第92話 家族の話

 さすがに初めての訪問は、へとへとになって帰ることになった。

 ……啓のご両親は同棲していることは知らないし、とても言えるような感じではなく。バレたときのことを考えると……恐ろしい。

「はぁぁー」

 変なため息をついて、座席に座る。


「ごめんよ、風。まさかあの話をあんなにされるとは思わなかったんだよ。風のことは聞かれるかなーと思ったけどさ」

「ああ、うん、でもお母さんはやさしいよね」

「……黙ってたけど、実の母ってやつではないんだよね。もちろん育ててもらったし、感謝してるけど」

「……お母さんだよ?」

「そうだよ、オレのお母さんは『あの人』だよ」


 電車の走るガタン、ガタンという断続的な音が、今まで見えなかった啓の断続的な一面をのぞかせていく。どうして何も気がつかなかったんだろう? 啓が家族のことを語らないのは、『男の子』だからじゃなかった。

 啓の、大きな手を取って、わたしの膝の上で重ねる。その手はいつも通り、温かくて、わたしに温もりとやさしさを分けてくれる。

「どうしたの? 膝の上に手を置いたりすると、痴漢ぽいだろ?」

 ふたりで目を合わせてふふ、と笑った。


「啓が、いつもと同じか確かめたかったの」

「……幻滅した?」

「何も? ああ、啓の頑固はお父さん譲りだなぁと思ったけどね」

「あんな親父と一緒にするなよ」

 啓は苦笑した。街を走る電車の窓からは、家々の小さな明かりがあちらこちらに見えた。その明かりを見ると、どの窓にも家庭があるんだなぁと思って安心する。


「うちにお婿に入る? 今より啓のお父さんに怒られそうだけど」

「そうだね、風のお父さんに泣きつくかな」

「お父さんならこう言うよ、たぶん。『逃げ道はたくさんあるから最後まで取っておいて、逃げる時には何もかも置いてとにかく逃げろ』って」

「うーん、さすがお父さん、過激。でも……そうか、最後まで逃げ道は取っておいてあきらめるなってことだよね?」

「たぶんね。……また、うちにも飲みにおいでよ」

「もちろん。風の家族は大好きだよ。輪っかみたいに繋がっててあったかい。もしオレがそこに入れたら、しあわせだろうな」

 重症だな、と思った。よその家のことに口出しはしてはいけない。でも、啓はあの家を許してないんだ……。


 駅からの短い道のりを、手を繋いでいつも通り歩く。啓もいつも通りやさしくて、ジョークなんか言っちゃって、途中のコンビニでまたお菓子とアルコールを買う。いつもと同じ帰り道。

「啓?」

 まだ開けてない家のドアの前で抱きすくめられる。

「しっ! ご近所さんにバレちゃうから静かに。……お願いだから」

 そんなことを言われても、突然抱きしめられたりすると、今でも心拍数が上がる。どれくらい、そうしてただろう……。


「ごめん、中に入ろう。今日は疲れたよね」

「啓?」

「風と同じだよ、風のいつもと同じやさしさを分けてもらったから」

 家に入っても、また上がり框で抱きしめられて、長いキスをされる。

「今日は、抱いてもいい?」

 そんな甘い声で囁かれたら、断れる人はいない。


 シャワーを浴びて、テレビを観ながら軽くアルコールをいただいて、どちらともなく「寝ようか」という雰囲気になる。


 啓の長い腕が伸びてきて、捕まえられてしまう。

 耳元の吐息も、わたしの指に絡むきれいな指先も、すべてあの家で育まれたものだ。啓がどう思おうと、この人はあの家で育った。

「もっと……集中して……」

 この人はわたしの体の深いところまで、わたしが自分では届かないところまで全部知ってるけど、わたしは今日、初めて、この人の深いところを知った。


 受け止めて愛せるかな? 愛せないわけがない。すべて、わたしの中で受け止めてあげるから、いいことも悪いことも全部、出してしまって。

「風、オレのこと、まだ愛してくれる?」

「もちろんだよ。愛してる。愛してるから……」


 事が終わって、啓はわたしと枕を並べて頬杖ついて顔を見ている。

「なぁに? けっこう恥ずかしいよ」

「うん、かわいいなぁと思って。今日だってあんなに険悪だったのに、誰も風の容姿について言わなかったじゃん」

「たまたまだよー」

「良輔なんか、驚いてたよな。あいつ、要チェック」

「兄弟で何してるのよ」


 わたしがプンプンしていると、啓はほっぺをつついてきた。

「……軽蔑した?」

「しないよ。わたしの啓のままだもん」

 わたしは彼の腕の中に、胸におでこをつけて、するりと入ってしまった。

「だいすき。そこにいてくれるだけでいい。啓がいてくれれば、わたしはしあわせ……」

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