第15話 隣にいるよ
小清水くんの部屋は、正門から真っ直ぐ行った線路沿いのアパートだった。ひとつのアパートに、部屋は8部屋。外階段で左右に2部屋ずつ、分かれている。
彼の部屋は2階の角部屋だった。
白い外壁のかわいいアパート。
「ちょっとだけ待って」
彼は鍵を開けると、部屋の中に入って行った。ドアの隣にもたれて、呼ばれるのを待つ……うーん、彼氏の部屋に呼ばれるっていうのは、つまり、そういうこと?
いやいやいや、いくらなんでも早すぎ……。
でも、そういうのってなんていうか勢いもあるし、個人差もあるだろうし、……小清水くんの気持ちの方向もある、よね?
「お待たせっ、ごめんね」
「うん、……お邪魔します」
そろそろと靴を脱いで部屋に上がる。靴は揃えないと。カバンはどこに置けばいいかな?
今日は実習なかったから、スカートで来てるし、服装は大丈夫……って、何を気にしてるかな?頭がぐるぐる。
「傘は、どうしたらいい?」
「あ、ここに立てておくね。貸して」
わたしの派手な傘が、男の子の部屋のシンプルな玄関に置かれる。
「こっちにどうぞ」
「うん、ありがとう」
きちんとクッションがローテーブルに用意されていて、座り方に気をつけて腰を下ろした。
「何か飲む?」
ここに来る前にお菓子やジュースを買ってきていた。
「じゃあ、オレンジジュースをお願いします」
「はい」
彼の部屋は殺風景というわけではなかった。部屋の隅にはマンガ本が積み重ねてあり、服はハンガーにはかかっているものの、斜めになっていたり。そういうのを見ていると、彼の個性が垣間見えて新鮮な気持ちになった。
「オレンジどうぞ。オレはコーラ」
グラスをふたつ置いて、向かい側に彼が座った。なんだろう、顔が見られない。変なことばかり考えちゃってるのはわたしだ。
「風ちゃん? ……一応、掃除したんだけど、ダメかな?」
小清水くんは全然違うことを気にしていた。やっぱりわたしだけ、変に意識してる。
「全然! きれいになってるよ。男の子の部屋って初めて来たから新鮮で……」
「そっかー、初めて……そうだよね、誘ったりして、軽はずみだったよね……?」
「ううん、そんなことないよ。つき合ってる、わけだし……」
当然のように沈黙が訪れる。よく見ると、彼は正座してるし。よくどこかで見たような風景になっちゃってる。
「ガツガツしてるように見えたらごめん」
小清水くんはとうとう下を向いてしまった。
「そんなことないよ。昨日だって、会いたいって言ったの、わたしだし……」
急に意識が唇に集中する。感覚が、まだ残っているから。
どうして男の子は自分だけが欲望を持て余してると思うんだろう? 女の子だって……好きな人に触れられたいし、触れたい。そういう気持ちも含めて「すき」ってことじゃないのかな?
覚悟を決めて、ずずずっと、ラグマットの上を滑るように彼の方に近づく。彼の顔から視線を外さないように。
「すきだよ」
小清水くんがわたしの声にびっくりした顔をして、顔を上げた。
「えーと、まだつきあい始めたばかりだし、お互いに知らないことの方が多いと思うんだけど、毎日、啓太くんの新しいところを見つけて、それを……ひとつずつ……好きになって」
わたしのほうが今度は俯かないわけにはいかなくなった。顔、見られない。
「……触っても、いい?」
彼はそう聞いて、わたしの返事を待たずにそっと髪に触れた。何度同じことがあっても、この手のひらの大きさにドキッとして、その重さに安心する。言葉より多くのことが伝わる、みたいな?
「何回も同じこと言ってバカみたいだけど。ずっと小鳥遊さんを見てたんだ。細い髪の毛が肩の下で揺れてる横顔とか。黒板を見上げて難しい顔をしてるとことか。飲み会でお酒が回ってくると困ってるとことかさ」
彼は笑った。
「だから、それを毎日、近くで見られることが奇跡だよ。願い事が叶ったみたいな!」
彼はバンザイのかっこうで、彼の後ろにあるベッドにもたれかかった。
そこからいきなり体を起こすと、
「だからさ!つきあい始めたばかりなんだけど、オレには長かったんだよ」
少年のような顔で、にこっと無邪気に笑う。
「だからさ……ごめん、そばにいるって確かめさせて。夢じゃないかって心配になる」
髪に触れる彼の手が、髪の上を滑らせるように動いて、頭の形をなぞる。わたしは黙ってされるがままになっていた。
……小清水くんが想ってくれるほど、わたしは貴重な存在ではないのになぁ。どこにでもいる、つまらない女の子だ。小清水くんは男子校だったからもっと魅力的な女の子が、世の中にはたくさんいるってことに気がつかないのかもしれない。そうかもしれない、けど。それは困る……。他の女の子を見つけてしまう前に、両手を広げて隠さないといけない。つまらないわたしは捨てられてしまうかもしれないし。
「ちゃんと、ここにいるよ。隣に」
「うん」
彼はふわっと微笑んで、うなづいた。わたしは彼の手を捕まえて、そのままわたしの頬に持ってきた。
「だから、もっと確かめて」
確かめて、わたしだけを見ていてほしい。他の人に、その笑顔を見せないでほしい。傲慢かもしれないけど、離れて行かないでほしい。
ポフッとクッションのように抱き抱えられてしまった。なんだか一気に気が抜ける。
「風ちゃん、かわいい」
「え?」
「やっぱり最高にかわいいよ」
……もう!そんな軽い調子で言われたって。
「もう誰にもあげない。風ちゃんを離さない。嫌われないようにしないとな」
「嫌いになんかならないよ」
「それはわからないよ。オレの部屋がだらしなくて、もうイヤになってるかもしれないし。オレが風ちゃんのこと触りまくったらきっとイヤになるでしょ?」
またしても小清水くんはわたしをからかって、楽しんでいる。わたしのことだけずーっと見てた、とか言いながら、すぐにからかうくせに。
「別に! そんなんで嫌いになったりしないもん」
「嘘つけ!」
「啓くんだって、わかんないじゃん。わたしのこと、あっさり捨てるかも……」
顔をぐいっと押し上げられた。目と目が至近距離で合う。
「『啓』で、いいよ」
「あ、ごめん、なんか」
顔を逸らしたい気持ちでいっぱいだけど、彼の手の力が意外と強くて、視線を避けることができない。
「呼び捨てにして」
「じゃあ、わたしも」
「じゃあ
右頬に軽く口づけされて、彼は手を離した。肩に力が入りまくっていたわたしは、へなへなと情けなく座り込むことになった。
「あ! なんか変なこと、妄想してたんでしょう?こんな昼間から。風はやらしーな!」
「!!!」
つきあい始めたばかりで彼の部屋に来たからって、必ず押し倒されるわけではなかったのだった。
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