第26話 卵メの世界

 

 佑香さんの部屋は圧巻だった。

 部屋の隅にはベッド、真ん中には小さめのテーブルとダメになるビーズクッションが置いてある。

 それ以外に部屋にあるのは水槽だ。壁に沿ってズラっと水槽が並んでいる。ここだけ切りとったらお店のようだ。エアレーションの低音と水が流れる音が響いている。よくこの部屋で寝られるものだ。

 

「凄いね……。水槽たくさんだ。」

 

「これでも少し減ったんだよ。そのクッションにでも座ってて。飲み物取ってくる。」

 

 佑香さんはリュックを開けて先程の8,000円のお魚を取出し、何も入っていない水槽に袋ごと浮かべてから部屋を出ていった。

 私は鞄をベッド近くの床に置いてから、水槽を見ることにした。がっしりとした木製の棚の上下2段に水槽が並んでいる。サイズは多分30センチ水槽だろう。

 底砂の代わりなのか、茶色いもさもさしたものが敷かれている水槽や、毛糸の塊みたいなものが入っている水槽もある。フィルターはスポンジフィルターで、あとはヒーターが入っているだけだ。

 

「すっごいキレイなお魚……。」

 

 水槽自体は水草が入っている訳でもないため、華やかさは無いが、そこに住んでいるお魚はとてもキレイだった。サイズは大きいもので5センチくらいだろうか。色や形は様々で、オレンジに赤のラインが入った細長い子もいれば、背びれや腹びれが大きくてカラフルな子もいる。どの子も発色が凄く良いのが素人目にもわかる。

 真っ赤なお魚が泳ぐ水槽の右上に、可愛いマステが貼られており、丸っこい字が書かれている。

 

「ノソブランキウス?このお魚の名前かな?」

 

「いいでしょ、卵メ。」

 

 いつの間にか佑香さんがコップをお盆に載せて戻ってきていた。小さめのテーブルにお盆を置いて、こちらにやってくる。

 

「らんめ?」

 

「卵生メダカのこと。彩が買ったメダカも卵メ。卵を産むタイプ。逆にグッピーみたいにお腹の中で卵を孵化させてから産むのは卵胎生。」

 

 佑香さんはクローゼットを開けて、積み重なった衣装ケースから、ゴソゴソと何かを取り出してきた。それは100円ショップで売っているような小さなタッパーだった。佑香さんは、その中に入っている茶色いもさもさしたものをピンセットでいじりだす。

 

「あった。ほら。」

 

「え、うわぁ。これ卵?」

 

 ピンセットで指し示された先には小さな半透明の卵があった。茶色いもさもさの上に小さな卵が1つ乗っている。

 

「さっき見てたやつ。コーソザイレッドの卵だよ。」

 

 佑香さんが水槽の方を指さす。キレイな赤色の子だ。

 

「すっごいきれーだよね!でも、卵は水の中にいなくていいの?」

 

「この子達は雨季と乾季がある地域の魚だからね。年魚って言うんだけど、水中で卵を産んで、乾季になると水辺が干上がっちゃうんだ。卵は水が干上がっても生き続けて、また雨季になって水に沈んだら孵化する。そしてまた水中で卵を産むっていうのを繰り返すんだ。ちなみにあっちのアフィオはそういうのいらなくて、そのまま水中で卵が孵るタイプ。」

 

「へぇー、そんな子達もいるんだ……。この茶色いもさもさは?」

 

「これはピートモスっていうやつ。元は園芸品なんだよ。ノソとかの卵は水草にはくっつかないから、これを産卵床にしてるの。」

 

 なるほど。本当に色んな種類、生態の魚がいるんだなと感心する。

 

「この卵はどうすれば孵化するの?」

 

「卵は数ヶ月休眠させるの。こうやってタッパーとかに入れて、少し湿気を保ったまま保存して、休眠を終えた卵を水に入れてやれば、すぐに孵化するよ。この卵はまだだねー。」

 

 このタッパーに入っているのは休眠中の卵らしい。衣装ケースには他にも小さなタッパーがいくつも入っている。

 

「しっかり管理できてて凄いや……。」

 

 エアコンでの温度管理、種類やペアごとに分けられたたくさんの水槽、卵の保管、どれもがちゃんと管理されている。

 

