第2話・竹下古書店
「……それで今日もまた来たわけか」
そう呆れるように言ってタケじいは老眼鏡をずらした上目づかいで僕の方を見る。
手には表紙の取られたタイトルのわからない文庫本が開かれている。
「どう思うよタケじいは?僕らみたいな子供には嘘をつけば閻魔さまに舌を抜かれるだとか、夜中に妖怪がさらいにくるだとか散々脅してきたくせに、自分たちは嘘偽りを都合よく駆使して世の中を渡り歩いているじゃないか」
「本音と建て前を巧みに操りながら世間を渡り歩くのは誇るべき日本人特有の気質であり、嘘と方便で都合の悪いことを誤魔化していいのは全世界共通で大人だけに許された特権だ。そして今おまえが景気よく捲し立てて言ったことは、古今東西、あまたの鼻を垂らした未熟なクソガキどもが言い続けてきた下らない屁理屈だ」
「クソガキはひどい」
「ふん、床と壁と天井がある家で三食タダ飯食わしてもらってるうえに、ロクでもないことに使われる小遣いやアホみたいに薄っぺらな繋がりを維持するための携帯電話の金を支払ってもらい、挙句に学生の本分である学業をサボってこんなジジイに朝っぱらから説教されている甘ちゃんのおまえはクソガキでもほめ過ぎなくらいだ」
「おまけに立ち読みばかりで、一度も本を買ったことがないしね。そうそう、これ、この前借りてったヤツ。読み終わったから棚に戻しとくね」
「うちは図書館じゃねぇぞ。……ったく本当に救いようのないミソクソ野郎だ」
タケじいはこの通り口が悪い。限りなく悪い。パッとしない商店街の中でも殊更パッとしない一角のパッとしない古本屋の店主だからこそまだ何とか辛うじて『偏屈な爺さん』ということだけで許されてはいるのだけれど、こんな人が仮に一般的な社会の中でそれなりに地位ある立場なんかに着いていたとしたら、きっと辺り構わず多くの敵を作って大変だっただろう。
そしてそのうちの誰かにこっそり毒でも盛られて、あるいは夜道を背後から襲撃されて殺されていたかもしれない。
それだけタケじいの減らず口は達者だった。
だけど、僕は昔からこのタケじいを訪ねに店に行くのが好きだった。
どれだけ悪態をつかれ、邪険に扱われ、顔をしかめて迷惑がられようとも、それらの裏側に隠された僕に対する温かな気持ちを知っていたから、何を言われてもタケじい、タケじいとめげずにそばに寄って行った。
正式に不登校生として世間から認知されて早くも一か月、下らないプライドかもしれないけれど、何だか部屋に引きこもるのも嫌だったし、かといって街を歩くのにも飽きて行くあてのなくなった僕が、毎日朝からここに入り浸っていても別段追い出そうともせず、悪態共々いつも通りに接してくれるタケじいの態度がとても嬉しかった。
今でもハッキリと覚えている。
当時はまだ惣菜屋の方もそれほど忙しくはなく、率先してやっていた自治会の当番で何かの集金をして回っていた母に連れられて初めてこの古書堂に足を踏み入れた時、僕の七歳の小さな体には確かに電流が走った。
古い紙と黴臭さと窓から差しこむ陽の光が程よく混じりあった匂い。
いくらハタキをかけても何故だか拭いきれない永遠のホコリっぽさ。
大事に棚に収められ色褪せることなく輝き続ける豪華な装丁を施された本の艶やかさに、雑然と平積みされた日焼けやシミの目立つ二束三文の本たちの純朴さと野暮ったさ。
価値の重みを感じさせるぶ厚い文学全集、文豪たちの絶版・初版本、英語で書かれた昔のペーパーバック、文芸雑誌の古いバックナンバー、解読不明の古文書、作者不明の掛け軸……。
とにかく狭い店内に人が歩くスペースすら惜しんでギッシリと並べられた古い書物のページ一枚一枚の間から、まるで石清水のごとく滾々と湧き出ててくるかのような厳かな悠久の時間に、僕は一瞬にして魅せられてしまった。
