第14話 気まずくて

 翌日は雨降りだった。


 ソメイヨシノがすっかり散って、心地よい初夏の陽気になろうとしていたのに、肌寒い。もそもそと起きて、寒くないよう、ピンクのパーカーを羽織る。……小清水くんも、パーカー来てる日が多いんだよね。そんな小さなことまで気にかかる。


 昨日の夜は帰ってきてから大騒ぎだった。わたしの帰宅が遅いことを気にしたお母さんが、お姉ちゃんに連絡を取ってくれてよかった。おかげで彼がいることはバレてしまったけど、警察沙汰にならずに済んだ。

 もっともお母さんは、

「いつもはしない料理を、しかも真夜中にしたりするんだもん、男がいると思うでしょうが」

と言っていたけれども。


 お姉ちゃんからは、「もっと上手くやりなさい」とメッセージが届いていた。


 あー、何もかもが恥ずかしくて穴があったら入りたい。


 とは言え、学校に行かないわけにはいかない時間が来てしまい、傘を手に取る。

「いってきまーす」

「いつもより遅くなるなら連絡するのよ」

「はいはい」

と会話を交わして、戸口を出て傘を開く。パッと花が開く。

 雨の日の外出はどうしても気が重くなるので、傘だけは気に入るものを買うようにしている。

 これはデパートの傘売り場でセールになっていた傘。赤い地に、青い大輪の花がプリントされていて、かなり派手だと思う。でも、気持ちは華やぐ。


 駅に着いて電車に乗ると、傘から滴る水が、ところどころに落ちていて、ますます気が重くなる……。


 本当は、ちがうのだ。

 本当は昨日のことが気まずくて、照れくさくて、学校に行きづらいだけなのだ。雨のせいも少しはあるけど。


 今日は運が悪いというのか、二コマ目からの登校で、しかも必修の授業。必ず小清水くんと顔を合わせることになる。

 ……どんな顔で会えばいいのかなぁ。

 ため息しか出てこない。


 実はわたしはファーストキスではなかった。

 小清水くんには知られたくないけど……。


 高校のときつき合っていた人と、唇が触れるだけのキスならしたことがある。今ならあんなのは真似事のようなものだったと言えるけど、でもファーストキスはファーストキスだ。――どうして「初めて」を取っておかなかったんだろう。

 またひとつ、ため息。


 教室は湿気で古い木の机の匂いがしていた。みんな、傘立てもなく、机に傘を立てかけている。足元を見ながら、ひょい、ひょいとそれを倒さないように歩く。

「あ!」

と思った時にはもう遅くて、派手な音を立てて、一本のビニール傘を倒してしまった。

「ごめんなさい!」

「大丈夫だよ、風ちゃん」

 屈んだ姿勢から顔を上げると、かなりの至近距離に小清水くんの顔があった。


「おはよう。傘が倒れたとき、濡れなかった?」

「大丈夫……。ありがとう、心配してくれて」

「……昨日は帰ってから、大丈夫だった?と、その話は講義のあとにね」

 先生が入ってきて、わたしはあわててちーちゃんたちの席に向かった。


「小鳥遊さん、借りてもいいかな?」

 講義が終わると小清水くんが机が並ぶ狭い通路を抜けて、わたしたちのところにやって来た。

「『小鳥遊さん、借りてもいいかな?』だとー? 小清水さ、もう風はあんたのものなんだから持っていきなさい」

 相変わらずちーちゃんは口が悪い。小清水くんは真っ赤になって口元を押さえている。


「わたしたちに遠慮しなくていいよ。風ちゃんは小清水の彼女なんだし、風ちゃんを大切にしてくれればそれでいいよ」

 美夜ちゃんは良識的だ。

 小清水くんは、小さく、

「ありがとう」

と言って、わたしの手を取って教室を出た。


「あー! 緊張した! 女の子ってやっぱ苦手」

「緊張してたの?」

「うん。すごく」

「そうなんだぁ」

 古くて狭い校舎から出ると、外に出た開放感から息を深く吸い込む。雨は上がっていた。


「ねぇ、風ちゃんの傘、すごい花柄だね」

「……派手だよね? 並んで歩くの、やだ?」

「いや、別に。女の子らしいなと思っただけだよ」

 小清水くんはにやりと笑った。わたしもふくれっ面になる。

「雨が止んだから関係ないもーん」

「そっか。オレは相合傘したかったなー」

「うそ?」

「ほんと」


 学校のベンチは例外なく濡れていて、駅にあるマクドナルドでお昼を済ませることにした。


「あ、ごめん!」

 今まで気がつかなかったけど、マックの二人席ってテーブルがすごく狭い。ぴったりトレイ二枚分。気を抜くと、足が当たってしまったりする。

「大丈夫だよ」

と小清水くんが答えたその笑顔が、いつもより近い。


 不意に昨日のことを思い出して、そんな自分に恥ずかしくなる。なんで今……。

「昨日さ」

「うん」

「遅くなっちゃって大丈夫だった?」

「うーん……あんまり、かな?」

 ふたりして気まずくなるのは遅くなったせいじゃない。


「やっぱりちゃんとオレが家まで送るべきだったかな?」

 それまで下を向いてもそもそとハンバーガーを食べていたわたしは、ハッと顔を上げる。

「ううん、ちゃんと連絡入れれば大丈夫。あの、ほら……つき合ってること、バレちゃったから」

 えへへ、と気弱に笑って見せた。

 小清水くんも笑っているのかそうじゃないのか、微妙な表情だ。


「風ちゃん、今日の講義、あといくつ?」

「3コマだけだよ」

「じゃあ同じだ」

 彼は頭の後ろで手を組んで、背もたれによりかかって何かを考えている。わたしはまたいつものごとく、なかなか出てこないシェイクをすすっている。


「あのさ……言いにくいんだけど、うちに来ない?」

「……」


 突然すぎてストローを咥えたまま、動きが止まってしまった。想定外、というやつだ。

「いや、変な意味じゃなくて。変な意味……なんかそういうの、いまさらだったらごめん! うち、すごく近いから歩いても近いし、自転車はむしろ、キャンパス内の移動のためにあるようなものだし……」

「うん……」

「遊びに来ませんか?」

「じゃあ、お願いします」


「行こうか」

と彼はトレイをふたつ持って立ち上がり、傘も2本持ってくれた。当たり前のように手を繋ぐけど、わたしには当たり前じゃない。やさしいな、と思う。大切にされていることをうれしく思う。


 3コマの後、正門前で待ち合わせて彼のアパートに向かう。心臓が、どきどきして、変な不安と期待が入り混じる。何が不安で何が期待なのか、もはやわからない。

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