第67話 毎日がすり減っていく

「風のお姉ちゃん、ダイナミックすぎー!」

 帰るなり、お姉ちゃんのことでそんなにウケなくたって、ねぇ?

「だってさー、本人の前で言えないじゃん。お姉さんはそう思ってないけど、お兄さんは絶対に、似てると思ってるよねぁ」

「仲良くなれてよかったじゃん」

「うん、滑り出し良好」


 わたしとしては、啓のことの方が訳わかんなくて、鼻歌歌いながらシャワー浴びてる彼をまって、スマホを見ていた。スマホには特に連絡もなくて……いや、お母さんから「うちにも寄りなさい」ってメッセージ来てたけど、これはまた今度。

 啓は確かに好青年だけど、お姉ちゃんのとこ行って、時をおかずして実家じゃわたしがこわれてしまう。……わたしだって、気を使うんだもの。


 ガタン。

「一緒に入る?」

「今日はやめるー」

「けちー」

 ガタン。


 子供みたいだ。

 毎日の、この楽しい日々がひとつひとつ思い出になってしまう。流れている時間が、すべてカチコチに製氷されていく。わたしは……まだ、生きているのにな。


 ぼんやり、窓の外を見る。雨がいい感じの雨脚の強さで降っている。わたしの買ってきた紫陽花の蕾が綻び始めていた。

 うどんを食べちゃって、よかったなぁなんて、ぽかぽかのお腹で思ってる。一緒にご飯、何回、食べられるかなぁ。今まで何回、ご飯に食べられたのか、途中で数えなくなったくらい、当たり前で……。

 窓ガラスに跳ね返る雨がどんどん強くなった。


「すごい雨だねぇ」

「うん、すごい雨なの」

「もっと窓から離れて、こっちへ来れば?」

 髪の毛を拭きながら、啓がわたしを呼ぶ。キスだけして、

「お風呂に行ってくるー」

 と逃げた。

「なんだよ、ケチ。おねえさんのとこ、いる間は大人しくしてたんだからご褒美くらいくれてもいーじゃん」

「入ってきまーす」


 ……啓がいなくなったら、毎日がさみしい。こんなふうにお風呂のことで争うこともないし、ご飯を作ってもらうのを楽しみに待ったりもしない。小さなベッドで身体が痛くなることもないし、わたし……。

 シャワーの音に紛れるように声を出して泣いた。だってこれは、啓には、知られてはいかけないから。わたしが不安なのと啓の将来は別じゃないといけない。シャワーの音が外の雨音より大きく聞こえる。


 聞こえてるなんて、思わなかった。

 どんどん。ドアを控えめに叩く音がした。

 シャワーをきゅっと搾って、

「はーい」

 と返事をすると同時に、啓がTシャツを濡らして、私を抱きしめた。

「また、何か悪いことを考えてる? それとも嫌なことがあった?」

「啓……濡れちゃってる」

「そんなこといいんだよ、それよりそんなに泣くほど、何かあったの?」


 啓がタオルを取ってくれて、身体を拭いた。

 拭いてもらう間、やっぱり、何も言えなかった。そうしてまだ髪が濡れてる間に、

「啓……話があるの」

「なんだよ、忙しいなぁ。髪を拭いてる間ね」

「啓……」

「ん?」

 彼はすっかり濡れたTシャツで、わたしが話すのを待っていた。

「……自分の心から行きたい研究室を選んでね」

 啓の手が止まった。わたしのまだ半乾きの髪がパサッと落ちた。

「誰かに聞いたの? 境?」

 首を横に振る。


「聞こえてしまったの。だから誰にも教えてもらったわけじゃないの 。啓は海洋研究所……行きたいの?」

「まだそんなこと言ってないよ」

「でも……」

 話が一方通行に思えた。啓の将来は将来で、

「でも、啓の希望がそうなら、わたしのことは後回しでいいんだから」

 タオルで涙まで拭いてくれた。

「この間も話したけれど……オレは普通に卒業して、普通に就職したいと思うんだけど、面白くないからダメ?」

「そんなこと言ってないよ」

「でもさ、海洋研究所に行く方が、このまま大学にいるよりすごいことなの?」

「……覚悟はいるんじゃないかな?」


「まぁ、風は女の子だからすぐにさみし

くなるかもね。男だって、さみしくなるどさ、男は即実行だからね、時間ががかっても、会いに行くよ」

 ほろり、と涙がでた。

「それよりね、学内のゼミの方が冗談抜きで就職率良さそうなんだよ。それは、『ダメ!』って、さすがの、風も言わないだろう?」

「啓、まずシャツ替えて?」

「おお、悪い!」


 引き出しから新しいシャツを出して、着替えてくれる。わたしは安心してぎゅっとする。

「すっかり冷めちゃったね」

「風もだよ。くっついてれば暖かくなるさ」

 と言いつつ、ケットをかけてくれる。ふんわり、洗剤のにおい……。

「どこに行くにしても、相談するから大丈夫だよ」

「相談したら、いいことが起きる?」

「うーん、結果は変わんないかもしれないけど……まぁ、オレも頑固だし。でも、風の心配は取り除くよ。じゃなきゃ行かないって約束する」

 啓は小指を出した。


 ……でも何か、怖いことを約束してしまいそうで指切りはできなかった。そのまま啓は、わたしを抱えてクッションに転がった。

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