とりたてて古い物が好きだったわけでもなければ、絵本だってそれまでまともに読んだこともなく、おまけにまだまだランドセルに背負わされているくらいにちんちくりんの子供にその時の衝撃がなんであったのかわかるわけもなかった。
けれど、あの頃より少しは成長した今ならばなんとか説明ができる。
それは多分『運命』だった。
僕は、この世に生まれ出でる前より誰か(もしくは何か)の手によって遺伝子の中に組み込まれ、地図もコンパスも簡単なヒントすらも与えられないまま一生をかけて探し求め続けることを余儀なくされた『運命』というものに、おそらくそこで出会ったのだ。
『運命』……あまりにもこの言葉を人々が安直に使いたがる昨今だから仕方がないとはいえ、それが随分と安っぽい響きに聞こえてしまう。
おかげで自他ともに正式公認しているひねくれ者としてはなんとも面白くない話なのだけれど、他にうまい言いようが見つからない。
その時、僕の小さな体を震えさせたのは、確かに『運命』同士がピタリと結びついたことによって生じた、軽い衝撃波のようなものだったのだという妙な確信がある。
少なくともそれを僕自身が『運命』にしたいと思っている時点で、もはやこの出会いをそう呼んでもいいんじゃないだろうか?
……一生のうちにどれだけ運命的な出会いというものに遭遇するのかはわからない。だけど、僕にとってその一回目は、紛れもなくこの七歳の夏の昼下がりに出会った古本屋が相手だった。
そして、その時もタケじいは今みたいに番台の奥から老眼鏡を少しずらして僕の顔を見ていた。
まだ運命の邂逅の余韻から醒めやらずにボンヤリとしていたうえに、初対面の大人と出会ったことへの緊張感で僕はすっかり固まり、母が再三背中を小突いて挨拶をするように急かしても、ただただタケじいの目を見つめ返すことしかできなかった。
目尻に樹木の年輪のごとくたくさん刻まれたシワの隙間から辛うじて見え隠れする程度のとてもつぶらな瞳だった。
しかし、その深い深い黒色をたたえた小さなタケじいの瞳は曇り一つなく、むしろ少年だった僕よりもまだ瑞々しく輝いていた気がする。
そのせいなのか否か、いくら見つめられても不思議と威圧感は感じず、むしろ体の芯が仄かに温もっていくような優しさすら感じるくらいだった。
―― 本が好きか? ――
―― ……わかんない ――
―― 俺は好きだぞ ――
―― え? ――
―― 俺は本が好きだ ――
―― ……うん、そうなんだ ――
―― そうなんだよ、これが ――
タケじいは、天上から天使がイタズラに垂らした釣り針か何かに引っかけられでもしたかのように、片方の口元を無理矢理にひん曲げて笑った。
今にして思えば、あれはおよそ普通のいい大人が純真無垢な子供相手に決して向けてはいけない、とても意地の悪そうな引きつった微笑みだったはずだ。
その証拠に僕の隣に佇む母は呆れるやら困惑するやら怒るやら、何とも曖昧な薄ら笑いを浮かべていた。
しかし、偏屈爺さんなりに一生懸命、愛想を使ってくれたのだということを敏感に察した僕は、その老父の不器用な笑みに一気に心の壁が取り払われていった。
このタケじいという人物との出会いもなかなか運命的ではあったのだけれど、そんなに続けざまに運命という言葉を乱発するのは運命の品位を落としてしまうような気がするのでとりあえず僕はリストから省くことにしている。
それになんとなく、その相手がタケじいだというのもシャクに障るし……。
「これ、なかなか売れないね」
そう言って僕が手に取ったのは、今にも綴り糸が切れてバラバラに解けてしまうのではないかという位に古びた絵本の束の一冊だ。
桃太郎だとか浦島太郎だとかシンデレラだとか、漢字はもちろん、覚えたての平仮名ですらも怪しいけれど、それでも本というものに魅了されてしまった七歳の男の子が苦も無く読めるような幼児向けのその絵本は、他のタケじいの店の渋い本たちの中にあって一際異彩を放っている。
