第113話 さくら咲く
季節は巡って春になり、啓の就活もいよいよ本番に入ってきた。啓が言うには、うちの学科を卒業したOBのいる企業で採用されそうだ、という話だった。
春休みには今年も桜の花が開き始め、三分咲きの枝の下で、我が家の面々と啓を交えてお花見が行われた。
「啓ちゃん、内々定? やったじゃん」
「おいおい、内定出るまでそっとしておけよ」
「いやぁ、ははは……」
いつも通り、お姉ちゃんから鋭くえぐられ、啓は苦笑いだった。
「まだ満開には日がかかりそうだね」
「そうだね、1週間くらいは咲いてるんじゃないかなぁ」
啓は、お花見に来た池のほとりの手すりに寄りかかって、夜桜を眺めた。
「1年だね」
「そうだね」
どちらからともなく、手を繋いだ。
「オレとつき合って、間違ったと思う? 他にも男はたくさんいるでしょ、研究室にも」
「もお! また知らないところで嫉妬してたの?
誰とも何ともないよ。……間違えたなんて、思うのは……放っておかれてさみしいときだけ 」
啓の顔を見上げると、啓はさみしそうに微笑んだ。
「ごめんね、いつでも一緒にってわけにはどんどんいかなくなっちゃうね」
「……」
繋いだ手に、ぎゅっと力を込めた。
見つめ合う時間が、永遠に引き伸ばされていくような錯覚を覚えた。
「わたし、お嫁さんになるかな?」
「できるだけ早く、そうしたいな」
「そしたら、何か変わる?」
「変わるよ、少なくともどっちかの名字がね」
わたしはくすり、と啓のジョークに笑った。
啓は目線を上げて、ぶつぶつ考え事をしていた。池の周りにぐるっと植えられた桜の木に吊るされた提灯に明かりが灯る。
「
「語呂で見ると……小鳥遊啓太郎って、めちゃくちゃ長くない?」
「長いよなー? でも、社会では変わった名前の方が覚えてもらいやすいんだよ」
「なるほどね」
お兄さんがビールを投げてくれる。プシュッと開けて飲もうとして、啓に怒られる。
「いつもそうしてるの?」
「え? 大抵は研究室だとマグあるから、缶から注いでるよ」
「女の子なんだから、直飲み禁止」
久しぶりに、啓の「禁止」を聞いてうれしくなる。1年前も今も、啓は啓だ。たとえ手の届かない大人に、わたしより早くなってしまったとしても、啓は啓なんだ。
「それより……研究室でオレのいないときでも飲むんだ?」
「いや、その、回ってくるし……」
「あんまり飲むなよ、堺だっているでしょ?」
「堺くんこそ、わたしの飲んだ量、把握して止めてくれるよ」
「……」
啓はむすっとして黙ってしまった。わたしの言ったことが気に入らなかったのだろう。
「たまにうちの研究室、来てるわりには気がつかなかったの、ちっとも?」
「あー、どこでも何でもいいから、どうして風と同じゼミにしなかったんだろう、オレ」
「そんなこと言ったって……。就職も決まりそうなんだからいいじゃない」
「そういう問題じゃないの」
少し冷たい風が、湖面をさらった。灯りが水面にゆらゆらと、赤く揺れる。
「ただ、風と少しでも一緒にいたいだけだよ。……でもさ、早く就職決めないとお嫁さんにしてあげられないし、結婚すれば一生オレのものだからね」
髪が風で乱れる。
わたしは桜ではなくて、いつの間にか啓のことしか見ていなかった。ふたりで繋ぐ手に、啓が力を込めた。
「あと少しだよ。あと少しでオレのものになっちゃうんだから、覚悟しておいてよ」
「うん……がんばる」
啓が咲き始めの桜の花が目の前に見えるように、少しだけ抱き上げてくれた。冬の間、固く身をすぼめていた蕾がほころんで、小さな花をつけていた。
「就職、どうするの?」
啓は、誰にも言っていないわたしの答えを恐らく知っていて、そう聞いてきたのだと思う。
「……わかってるんでしょ?」
「さぁ? 知らないから聞いてるんじゃないの?」
答えを待って、にやにや笑っているから段々、言いたくなくなる。
「わたしは――」
「うん」
「……わたしは、3月に教員免許取って、6月に採用試験を受けるつもりだけど」
「うんうん」
「……申し込まれたら……全部やめて、
瞬発的に、啓にばふっと抱きすくめられる。周りの人が見てるのに、とすごく焦る。お姉ちゃんは、「ひゅー、ひゅー」とか言ってるし、お兄さんは「
「愛してる、結婚しよう。小清水でも小鳥遊でもいいから。ほら、申し込んだよ」
「でも、そしたらわたし、無職だよ?」
「オレが何倍も稼ぐからそれでいいじゃん。就活、言わなかったけどけっこうキツいとこがんばったんだよ」
今度はやさしく抱きしめられた。まぁ、誰に見られてもいいかな、くらいの気になってきた。大事なのは、啓が今、わたしを抱きしめたいって思ってくれてるってことなんだから。
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