「私はほんとにまだまだなんだなぁ……。」

 

「そりゃそうだよ。あたしが何年熱帯魚やってると思ってるのさ。」

 

 タッパーを衣装ケースに戻しながら、佑香さんが続ける。

 

「あたしが最初に飼ったのは何の変哲もないメダカでさ。小学生の頃、お父さんが突然貰ってきたんだよね。大きめの瓶にマツモだけのよくあるやつ。エアレーションも無しで、リビングに置いてさ。毎日餌あげたり水換えしたり、結構可愛がって世話してたんだ。それなのにあっさり死んじゃった。今考えれば当然でさ。水量少ないのに餌やりすぎ水換えしすぎ、エアレーションも無し。水温も全然見てなかった。」

 

「朝起きて、餌あげてさ。よく見たらメダカが沈んでて。ショックだったなぁ……。」

 

 水槽の隅に白くなったネオンテトラが沈んでいた光景を思い出す。佑香さんも同じような経験があるんだ。

 

「それからあたしは調べたんだ。メダカの飼い方をちゃんと。水質や温度管理の方法はもちろん、種類にあった飼育方法に、繁殖のさせ方も。それから、お年玉持って店長のとこで水槽買ってきた。そこからあたしは本格的に熱帯魚沼にハマったわけ。もちろん、たくさん調べて知識つけても、突然落ちちゃう個体はいるし、上手く繁殖させられないで終わっちゃうのもいるけどね。その辺の難しさも含めて、あたしは熱帯魚が好きなんだ。」

 

 少し恥ずかしそうにアハハと笑う佑香さん。佑香さんは本当に熱帯魚が好きで、凄く真摯に向き合ってるんだと思った。私も……。

 

「そうだ、これこれ。」

 

 佑香さんが白い手のひらサイズの箱みたいなものと、電源ケーブルを渡してくれた。

 

「これは?」

 

「水槽用の扇風機。もう使わないからあげるよ。」

 

 裏返してみるとファンがついており、水槽に取りつけるためのクリップもついている。

 

「え?いいの?高いんじゃない?」

 

 今日お店で店長さんに紹介された扇風機でも1,000円はした。少なくともあれよりは高そうだ。

 

「んー、覚えてないや。うちはもうエアコンつけっぱなしだからね。いらないんだよ。あげるあげる。」

 

 麦茶を一気飲みしてから佑香さんが苦笑いして続ける。

 

「エアコン付けっぱだから電気代やばいらしいけどね。」

 

 確かにそうだろうなぁと思う。エアコンの他にも、これだけ水槽があれば、かなりお金がかかってそうだ……。

 

「じゃあ……、ありがたく使わせてもらうね。」

 

 お店で買わなくて良かったーと言って二人で笑う。その後はいろんな卵メを見ながら、佑香さんの解説を聞き、熱帯魚について楽しく語り合った。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

「よし、これで……、スイッチオン!」

 

 ウィーンと音を立ててファンが回る。排風口から出た空気が水面を揺らしている。

 

「うーん、これで水温下がるのかな……。」

 

 今年の暑さに対して、少し心もとない気がする扇風機だが、とりあえずこれで様子を見てみることにする。

 フレークをつつくネオンちゃん達は、私には元気そうに見えるが、実際はどうなのだろうか。魚の声が聞こえれば、不調にもすぐ気づくことができるのに。

 

「それは佑香さんでも無理だろうなぁ……。」

 

 魚の声を聞こうと真剣な顔で卵メとにらめっこする佑香さんを想像して、ふふっと笑ってしまう。

 

「来週、水換えかな。」

 

 スマホを取りだして、次の土曜のスケジュールに『水換え』と入力する。来週の土曜はもう夏休みだ。そのままの流れで彩にメッセージを送る。

 

『次の土曜の午後、熱帯魚見に行かない?』

 

 すぐに既読がついて、可愛いキツネがOKと言っているスタンプが届いた。

 

 うん、もう大丈夫。

 これからも熱帯魚を楽しもう。

 ベッドに転がって、『ネオンテトラ 飼い方』と入力する。まずは自分が飼っているお魚や水草について、改めてちゃんと調べることにした。既に知っている情報が多いけど、知らない情報もあったりして、調べれば調べるほど、私は熱帯魚のことが好きになっていくみたいだった。

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