第90話 あの日に声をかけられて
なぜかお父さんにまで呼び出されて、啓と一緒に実家に行く。……経済的にもお世話になっているんだから、わたしは行かないわけにはいかない。
けど……実際は「飲み会」だった。
「啓くんはすごく強いって聞いてね、秀一郎くんから」
「いや、ほどほどです。それにボクが酔うと、風さんを連れて帰る人がいなくなると困るので」
「風は本当に弱いから大変だろう」
お父さんは、ははは……と大きな声で笑った。啓も合わせて苦笑した。
その横、ダイニングで、わたしとお母さんはぽつり、ぽつりと話をしていた。
「女の子はうちから離れないっていうけど、嘘ね」
「え? お姉ちゃんたち、近くにいるじゃない」
「ばーか、お姉ちゃんたちがいればいいってわけじゃないのよ」
デコピンされる。
「どうやら、合格みたいねー。お父さん、あんたたち、嫁になんか出さないって言ってたのに、なんかつまんないのはわたしだけなのね」
「でもさ、まだ三回生だしさ、早くても一年半はあるよ?」
「あー、早い。あんたの結婚費用、出せるかしら」
お母さんは冗談を言って話をそらすと、やや上の方を見た。
「お父さんが飲んじゃうんじゃ、わたしが送るとなると困るから、ゆっくりしてるかな」
なんとなく行き場がなくなって、お父さんにお酌に行ってみたりする。すると、
「風、ここに座りなさい」
と、ふたりの真ん中に座らされる。
啓もたじたじだ。
「なんだ、啓くんは学業もずいぶんがんばってるみたいじゃないか?」
「……わたしなんかより、ずっと成績いいよ」
「いや、成績良く卒業して、いいところに就職したいなぁと」
お父さんはにこにこしている。基本的に、飲み始めると機嫌が良くなるタイプだ。
「それじゃ、卒業後すぐに結婚じゃもったいなくないかい? 会社だって意外に大学と同じだよ。こき使われて、能力が問われる。大学にはどうしても残らないのかい?」
「はぁ、就職には大卒のほうがいいって聞いています。あのー、修士取らないと結婚させない、とか、ありますか?」
「ないよ。仕事のできない男には家庭も守れないっていうからねぇ。風なら、なんの役にも立たない甘えん坊だけど、こんなんでいいなら持っていきなさい。君にならあげるよ」
啓は口に手を当てて、顔を真っ赤にして、黙ってしまった。飲みすぎたかな、と思ったくらい。
「あ、ありがとうございます!……お嬢さんをいただきたいなんて無遠慮だと思ったんですが」
「まぁ、いいじゃないか。わたしたちは応援するよ。ただし……」
「はい」
「君のご親族にも賛同していただけるよう、がんばらないとな。一応、見た目は女らしく育てたつもりだがね。それと、ともかくふたりは大学は卒業すること。これは絶対条件だ」
啓は最初、グラスを片手で持っていたのだけど、気がついたら両手で持っていた。そして、さっきの高揚した表情とは別の顔だった。
「啓、どうしたの?」
お父さんはお手洗いに席を立っていた。
「んー。お父さんが、結婚してもいいって、言ったよね?」
「うん」
「うん、なんて軽いことじゃないよ。オレたち、準備が出来たら結婚するんだよ?」
「うん。まずいことがある? やっぱりやめたくなった?」
啓は足元をじっと見て、自分の頭の中を整理しているようだった。いろんなことが今日は起こりすぎて、すぐには混乱は戻らないようだった。縁側に、バタンと寝てしまう。
「やっぱり結婚て大変だな。思った以上に責任重大だし。でも……風に会わなければ、こんなこと考えなかったんだ。4月にあの日、桜の下で話しかけられなかったら……何も始まらなかったんだよ」
「うん……」
ただのクラスメイトで来年、卒業してしまったかもしれない。啓のいなかった「もしも」の世界。4月まで、ほんのちょっと前まで目の端に入るただの男の子だったのに、わたしも、この人と恋に落ちたんだ。
「あら、風? 啓ちゃん? もう娘婿同然だから、啓ちゃんでいいわよね? 啓ちゃん、寝ちゃった?」
「ううん、起きてるよー」
見えないところで手を繋いでいた。自分たちが見えないところで、運命っていう名前の巨大なものが転がって、わたしたちは危うく繋がってる。
「風のうち、居心地いい」
「そう? 婿入りする?」
わたしは冗談を言って笑った。
「うん、お父さんが許してくれるなら……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます