第3話 『小鳥と遊ぶ』
そしてその日のお昼はふたりで『黒猫亭』という学校近くの洋食のお店に入った。ここはすごく女の子に人気があって、ちーちゃんたちとも何回も来てる。ハンバーグと、お魚のフライがおいしい。
とっても丁寧に作られた家庭的な味なんだけど、作ってくれてるスタッフがみんな、給食のおばさんのように気さくなのでここに来ると、おいしさとやさしさで心がほっこりする。ダークブラウン基調のテーブルや床板もステキだったし、大テーブルにそれぞれ離れて向き合って座るか、もしくはカウンターのように隣合うかというシステムも変わっていて面白かった。
わたしたちは少しだけ待って、「混んでてごめんね」と言われながら2階の席に案内された。2階は初めてだった。きちんと個別のテーブルになっていて、下よりも静かだった。メニューとレモン水を置かれる。
何となくわたしが奥になるような形になって、席についた。なんだかいろんなことが目まぐるしくて「ふぅ」と小さいため息をついてしまった。
「疲れちゃった?」
「あー、疲れたというか…やっぱり恥ずかしいというか…」
言わなければいいことを言ってしまって、一気に顔が赤くなるのを感じた。とりあえずレモン水を一口飲む。ずっと繋いでいた手の温もりが、コップの冷たさに吸い取られていく。
「オレは全然、ふだん、本とか読まなくて…」
「うん?」
「入学した時のオリエンテーションで自己紹介やったとき、何となく人数も少ないからちゃんと友だち作らないとって思って名簿を見てたんだ」
「うん、わたしも人数少なくて緊張したの」
「だよね。受験する時は、受かったあとの大学生活のことまで考えてないよね、必死で」
小清水くんは苦笑した。
うちの大学はそこそこレベルが高いので、現役だとちょっと難しい。わたしも彼も現役だった。
「それでさ、名簿を見ながら自己紹介聞いてたら、
またもや顔が赤くなる。あの時だって死ぬほど恥ずかしくて、上手く言いたいことを言えなかった気がする。
「小さくてふわっとした子だなーって見てたんだ。緊張してるな、大丈夫かなって。誰だってするよね? そしたら、『たかなし・ふう』です、って言うから名簿見たら、小鳥と遊ぶって書いて、『たかなし』って読むんだーって初めて知って」
彼は恥ずかしそうな顔をして笑った。
「それから、『風』って変わった名前だなーって、すごく印象に残ったんだよ」
「………」
俯いてレモン水をもう一口飲んだ。
「わたし、小清水くんをきっとがっかりさせるよ?名前は変わってるけど、それだけだもの」
「オレはきみの名前とつき合ってるわけじゃないから大丈夫」
わたしはハンバーグ、彼はカジキのフライを頼んだ。食べてる間はそんなに話さなくて、彼はゆっくり、それから男の子らしい大きな口を開けて一口ずつよく噛んで食べていた。おかげでいつもみたいに食べ終わるまですごく待たせることもなく、わたしも急がずにおいしく食べられた。添えられたポテトのソテーや、ニンジンのグラッセまでおいしく。
食後のお茶とコーヒーが運ばれてきた。ここのお料理、やっぱりおいしい。
「元気出た? やっと笑ってくれてホッとしたー」
彼が本気で安心したという顔をしたので、心底驚いてしまった。
「え? 小清水くんて女の子といて緊張するようなタイプじゃないのでは…?」
「ほら、小鳥遊さんはオレの自己紹介なんか聞いてないじゃん」
「それはほら、1年も前のことだし記憶力が悪いからでー」
「違うよ、オレに興味無いからだよ。オレ、高校まで男子校だったって言ったのに」
なるほど…言われてみるとそうかも。
「でも、それでも小清水くんはモテたんじゃない?少なくとも大学に入ってからは女子もたくさんいるし」
「…聞きたいの?高校のときは同じ電車で通う女の子に手紙をもらったことがあるけど、そこに書いてあったのは『あなたのことをずっと見てました。好きでした。ありがとう』。…過去形だったよ。こっちはもう何も言えないよー。お礼を言う間もなく走って逃げられちゃった」
つい吹き出してしまう。それはその女の子の気持ちがわからないではないけど。小清水くん、モテそうだからふられるの怖いもの。
「大学入ってからは、遊んでそうなお姉さんに声をかけられることもあるけど、まだ女の子とつき合ったことないのに、悪いけどそういう経験豊富なお姉さまは、ね」
ははは…とから笑いした。さっき、ほぼ強引に手を繋いできたのに、あれは強引ではなくて不器用だったのかも…。
「だからね、ちょっと早いんだけど、小鳥遊さんがオレの初めての彼女です」
「なんかすみません、『お試し』とはいえわたしなんかで…」
何故かふたりでいるのは初めてだったのに、居心地がよかった。わたしは彼のことをなんにもよく知らなくて、テレビの中の人くらい遠い存在だったけど。話してみたら、そんなに肩に力を入れなくても大丈夫な人だった。
「じゃあ、次の授業には余裕あるけど、ゆっくり歩こうか」
「うん」
お店を出て、またそっと手を繋いでくれたけど…確かに彼の手は緊張してるようにも思えた。わたしは彼の見た目や、一見、他の人より目立ってしまう言動ではなく、今繋いでいるこの手から、彼のことをもっと知っていきたいと思った。
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