第104話 (番外:5,000PV超え感謝)ふたりの出会い

小鳥遊たかなしさん、深見さんたち、向こうに歩いていったよ」

「あ、ありがとう。ちーちゃんたち、どっちに行ったのかわかんなくなっちゃって。次の講義の教室に行けば間違いないのに、バカだよねー、わたし」


 小鳥遊さんはオレの大学の同級生だ。うちの学科はそもそも女子は少なめなんだけど、その中でも彼女はオレの中では、な女の子だった。そして、オレ以外の男子にも人気だった。

 彼女は小さくぺこっとお辞儀をして、

「小清水くん、ありがとう」

 と言って、行ってしまった。


 彼女の走っていく方向に、桜の花びらが風に乗って散っていくのが見えた。


 ……「ありがとう」って、言われた。しかも、「小清水くん」て。オレの名前、覚えてくれてるんだ。すげー、感激。

 小鳥遊さんが呼ぶオレの名前は、ベルの音色のように水面に波紋を残した。


 名字だけでこんなに感動してるのに、名前を呼ばれたらどうしようと妄想してしまった。中庭の柱にもたれて考えてみる……。彼女のかわらしい唇がオレの名前を口にする。「啓太郎けいたろうくん」。

 ない、ない、ない!

 そんなに簡単にあるわけないよ。今まで一度だって女の子とつき合ったことがないのに。いきなり、すごい好きな人とつき合うなんて有り得ないよ……。ヤバい……どんどん好きになっちゃって。

 オレはもたれていた柱沿いにずるずると座り込んだ。そもそも、女の子を好きになるってことが想定外だったから、たぶん、こんなに苦しいんだ。


 彼女いない歴が年齢と同じだと言ったけど、実は女の人を本当に好きになったこともないんだ。

 何しろ中高一貫教育の男子校だったから、女子に縁がないどころか、「『 女子』って何?」って具合に小学校で時間が止まってる。大学はすげーたくさんの女の子がいて、みんなキレイにしてて、ちょっと感動した。同い年の子がきちんとお化粧してたり、ミニスカート履いてる子もいるし。みんな、テレビに出てくる女の人みたいに思えた。


 そんなある日、学科で集まって自己紹介をしたとき、中にひとりだけ、違って見える子がいたんだ。

 彼女は肩下までのやわらかそうな髪で、理学部ではあまり見ない、ふわっとした服装をしていた。うつむいて、緊張しながら順番を待っていた。

 自分の番がくると、「タカナシフウ」と奇妙な音を発した。名簿を見てみると、彼女の欄には「小鳥遊たかなしふう」と書かれていた。彼女は名前と出身を言うと真っ赤になってしまって、さっきまでより更に小さな声で、「あの……」と言いにくそうに言った。確かにみんな緊張してたんだけど、彼女の緊張の具合は半端なくて、倒れちゃうんじゃないかと心配したのはオレだけじゃなかったはずだ。


「あの……小鳥遊って、読みにくいと思うんですけど、よろしくお願いします」

 それだけを震える声で言うと、彼女は小さくお辞儀をして、席に着いた。他の人の時と同じように拍手が起こった。彼女の背中は、さっきまでよりひどく小さくなってしまったように見えた。

 オレはシャーペンを手に取って、彼女の名前の上に、「タカナシ フウ」とフリガナをふった。

 ……フリガナをわざわざ振ったのは、彼女ひとりだ。

 なんだか気になる子だな、と思った。


 その日から彼女の姿がやけに視界に入るようになって、「あ、小鳥遊さんだ」と確認するようになった。必修の授業のときにも、大教室で授業を選ぶときも、サークルの勧誘の中でも、小鳥遊さんの姿だけが目の隅にいつも捕えられた。

 朝、校舎へ向かうキャンパスの中心の広い桜並木を、自転車で小鳥遊さんを追い越した時、心が大きく波打った。


「あ、これがきっと恋っていうんだ」


 彼女の細い髪に何片かの桜の花弁がからまって見えた。オレはそれを、取ってあげたいと思った。彼女のあの細くて色素の薄いゆるやかな髪に指を通して、花弁を取りたい……。

 でもそんなことがいきなりできるわけじゃない。


 彼女を追い越す前に少し減速したオレは、「小鳥遊さん、おはよう」とごくありきたりな挨拶をして、彼女もまるで昔からの決まりごとのように「小清水くん、おはよう」と答えた。

 オレは何の根拠もなく、ここから何かが始まっていくんだな、と感じていた。これからも彼女と何回も何回も挨拶を交わす。そして、それから……。


 その二年後のことだ。

 風はオレの彼女になって、今、隣にいる。二年だ。そんな長い時間、何も出来なかった自分にもやもやするし、その二年の間にはぐくまれたものもあったんじゃないかと、そう思う。


 二年越しの片思い。

 どうしていいのか全くわからなかったから、二年も経ってしまって……でも、そのまま他の誰かに持って行かれるのは嫌だって強く思ったんだ。

 彼女は、彼女自体が気がついていないだけでオレの親友からも、そして同じサークルの先輩、学科の男子に人気があった。いつ誰が告白するのかわからなかった。


 考えたけど、他に上手い言葉は見つからなかった。それに、シンプルな方が自分らしい気がした。

「好きです。つき合ってください」

 ストレート過ぎたかもしれない。けど。嘘偽りない気持ちだった。

 彼女と出会った桜の季節に、伝えたかった。


 二年間も片思いなんて、男として恥ずかしいかもしれない。

 でもいいんだ、彼女が隣にいてくれるなら。オレが欲しいのは誰かからの賞賛ではなくて、彼女だけだから。風がいればいいんだ。


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