージが強くて、何回考えても他の言葉が見つからなくてさ……。たぶん、オレにとって風はそういうイメージなんだよ」
言葉がこそばゆくて、恥ずかしくなる。少し背の高い彼がわたしの顔を見下ろして、目を細める。
「これからも、一緒にいてくれる?」
「……いるよ。1年前は逃げ腰でごめんね? 男の子とつき合うのが、たぶん、少し怖かったの」
「確かに逃げ腰だったね。でも、だからこそ捕まえられた気がするな」
「意地悪な言い方ー。そうだよ、どさくさに紛れて手を繋いだり、……肩を抱いたりとか、反則だと思わない?」
わたしは本当はそんなことを思ってもいないのに、頬を膨らませた。
「そうかもね、大切にするとか言って、ひどいやつだな」
「……されてる。すごく」
「そう?」
「されてるよ、すごく」
手を繋いで、学食に向かう。今日はたまたま時間が合って、学内だけどお昼を一緒に取れることになった。
桜並木の中を、パタパタとローヒールで歩くあの頃のわたしを、いまのわたしは追い抜いているだろうか? 例えわたしがその頃のわたしを忘れていても、彼が、これまでのわたしを覚えていてくれる。入学してからずっと……。
学食でわたしが揚げだし豆腐を取ろうと思ったら啓が横からすっと取ってくれて、
「今週末は大丈夫そうだからさ、何か、記念、考えておいて。イベントでも、デートでも」
「うん」
わたしたちがつき合い始めてやっと1年。いろいろあったけど、まだ1年しか経っていない。なので、初めての記念日なんだけど……。
「初めての記念日? まさか、あんたがホテル予約したりするのもおかしいしねぇ」
お姉ちゃんは最近ではなんでも話せる貴重な存在だけど、まともな答えが返ってくることは滅多にない。
「レストランはいいかなぁと思ったんだけど、わたしたちらしくないっていうか」
「ふぅん? どの辺が?」
「変に気取った感じがするでしょ?」
「……何か風にも作れるもの、教えてあげようか?」
「ほんとに? お姉ちゃん、ありがとう!」
結局、土曜も午前中はちょうど良く研究室に行くことになった彼のいないうちに、準備をする。
オーブンの使い方は教わったし、その他も買ってきたものもあるし、上手くいくはず……。
「ただいまー」
「……何したらいいか、わからなかったの。それで」
ちょいちょいと啓をオーブンのところに呼ぶ。
「お姉ちゃんに教わったんだけど、……上手く焼けるかなぁ?」
「……風が作ったの? んー、こればかりはとりあえず待たないと焼き加減はわかんない」
「あと……前に教わった、豚肉の烏龍茶煮、やってみた」
「……」
「お台所、汚しちゃってごめんね。もう、何が何だかわからなくなっちゃって」
啓は上着をかけて、カバンを置いた。そして台所のわたしのところに来て、
「あと必要なものは? 手伝うよ」
「パンは買ってきたの。それから、わたしがグリーンサラダを作るから、生ハムをのせようと思って買ったの。スープは、ポタージュを作るためにお鍋でお野菜を……」
唇が重なる。吐息がかかる。
「ダメだよ、お料理できなくなっちゃう……」
「だって、かわいくて」
「え?」
「がんばったんでしょ?」
恥ずかしくて振り解けずに目を伏せた。心臓の鼓動は、初めて彼を知ったときと同じように今も、早鐘を打つ。よく知っているはずなのに、いつでも知らない気がする唇。
……まるで、口づけに埋もれてしまいそうな気分になる。
「風がこんなにがんばったんなら、本当に記念日だね」
褒められたように思って、頬が紅潮した。
「よし。パウンドケーキはオーブンで調子を見て。豚肉は切ればいいだけ、サラダもすぐできる。スープもミキサーにかけちゃおうか?」
「……わたしがやってもいい?」
啓が髪を撫でる。
「もちろん。ダメっていうわけないでしょ?」
「じゃあオレはテーブルのセッティング係かな?」
啓はわたしに時間をくれて、急かされずにお料理をすることができた。やることは決まっている。ゴールはあと少し。
「お肉、切れる?」
「……なんとか」
「ソース作れる?」
「市販の買ってきちゃった」
テーブルの上にご馳走がのる。啓が、手を合わせて深々と頭を下げた。
「風、ごめん!」
「?」
「まず、今日は朝から家にいられなくてごめん。それから、ひとりで準備させてごめん。買い物からせめてつき合うべきだったよね……」
「いいんだよ。いつもおんぶに抱っこだから、やってみたかったの」
テーブルに置いたキャンドルが、仄かにふたりの間に漂う空気を暖めた。
「それから、ありがとう。こんなにたくさん、風が料理してくれるなんて思ってなくて。帰ってきてから買い物かなって思ってたんだ」
「もういいよ」
「良くないよ。まだ、言ってないから。記念日だから言うわけじゃないけど……オレのところに来てくれてありがとう。あの下手くそな告白を断らないでくれて、ありがとう」
「好きです。つき合ってください」
あの日から、1年。
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