本人は決して認めようとはしないけれど、それはあの日から毎日のように店に通い始めた僕のために、タケじいがどこからか仕入れてきてくれた物だった。
何を隠そう、この本がここまでボロボロになってしまったのは、幼い僕が何度も何度も読み返したのが一番の原因なのだ。
「
「それにこんな汚らしくて絵も劇画調でぜんぜん可愛いくないお伽話じゃ、夢なんて抱けないだろうしね」
「何を言ってる、背表紙をめくって発行年のところを見てみろ。ガキはともかくとして、大人は充分夢を抱けると思うぞ」
「発行?……げ、昭和十年だって。一体、何年前なんだよ」
「ざっと八十だな」
「八十年……タケじいと同い年か」
「そう、昭和十年・西暦1935年は日本にとっても世界にとっても豊作の年だった。今ある大手の電気機器メーカーの前身の会社がいくつも続けざまに誕生した。警視庁がはじめてパトカーを導入し、築地に中央卸売市場が開場した。そして何より俺がこの世に生を受けた。しかし、同時に失うモノも多い年だった。忠犬ハチ公が駅前で天に召され、ベーブ・ルースが現役を退き、ナチスの制定した法律によってユダヤ人は市民権を奪われた」
「よ、歩く世界年表」
「だてに日がな一日、本ばかり読んでいるわけじゃない。とにかく、そんな麗しき昭和十年発行のその絵本のシリーズは、当時、日本の西洋画壇界の鬼才として一世を風靡した若手絵師が、最初にして最後の挿絵を描いてかなり話題になったものだ。残念ながら度重なる戦争や災害、そして人災によって今じゃ殆ど現存しちゃいない。買う金もないのに文字通り穴が開くまで読み込みやがったどっかのクソガキがボロボロにしちまって保存状態は最悪だが、その手のコレクターなら一冊五万くらいは喜んで出すだろう」
「マジで?五万円ねぇ……そんな大層な絵でもないように見えるんだけど」
「今も昔も、芸術というものは凡人には理解し難いから芸術なんだ」
そして僕らの間に束の間の静寂が流れる。
僕は芸術について思いを巡らせ、タケじいは何かについて思いを巡らせていた。
黙り込むと、タケじいのそばで僕に背を向けるように置かれた小さな卓上テレビが、図体に見合うだけの微かな音で点いているのがわかる。
その音は本当に小さかったので、テレビが何について話しているのかはわからなかったけれど、小さいなりに何か切迫したような熱気がこちらに伝わってくる音だった。
それまで読んでいたらしい文庫本はすでに机に伏せられ、タケじいはジッとその画面を見つめている。
そこで出し抜けに柱時計の鐘が打つ。
店の片隅で古い書物に埋もれるように置かれた、これまた骨董品のような年代物の柱時計だ。
ゴーン、ゴーンと。
その時計が過ごしてきたであろう気の遠くなるような長い歳月の重みそのままに、荘厳で奥行きのある重低音だった。
そんな鐘の音が正確に十回だけ鳴って止まると、また静けさが僕らの世界を支配しようと出しゃばってくる。
だけど、もはや彼らの出る幕はない。
震えた空気の忙しなさといつまでも耳に残って離れない鐘の音の余韻は、このまま、また黙り込もうとするには少しだけ騒がしい。
「……なあ、どうして学校に行かないんだ?」
先に口を開いたのはタケじいだった。
目線は変わらずテレビの方に向いている。
「だからさっき言ったろ?なんとなく行きたくないから行かないんだよ」
「それじゃ、なんでなんとなく行きたくないんだ?」
「それは……」
「理由がない、よくわからない、しかしなんとなく学校には行きたくはない……。そんなことはないはずだ。人間が何かをしたい、あるいは何かをしたくないと言う時には必ず何かしらの理由があるもんだ。おまえが気がついていないだけなのか、それとも気がつこうとしないであえて目を逸らしているのか、そこまではわからん。だが心当たりがないわけではないんだろ?」
