第112話 基本は一緒だよ

 秋は空に秋刀魚のような雲を流しながら、穏やかに過ぎていった。

 啓がエントリーシートを出した企業は概ね、受け入れてくれて、秋インターンシップに勤しんだ。

特筆すべきことがあるとすれば、普段は見ることのない啓のスーツ姿が連日見られたことだ。……今まで考えたこともなかったのだけど、啓がネクタイを解く仕草がわたしにはとてもたまらなくて、スーツで通う職種になってくれるといいなぁと不謹慎な妄想をした。


 その間、わたしは研究室で毎日毎日、植物の整理をしては遺伝子解析をし、種の同定(種類、名前などを決めること)に追い回されていた。とは言え、和気あいあいとした研究室なので、気がむくと何かしらイベントがあって、みんなで飲んで食べた。


 フリーダムな啓は、自分の研究室の作業が早く終われば参加したし、大抵は啓の方が研究室でも忙しくて、飲み食いしている場合ではないようだった。そんなときは、啓は、わたしを迎えに来てくれた。そうして、べろべろのわたしを背負ってくれた日もあった。


「啓」

「……なにかな?」

「なんだか毎日、つまんない……」

 啓は返事をしなかった。言葉に詰まったまま、小さな公園のベンチにわたしを下ろし、自販機で飲み物を買ってきた。隣に座ると、

「つまんないの?」

「つまんないよ。……少しずつ、すれ違ってない、わたしたち?」

「大丈夫だよ、ちゃんとリードはまだしっかり握ってるから」

「犬じゃないもん」


 公園のライトの真下という、うってつけの場所でふたりでキスをした。体の内側がほんのり温かくなるようなキスだった。

「忙しくてすれ違うことは多くなるかもしれないけど……基本は一緒だよ。いつだって、オレは風が好きだし。風を迎えられるように……普段、言わないけどね、がんばってるんだよ」


 ぽろぽろと涙がこぼれて、ああ、何のために自分は泣いているんだろうと思った。うれしいのに、なんでこんなに涙が出るんだろう?

「悲しくなること、言っちゃった?」

 啓は自分の発言に間違いを見つけようとした。わたしはそんな啓の――いつの間にか秋物になった、つまりあの春先に来ていたものとおなじパーカーの袖をつまんだ。


「啓、大好き……つき合って半年すぎたけど、まだまだ好きだよ。だから、これからもがんばって。お嫁さんになれるようにがんばる……」

 髪を梳かれて頭を押さえられる。さっきとは違う、他人には決して見せられないような深い口付けをして、ため息をつく。

「ねぇ、オレ、今日も疲れてるんだよ?……こんな気持ちじゃ、寝られないじゃん……」

「いけなかった?」

「……いけなくないけど……寝られなくなるくらい、かわいいんだよなぁ」



 初めてのクリスマスはなんだかんだと忙しくて、レストランで予約、とか、海の見えるホテルで、とかそういうのはなくて、

「初めてのクリスマスなのに、ロマンチックじゃない! 風、本当にごめん!」

 と啓は平謝りだった。


 でもわたしにとって大切なものは啓で、啓と一緒にいられる時間が多い方がうれしい。

 啓は、豪華な料理をお詫びに、と作ってくれた。「ローストチキンとミートローフ、どっちがいい?」

 と数日前に聞かれたくらい。

 料理の足りない材料を買い、ケーキはブッシュ・ド・ノエルを買った。ふたりで食べ切れるかなと心配になったけど、そう言えば春にハワイアンパンケーキをふたりで食べに行ったことを思い出した。

 あの頃、手を繋ぐのも、名前を呼ぶのも恥ずかしくて……。

 飲み物にはお馴染みになった黄色いラベルのワインを買った。


「わたしね、わたしたちのクリスマスが世の中のひとたちより、すごーく贅沢に思えるけど」

「風、大袈裟」

「そうかな? 啓のお料理は絶品だし、おこたがあるし、何より…啓がいるしね」

 啓はそっと手を繋いでくれた。啓の上着のポケットの中は暖かくて、とろけそうになる。

「そうだね、一緒にいることが贅沢だったよ。去年の今頃には考えられなかったことだしね」


 初めてのクリスマスプレゼントに、わたしたちはお互いにおそろいで色違いの手袋を買った。デパートの冬物のたくさん並んだ売り場は人であふれていたけれど、気に入るものをふたりで選んだ。


 ……どうしてもっと早く、つき合わなかったんだろう? サンタさんへの願い事は、「啓」。もし次があるなら、お願いします。もっと早くにつき合えるようにしてください。一分一秒でも……。



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