第103話 線香花火のように

「……そうじゃなくてさ。 あー、もー、やだ。そういうことじゃないんだよ。別れようとか、おかしいよ、オレ。もっとシンプルに考えるべきだろ?」

 久しぶりに啓が混乱してややこしいことになってきたので、シャンパンをちびちび飲みながらぼんやり眺めていた。


「いちばん叶えたい夢は、風を大切にすることじゃん。別れたら意味無い。……それで風が他のやつとつき合ったりしたら、立ち直れない……」

「つき合ってくれる人なんて、すぐに見つからないよ」

 わたしは苦笑した。

「いるじゃん、堺が」

「堺くんと、わたしがつき合うの? わたしは啓と別れて、啓は向こうに行っちゃって、それから堺くんと? そんなに上手くいくわけないよ」

「ダメだよ、誰ともつき合わせない! オレは風を離さないし、あきらめないし、誰にもあげないから」


「……啓、せっかくのシャンパンだから飲もうよ」

 啓はグラスを持ち上げると一口分のシャンパンを口に含んで、わたしにキスをした。彼の体温で温められたシャンパンが、わたしの口の中でぱぁっと消えてしまう。ああ、大切に想われてるんだなって、なぜかこのとき、強く感じた。


「美味しかった?」

「うん……」

「じゃあ、二口目も。なんか高いシャンパンなのに贅沢な飲み方してるな」

 口ではそう言いながらも、彼の目の中に、わたしが映り込んでいるのが見えた。


「あ! 風、すごく飲んじゃったじゃん。いつの間に。ビンが軽い!」

「ふわふわって気分。……啓、大好きだよ」

 そんな素直な言葉がするするっと出てこなくなったのはいつのことだろう? でもこの言葉に全然、嘘は混じってない。


「風、お風呂に入らないと。海風の匂いするから」

「最近の啓はいつもこの匂いだよ。慣れちゃった

 」

 啓はしゅんとした顔をした。まるで叱られた子犬のように……。

「……寂しかったよね。オレだけが、風がここにいてくれることに安心して、風の気持ちをよく考えてなかったんだよ。……ごめん。帰ってくればいてくれたから。でも、離れ離れになったら、オレも風に会えなくなる。当たり前のようにバイトのときなんかも迎えてくれたから……それもわかんなくなってた」


 そしていつまでもちびちび飲み続けるわたしは、無理やりお風呂に入れられた。

「ほら、あんまり長く入ると、お酒回っちゃうから早く洗って出なさい」

「はーい……」

 湯船で長湯をしているわたしを、心配そうに啓が見ていた。


「どうしたの?」

「……浮気はダメだよ。もう絶対に寂しくさせないって約束するから。だから……嫉妬させないで」

「なんの話をしてるのよ、浮気なんてしないよ」


 お風呂のお湯をちゃぷちゃぷさせて、考えたくなくても考えてしまう。

 ……これからまだまだ長い人生の中で、こんなふうに先のことを決めてしまって後悔しないのか……わたしも、彼も。

「好き」という気持ちだけで、まだつきあい始めて半年にもならないのに突っ走って大丈夫なのか?


 彼が人生を後悔する日を、見たくない。


 その夜、時間をかけて丁寧にわたしは抱かれた。彼もわたしを探していたし、わたしも彼を暗闇の中、探していた。お互いにお互いを見つけたとき、彼とわたしは同じ場所にいた。



 翌日は本当にふたりっきりでのんびり過ごした。

 学校のことも忘れて、将来のことも忘れて、ふたりで公園でこっそり花火をした。パチパチと爆ぜては消えていく手持ち花火は、実はとても苦手で啓を笑わせた。啓はたくさんある花火を豪快に、一度に何本も持って楽しんでいた。


 わたしはひとり、しゃがみこんで線香花火を楽しんだ。パチパチと手持ち花火と同じように光っても、しゅんとなってしぼんでしまう……。線香花火を見ていると、夏が足早にすぎていく残念な気持ちになる。


「帰りにアイス、買って帰ろうか?」

「賛成! どのアイスにしよっかな。夏はバニラより果汁系のがいいよねー」

「オレンジとか、柑橘系かなー」

 花火の燃え殻をスーパーの袋に入れて、ぶら下げて一度、部屋に戻った。


 手が、煙くさいのが気になってハンドソープで丁寧に洗っていると、隣に現れた啓に、頬にキスされた。

「うん、やっぱり風と一緒にいると楽しい」

「でも大事なことだから」

「だから、答えは出たじゃん。……いちばん大切なのは風だよ」

 そんなに甘い声で囁かれたら、うっとりしてしまう。どちらにしても、わたしは彼が好きなのだから。


 簡単なことなんだ。


 わたしが彼の手を振り解けば、彼はわたしの束縛なく、好きなことができる。

「……」

「風? 考えすぎだよ。だってオレだって本当はそんなに海洋生物が好きなわけじゃないのかもよ?」

「だって、一生このことを悔やんで生きていくのはいやだよ」

 啓は洗ったばかりのわたしの手首を掴んで、

「オレのことはオレが決めるし、オレが責任取るから。忘れないで」

 わたしを抱き寄せた。その力強さがわたしを余計に不安にさせた。


「ねぇ、どうしたら不安にならないでくれるの?

オレのことは信じられない? 」

「そういうわけじゃないよ」

「嫌いになった?」

「ならないよ……ならない。すごく不安なの。何が答えなのかわからないし。怖いの」

「バカだなぁ、怖くなったらいつでも抱きしめてあげるのに。答えなんて誰にもわかんないよ。だから、風がそれで怖くなった時には、いつでもそばにいるよ」





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