「……歩く心理学?それとも哲学かな?いや、ただの一般論?」
僕はなんとかいつもの調子を装って軽口をきく。
「どうして学校に行かないんだ?」
しかし、そんな虚勢はあっけなく握りつぶされる。
まさかタケじいから唐突にそんな鋭い詰問をされるとは思っていなかった。
口は悪いし、いつだって僕の言うことややることに文句を言ったり茶化したりはするけれど、こんなふうに非難がましい物言いで問い詰めてくることはこれまで一度だってなかった。
僕のいくらかひねくれた考え方を、他の大人が無理やりにでも真っ直ぐ矯正しようとして頭から否定してくるのと違い、タケじいはそんな僕のひねくれを個性だと言って第一に尊重し、そのうえで真っ当な大人の意見としてたしなめるように二言三言、注意してくれた。
それがタケじいだった。
だからこそ僕もタケじいの言うことならと素直に聞いてきた。
タケじいだけはいつでも僕の味方になってくれると思っていた。
……それなのに。
「図星を言い当てられてふて腐れたか?」
憮然とする僕の顔をからかうように、タケじいは例の意地悪く引きつった微笑みを浮かべる。
細められた目元には、意地の悪さと共にこちらへ無償の安心感も与えてくれる数本の柔らかなシワが刻まれている。
いつものタケじいだ。
「……茶化したの?」
「これまで俺がおまえを茶化さなかった日が一度でもあったか?」
「今のは少しタチが悪い」
僕は少しだけ怒りを込めて言う。
「タチが悪いと感じるのは、おまえの中にやましいところがあったからだろう」
「やましいって……犯罪者でもあるまいし」
「学校をサボるのは学生にとって重大な犯罪行為だぞ」
そしてタケじいは柱時計の方に目をやって時刻を確認し、おもむろに立ち上がる。
「さてと……なあ、クソガキ。ちょっと店番しててくれ。写真屋の隠居ジジイと囲碁の約束をしてるんだ」
「なんで僕が?」
「仕方がないだろ、1年・365日のうちで370日くらいは暇を持て余しているような奴と違ってこっちは忙しいんだと何度言っても聞かないんだ。なに、すぐ戻る。あのジジイ、筋は悪くないんだが元来せっかちな気質で、ついつい勝負を急いじまう癖がある。おかげで対局の時間は流れ星が瞬くよりも早いんだ。……あ、それとそこの番台の机に伏せてある本、読みかけだから絶対にいじくるなよ、いいな」
からかわれたことで受けたショックからまだ立ち直っていなかった僕が返答する暇も与えず、タケじいはさっさと出て行ってしまった。
浮き立つような軽快な足取りなところを見ると、むしろタケじいの方が碁を打ちたくてたまらないように見える。
「忙しいねぇ……」
僕は思わずそうつぶやく。
ここに十年通っている僕の知る限り、この古本屋が忙しかったことなんて一度もないじゃないか。
まあ、それでも、写真屋のご隠居さんに負けないくらい暇を持て余している僕にとっては、客の来ない店の店番でも、筋金入りの立ち読み客でもやることは同じ、ただ体裁が少し違うだけだ。
それに固くて座り心地の悪いリンゴの木箱ではなく、いつもはタケじいが居座る番台の柔らかな座布団の上でゆっくり本を読めるのは嬉しかった。
そういえばこれまで番台に上がったことはかったな、と思いながら、僕は靴を脱いで番台に上がり、ぐるりと店内を見渡す。
特に心が沸き立つような景色が広がっているわけでもなく、いつもの色気のない古本屋がそこに広がっていたけれど、どこから見ても変わらぬその眺めに、僕は満足感を覚えながら本を読み始める。
……ちなみに卓上テレビには国会の党首討論の模様が流れていて、与党のトップと第一野党のトップとが各々得意そうな顔をして熱のこもった舌戦を繰り広げているようだ。
