第115話 ロマンチック

 奇跡的に、わたしの作った料理は失敗がなかった。啓がいちいち、「おいしいよ」と言ってくれるのが照れくさくて、自分は味がよくわからなかった。


「これ……気に入ってくれるかわかんないんだけど。サプライズだから、好みが聞けなかった」

 食事の終わりに、啓が小さな包みを差し出した。

「……ありがとう、開けてもいい?」

「うん、趣味に合わないかも」


 銀色のリボンのかかった小箱から、パールのついたネックレスが出てきた。

「啓、去年言ってた誕生石のこと、覚えててくれたの?」

「……やっぱりパールよりムーンストーンだった?」

 箱から出して、手に取って眺めてみた。細い鎖にかわいい1粒のパール。明かりを反射して、鎖が光る。

「ううん、すごーくきれい……」

「気に入ってくれて良かったよ。すごく迷ったんだ、実は」


 手の甲にかけたネックレスを揺らして見ていた。わたしは啓に言わなくてはいけなかった。

「ごめん……お料理のことで頭がいっぱいで、プレゼント用意してないの」

 やっちゃった感、半端ないとはまさにこのことだ。

「ごめんなさい」


「風さ、去年、時計、すごく高かったでしょう?

 あれでチャラだよ 」

「そういうわけには……」

「欲しくて調べてたから知ってるんだよ。もう、無理して高いもの買ったらダメだからね。結婚式のドレスがどんどん安物になるよ」

 啓は両肘をテーブルについて、にこにこ笑ってそう言った。

「オレもこれからは、こういうプレゼントは厳しいかな? 結婚資金、作らないと」


 ふたりのグラスにシャンパンを注いで、乾杯をする。

「本格的なプロポーズはいつがいいかなー」

 シャンパンの泡を見つめながら、啓が言う。

「……プロポーズって、いまさらでは」

「ダメだよ、風の心に残るプロポーズじゃないと」

 啓ってロマンチックだよなぁと思う。女子のわたしが言うのもなんだけど。


「両家の食事会みたいなのもするよねー」

「あ……するんだ?」

「するだろ? お互いの親も顔を合わせて結納は略式でしょ。そしたら結婚式の打ち合わせじゃない?」

「……啓ってさ、結婚情報誌、読んでない?」

 啓はキョトンとした顔をした。

「読んでないよ。読んだ方がいいかな?」

「婚約してからでいいと思うよ、うん」


 ベッドに入ってからも、その話は続いた。

「どんなドレスがいいかなぁ」

「風は色が白いからね。うーん、……とりあえず真っ白なウェディングドレスが見たいかも」

「もう、それじゃ相談にならないじゃん」

とか。


「新居、探さないとね」

「やっぱり、ここってわけにはいかないよね?」

「ここがいいの?」

「うん……思い出がたくさんあるから」

 啓が手を繋いでくれる。

「たくさんだよね」

「たくさんだよ……」

「……就職先に近いところに引っ越そう。風をあまりひとりにさせないように」

「うん……」


 いいことがあると、悪いことがある。喜びがあれば、さみしさもある。いいことのほうを胸に抱いていれば、たぶん、人生が豊かになるんだろう。

 この人についていこう、と決めたんだから、あとはこの人の選択を信じてついて行こう。わたしの好きな人なんだから……。


 6月、啓に就職の内定が下りた。希望していた研究職につけることが決まった。

「いやぁ、がんばったね、啓太郎くん」

「ありがとうございます」

「口には出さなかったがわたしもハラハラしてねぇ、もしダメだったら知り合いのところを紹介しようかと思ってたんだよ」


 うちのお父さんはひどくうれしそうで、自分の息子のことのように喜んだ。就職先は都内なので、今のところよりは都心に近い方に越さないといけない。


「それで……ついでのようで恐縮なのですが」

「うん? 何かあるの?」

「お嬢さんをボクにください。しあわせにすることを約束します」


 啓は、床に座って額がつくほどのお辞儀をした。何も聞いてなかったわたしは、いつもの縁台のところの柱から、めまいがして滑り落ちそうになる。

啓から、受けるはずだったプロポーズもまだなかったし、なんの相談も受けていなかった。

「啓……」


「待ちなさい、風。啓太郎くんも顔を上げて」

と言いながら、お父さんの方が焦っているようにも見えた。気が早いお母さんが吊るした風鈴が、扇風機の風を受けて弱く鳴った。


「本当にこの子でいいのかい?」

「はい。風さんじゃないと」

「君、他に恋愛経験、ないんでしょう? 他にも世の中にはいろんな女性がいるよ」

 お父さんは実は反対なのかな、と心のどこかで冷静に思っていた。わたしはいつまでもお子様だし、それは有り得ないことではなかった。


「……確かに他の方とお付き合いしたことはありません。でもボクは、お父さんを除けば、他の男性よりも彼女を知っているという自信はあります。……風さんをしあわせにすることが、ボクの喜びです。若輩者ですが、ボクにお嬢さんをいただけませんか?」

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