第91話 はじめての訪問

「啓ちゃん! よく帰ってきたねぇ。まったくこの子は帰ってこないで」

「ひとりでも大丈夫だよ」

 啓のお母さん……かな? 目元がちょっと似てる気がする。

「啓ちゃん、こちらがお話にあったお嬢さん?

 まぁ、お人形さんみたいにかわいい方ね 」

「えと、啓太郎さんと大学でご一緒させていただいています。小鳥遊風たかなしふうと申します。よろしくお願いします」

「まぁ、固い挨拶はあとでいいから入って。お父さん、呼んでくるわね」


「啓、こんなに近いのに実家、帰らないんだ」

「帰る意味、特にないから」

 あー、とうとうお父さんも出てきちゃう。『相応しくない!』みたいなこと言われたらどうしよう。わたし、あまり家庭的じゃないし、気も利かないし……。

「昨日も言ったけど、何も風は気にしなくていいから。何か言われても、そのことが本当でも、オレが風の分までやるからいいんだよ」

 そんな都合のいい……。


「あなたが小鳥遊さんだね。話には聞いているよ」

「小鳥遊風、生物学科三回生です。よろしくお願いします」

「ははは……そんなに気張らなくてもいいからね、とりあえず上がんなさい」

「失礼します」と小さな声でお辞儀をして入っていく。啓が先導してくれる。応接間に通される。


「よく来てくれたね、小鳥遊さん」

「こちらこそ突然、訪ねてしまって申し訳ありません」

 お父さんはわたしのほうに、にこやかに笑顔を向けて、それから啓を見た。

「啓太郎、お前は家にもまったく帰らないで。学校の成績はどうなんだ?」

「学校はしっかりやってます。たぶん就職もすんなり決まると思いますけど」

 お父さんの動きがぴたっと止まった。応接間の壁時計がカチコチいう音が、確かに時が進んでいることを知らせている。


「小鳥遊さん、お茶いかが?」

「ありがとうございます。……アールグレイですね?」

「苦手かしら?」

「いえ、大好きなんです」

 お母さんはその後、耳元で囁いてくれた。

「啓太郎が昨日の電話で、小鳥遊さんには紅茶を出してくれって言ったのよ」

 カップ片手にわたしは真っ赤になってしまった。


「お前、何のために大学まで行ったんだ?」

「いい就職をするため、独り立ちをするためですが」

「……勉強が上手くいってるなら、なぜ大学院に進まない? 自分の可能性を試さないのか?」

「興味もないし、そこに意味を見いだせません。ボクはただ、自分の力で生きていきたいだけです」

「なるほど、もう両親の力は要らないか」

「……うちには兄さんもいるし、まだ良輔もいるし、ボクが出てちょうどいいと思うんだけど……」


「啓ちゃん、お父さん、あなたに期待をかけてるのよ。お兄ちゃんは院に進んだものの、なかなか教授の椅子は遠そうだしねぇ。良輔は末っ子のせいなのか、遊んでばっかりよ。高校に入ってから、成績も芳しくないからねぇ」

「それとボクの人生は関係ないはずだよね? ボクは研究機関に就職することがあっても、大学に残って教授を目指したりはしないから。それは元から決めてたことだし、彼女との結婚を考えるならますます、大学になんか残れないよ。雀の涙程の薄給で、何年暮らせばいいの? ボクが経済的に安定したほうがうれしくないの?」


「啓ちゃん……」


 勘の悪いわたしでも、なんとなく小清水家は啓には窮屈なんじゃないかなぁと思っていた。啓はとことん自分の家族については語りたがらなかった。進路のことでも、親の話も出なかった。男の子だからそんなものなのかなぁって思ったりもしたけど……。

どちらにしても、わたしはまだこの家の人間ではないので、話を聞くしかできない。「帰ろう」と言うこともできない。


「そういうわけだからね、小鳥遊さん。結婚は大学卒業後、しかるべき時にされたら良かろう。ただ、啓太郎は大学院に進ませたいのでね、助教授までは見事な薄給だけど、耐えられるかい?」

 何を聞かれているのかわからなかった。でも啓が、うちは居心地がいいと言った意味がわかった。


「父さん! 確かに結婚は両家の問題もあるし、オレひとりで決められることじゃないのはわかってるよ。でもさ、オレがこの先どうやって生きていくのかはオレが決めるから。そのために、今までがんばってきたから」


「まぁまぁ、小鳥遊さんもいらっしゃってるし、ね。その話はあとで、ふたりででもできるでしょう?」

「私は夕食はいい」

「あら、あなた」

「もう、仕方ないわね」

 とお母さんは小さく言った。二階の書斎に篭ってしまったらしい。


 夕飯の支度は、手伝わせてもらった。お箸を用意したり、取り皿の準備をしたり。弟の良輔さんが帰ってきて、紹介された。

「きれいなお姉さんができるのはうれしい」

 と、高校生の彼は言ってくれた。

 お兄さんは、研究が忙しいらしく帰ってこなかった。


「うちは女の子がいないから、娘のいる生活っていいわねぇ。なんて言うか、場が華やぐ? ね、啓ちゃんも良ちゃんもそう思うでしょう?」

「親父がいなければね」

 と言ったのは良輔くんだった。

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