だけど、なにぶん殆ど無音に近いくらいに音量が絞られていたから、僕の目には彼らは国の行く末を話し合っているというよりか、みんな真剣な顔でこの世の中に新しい混濁を生み出そうと必死になっているように映る。
なるほど、目的を同じにした人間が同じ方向を向いて力を合せれば大抵のことはできる、人間の力とは本当にすごいものだと僕は感心しながらテレビを消す。
僕は熱心な読書家だと自負している。
……それはもちろん、タケじいの趣味によって集められたこの店のラインナップに影響されたことは言うまでもないだろう。
棚に並べられた本、あるいは台の代わりに置かれた幾つかの木箱(普段、僕が椅子替わりにしている物と同じ)に平積みされた本は、どれも古いという共通項を等しく持ち合わせている以外、あとは何でも有りという感じだった。
小説、エッセイ、翻訳、英文、仏文、科学書、実用書、地図、歴史書、エトセトラ、エトセトラ……。
これまで僕はこの店でたくさんの本と知り合うことができた。
読めるものも読めないものもあった。
理解できたものも全くもって理解できないものもあった。
僕にとって本とはそういうものだった。
それが壮大な歴史小説でもトノサマバッタの生態について詳しく書かれた論文であっても構わない。
とにかく紙が古くて文字が小さくて仰々しくて、ジャンルという枠組みがない一つの大きな観念、それが僕にとっての本だった。
僕は学校で、生徒は漏れなく何かしらのクラブに属さなければならないという面倒な校則のために、一応読書クラブに入っているのだけれど、おかげ様でそこにいる他の生徒の誰とも全然話が合わなかった。
本当に、誇張ではなく、一ミリだってわかってはもらえなかった。
わざわざクラブに所属してまで本を読み、そして語り合いたいと願うくらいの読書好きが集まるクラブであるにも関わらずだ。
中には、
おまえは古ければそれでいいんだな?
美人でもブスでも男でも女でも日本人でも外国人でも、そして種族が違ったとしても?
……そんな悪態に僕は不思議と腹が立たず、何かを言い返すこともしなかった。
別に僕が怒らなくても、その男の品もなければ全く上手でもない喩えに、彼が一途に愛している例の偉大な文豪が死の世界から怒りの鉄槌を下してくれるだろうと思ったからだ。
その作家が生前、弟子たちの文学指導、特に日本語の遣い方に対して相当厳しかったというのはとても有名な話だった。
それに僕自身、自分の本との接し方が誰にも受け入れられないことについて、寂しく思ったことは一度もなかった。
これは別に強がりを言っているわけじゃない。
僕は心からそう思う。
むしろ誰にもわかってなんて欲しくなかった。
タケじいと僕と、そしてこの古本屋だけで構成される小さな小さな世界に、他の何かが割り込んで来るような余地なんてどこにもない。
永遠の楽園のように、汚れを知らない子供が見る夢のように、ここはどんな介入も受け入れはしないし、決してどんな介入をしたりもしない。
ここはもはやある意味で完結された場所なんだ。
……お願いだから誰もこの世界の均衡を壊さないでくれないか。
取り留めもない考えにとらわれてしまったせいで、読んでいる本の話が全く頭に入ってこない。
その本の内容が時代遅れの厳めしい哲学書だったからということを加味してみても全然集中ができず、いくら本のページをめくってみても、頭には例の松元重五郎先生が自分の弟子たちを広い書斎に集めて正座させ、延々と説教なり文学講義などをしているイメージばかりが浮かんでしまった。
弟子たちはみな足の痺れをこらえながら、それでも尊敬する先生のお言葉を一字一句聞き逃すまいと耳をかっぽじって聞いている。
先生の語り口調はそんな彼らの気持ちを知ってか知らずか、時を追うごとに熱を帯びていく。
弟子の中にはあのクラブの生徒ももちろん混じっている。
しかし、彼は他の兄弟子よりも辛抱強くはないようで、一人モジモジと足を動かして落ち着きがなく、それを見つけた先生が厳しく彼を糾弾する。
やる気がないのなら出て行けとさえ言う。
彼は半ば潤んだ目で懇願する。
「いえ、先生、そばにいさせてください。松元先生以外の作家の書いた小説はことごとくクズです!文学的変態です!」
……僕はため息を吐きながら諦めて本を閉じる。
やれやれ、気にしていないつもりだったのに何だってこんな下らない想像をしなきゃならないんだ。
これじゃまるでアイツの言ったことを根に持っているみたいじゃないか。
―― 人間が何かをしたい、あるいは何かをしたくないと言う時には必ず何かしらの理由があるもんだ。おまえが気がついていないだけなのか、それとも気がつこうとしないであえて目を逸らしているのか ――
さきほどタケじいが言った言葉が思い出される。
「……しょうがないだろ……本当によくわからないんだから」
僕はそう独りごちる。
繰り返しになるけれど、本当に僕は学校生活に不満を感じてはいない。
確かに挨拶や最低限の会話はすれど、それ以上のコミュニケーションを積極的にとるような友達らしい友達もいない。
それはそうだ。
テレビを殆ど観ない僕に彼らが話すバラエティー番組の面白さは伝わらず、マンガ本くらいしか読まない彼らに文学的変態らしい僕が語る百五十年前の古書から滲み出る芳醇な古の香りの素晴らしさは伝わってはくれない。
さらに女子と話す時はなんだかドギマギと緊張してしまってうまく喋れず、それが恥ずかしいので親しくなりたいと思いつつも挨拶や最低限の会話すらもまともにできないという始末だ。
休み時間にはだいたい本を読み耽っているし、昼ご飯は人気の少ない屋上の隅で一人静かな時間を過ごしている。
研修旅行のグループ分けも人数が余っている班にお情けで入れてもらい、クラブ活動でもすっかり孤立してしまっているのは前著の通りだ。
学業の成績は平々凡々、運動神経も人並み程度、良くも悪くも目立たず、職員室での教師たちの評判は可もなく不可もなくと言ったところ、授業態度はいたって真面目、特に手が掛からない優良な生徒であり、同時に卒業後の二、三年で図らずもその存在を忘れていってしまうような印象の薄い生徒として、きっと先生方の目には映っていることだろう。
なるほど、改めてこんなふうに自分で自分のことを客観的に眺めてみると、なんと華やかなスクール・ライフを満喫していることかと、思わず得意のひねくれた苦笑いがでてしまう。
僕の学校でのそんな姿を見たら、タケじいはどんな醜悪な言葉で嫌味を言ってくることやら、考えただけで少し腹が立ってくる。
……まあ、薄々感づいているとは思うのだけれど。
しかし、それでも僕は学校生活に不満はないのだと三度繰り返したい。
心許し合える竹馬の友どころか一緒に昼ご飯を食べるような友達もいない。
燃えるような恋心をぶつけ合う愛しい彼女どころかまともに女の子と話もできない。
容姿も並み。
勉強も並み。
運動も並み。
人望も将来性も並みの並。
青春の光はとても小さく、それも鈍い輝きしか放たない。
でも、決して陰湿なイジメにあっているわけでも特別誰かに嫌われているわけでもない。
学校の教育方針に異論はないし、そこでの勉強が社会に出てからまったく役に立たないだなんて幼稚なことは思わない。
一度も利用したことがないので学食の料理の味について文句を言う筋合いはないだろうし、彼女に三股をかけられる以前にそもそも彼女がいない。
僕の毎日は至って平穏に過ぎていった。
……だからわからない。
僕は現状にとても満足していたし、今でもそれは変わらない。
幸福でもなければ不幸でもない、崇高でもなければ下劣でもない、波もなければ風も立たないそんな静かな日々を、古書と一緒に過ごしていければそれでよかったはずだった。
それならばどうして?
どうして、僕の足は止まってしまったんだ?
ただ平坦な道の上をそのまま歩いて行けばよかっただろ?
色がなくとも静かで美しい時間の中を進んで行けばよかっただろ?
そう、例えその世界を、その場所を、その道を、一人ぼっちで生きていくとしても。
それなのに……それなのに……。
ゴーン、ゴーン、ゴーン
不意にまた柱時計の鐘が鳴り始める。
タケじいが出て行ってから一時間たったということだ。どうやら流れ星の瞬きというものは、僕が思っているよりも随分とのんびりとしたものらしい。
ふとそこで、机の上に伏せられた本が目に入る。
読みかけだから絶対に触るなとタケじいが言っていた本だ。
タケじいは読み止しの本があっても栞や何かを挟んでおくということはせず、必ずこうやって両開きのまま辺り構わずに伏せて置いておく。
もちろんそれが本に良いはずもなく、不必要に広がって痛みの原因になってしまうし、知らず知らずのうちに机の上にこぼしていたコーヒーの滴の上に置いてしまってシミが付いたなんてことも大いに有り得る。
本を取り扱う商いを営んでいる店主として、この癖は悪癖以外のなにものでもないとは思うのだけれど、タケじいは頑として直そうとはしない。
前に僕がそれを指摘すると、
「お前のつまらない人生四回分よりも長く付き合ってきた癖なんだ、生意気に口出しするなクソガキ。それにだ、そもそも俺の店の商品なんだから俺がどう扱おうとも勝手だろ」
と一蹴された。
……こういう大人にだけはならないように気を付けないといけない。
別に読む気はなかったのだけれど、僕はその本に手を伸ばす。
カバーが取られてむき出しになっていたその茶色い文庫本の表紙がどこの出版社の物とも違っていたので、少しだけ興味がひかれたのだ。
そして実際に手に取ってみるとそれは文庫本ではなく、どちらかといえば海外の廉価なペーパーバックにも似た、紙をただ簡単にまとめただけの和綴じの本であることがわかる。
はじめからカバーなんてものはかかっておらず、茶色くなっていたのは、この店の多くの本たちと同じく、真っ白な紙が単に長い歳月を生き抜いてきた末に名誉の日焼けとも呼べる変色をしたからに他ならない。
ごくごく見慣れた何の変哲もない古書……僕を特別ひきつけるものはないはずだった。
だけど、僕はその印刷ではなく直接毛筆で書かれたと思しき表題と作者名から寸分も驚きの目を離せなくなっていた。
また元の通りに机に伏せておかなければタケじいから口うるさく言われそうだと頭の片隅で誰かが囁いたけれど、僕はまったく聞く耳をもたず、文字通り本の表紙に釘付けになった。
ロンリー・プレイス物語
松元 重五郎 著
ドクン、という心臓の高鳴りと共に、つま先から脳天まで一瞬にして寒気が走った。
偶然なのか必然なのか、超然的な力のお導きなのか、はたまたごくごく自然的な流れだったのか……。
頭がちょっとした混乱状態に陥っている中、もはや何が然るべきことなのかまったくもってわからなかった。
でも、この感覚にはいささか覚えがある。
そう、例のあれだ。
安っぽくともやはり変わらずに尊い、『運命』というやつだ。
もしも運命的な出会いというものが、カウントダウン形式を採用している有限なものであったとしたら、一体この先の僕の人生において、あと何回そんな出会いが残されているのだろうか?
などという懸念がふと頭によぎったけれど、とりあえずそんなことはさて置き。
僕の手は迷わず本を開いていた。
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