ロンリー・プレイス・アヴェニュー
@YAMAYO
第1話・星辰町第二商店街
『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』。
という言葉を聞いて、英語圏に暮らす人々はもちろん、少なからず英語を嗜んだ経験のある人達は、多分、その意味や文法上のルールを真っ向から無視した乱暴な英文に、思わず首を傾げたり、苦笑いを浮かべたりしてしまうことだろうと思う。
中には英語という言語、ひいてはその成り立ちの歴史や文化や単語の中に溶かし込まれた思想などに至るまで問題を深く掘り下げて考え、それらを著しく冒涜する行為だと言って激昂する人だっているかもしれない。
神が与え給う崇高なる人類の英知に対してなんたる破廉恥な行為か、と。
『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』。
……直訳すると『一人ぼっち・場所・通り』となる。
思想や文化の問題はさておいたとしても、やっぱり随分と強引な英文だ。
もしこれが『ロンリー・プレイス』なり『ロンリー・アヴェニュー』なりに留まっていたならば、どんなに想像力が豊かで癇癪持ちの言語学者の耳に入ったとしても、彼の逆鱗に触れる心配はなかったのだろうし、誰かの首を傾げさせたりする必要もなかっただろうに。
だけど、とある小さな街を南北に貫いたとある通り……つまりは僕の暮らす商店街の名前として、かつて『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』は確かに存在していた。
戦後の復興の際、首都圏近郊という立地のわりに戦禍が少なかったこの地域に、一つ、また一つと日毎、道の両側に沿って開かれていった簡素な掘っ建て店舗達が、やがて一つの闇市というコロニーを形成し、そして時の流れとともに現在のような商店街という体をなすまでに発展していった。
その過程の中のある時点まで、通りは『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』という冠名を抱いて真っ直ぐに延びていたことがあった。
音の響きだけを聞けば、趣のある石畳が敷かれた英国の小洒落た目抜き通りのようなものを連想しないでもなかったけれど、その中身といえば、周辺住人たちの生活に根ざした、ごくごく有り触れた普通の土臭い露店市に過ぎなかった。
そして、そんな普通の露店市に決して普通とは言い難い名がつけられていたことについて、当時の住人の誰一人として疑問に感じていなかったらしいのだから不思議なものだ。
誰かがそうしようと定めたわけでもなければ、特別、住人たちが寄り合ってこれだと命名したわけでもなく、彼らが幼い時にはもうすでにそこは『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』だった。
英語教育など受けたことのない彼らに、もちろんその英文の意味などわからなかったし、何より長くて語呂も悪かったのだけれど、今更改まって他の名を付けるのも何だか面倒くさかった。
まあ元々、住人同士の間では、前からその道をただ『道』とか『市場』とだけ呼んで通じ合っていたから特に不便なこともなく、結局、いささかイビツな形をした冠は、そのままずるずると長年に亘ってその道に抱かれ続けていた次第だ。
……それにしても大らかというか何というか。
目立った戦争の被害もなく、住人の殆どが高齢者であったその地域の時間だけは、殺伐とした戦中の日本にあっても、きっと緩やかに牧歌的に流れていたに違いない。
しかし、急加速していく新時代がそんな特異な因子をいつまでも許しておくわけもない。
ただでさえ戦後間もない頃、自分たちの街を空襲によって完膚なきまで焼き払らわれ、その冷たい凶弾で肉親を無慈悲に奪われてしまった人々の遺恨はまだまだ癒えていなかった。
和訳の意味が滅茶苦茶なエセ英語であったことはともかく、憎き敵国の言語を高らかに呼称として掲げることに、他の地域から逃れて新しく街の住人になった多くの人たちは強い嫌悪感を覚えていた。
従って、組合を組み、役所に正式に商店街として登記簿を申請する際に『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』が他の名前へと上書きされるような形で消滅してしまったのは必然だったのかもしれない。
それに、確かに商店が軒を連ねる通りの名として称するには景気が悪いというか、いささかネガティブに過ぎるような気もするから、そういう面でもこの改名は致し方なかったとも言える。
ちなみにその時に装いも新たに命名され、現在でもアーケードの看板に威風堂々と書かれている名前は『
『降り注ぐ』と形容するほどに取りたてて星空が美しいわけでもないし、周りにあったらしい『第一』も『第三』も僕が生まれた頃にはもうなくなってしまっていたから、その名だって僕にしてみれば甚だ疑問なのだけれども、それはまた別の話だ。
……僕がこのようにこの商店街の史実ついて、いささかなりとも詳しく話せるのは他でもない。
小学五年生の夏休み、世界遺産でも観光スポットでも、とにかく何でもいいから建造物の歴史について調べ、レポートをまとめてみましょうという課題が出された時に、一番身近にあった商店街について調べたことがあったためだ。
友達が『パルテノン神殿』だとか『自由の女神』だとか有名どころを素直に選択していく中、随分とひねくれたテーマを選んだものだ。
「ふん、みんなと同じ物なんて面白くない」なんて斜に構えた精神からこんな発想が生まれたわけだけれど、今、改めて思い返してみても、我ながら本当に可愛げのない子供だったなと苦笑いが出てしまう。
我らが『星辰町第二商店街』は周辺住人たちの大切な台所として、日夜、確かに機能してはいる。
そう、異論を差し挟む余地などなく立派に機能してはいる。
だけど、世界の名だたる史跡などに比べ、参考資料にしても歴史ロマン的な輝きにしても圧倒的に乏しいことは、それにも増して確かなことだったと理解してほしい。
首都圏のパッとしないベッドタウンの更にはずれにあるパッとしない街のパッとしない一角、全長二百五十メートル程にわたって延びた、これといって取り柄らしい取り柄のない大衆向け商店街に、かしこまった文献目録やロマンを見つけることは、そもそも常識的に考えてなかなか難儀な話だとは思う。
しかし、僕は元から凝り始めればとことん凝り過ぎてしまう性格なのだ。
熱心な取材活動などのフィールドワークと、図書館や自治会の会館にある資料室にこもって机に齧りつくようにこなした地道なデスクワーク、そのどちらにも手を抜くことなく徹底した僕の課題のデキは、適当な本から文章を丸写ししたような周りの級友たちのものなど比べ物にならない秀逸なものとなった。
テーマにしてもクオリティーにしても、ただただみんなと一緒は絶対に嫌だという一念だけで、休みを丸々潰してまで必死に頑張ったのだから当然だ。
……ちなみに、この課題では文句なしの満点をもらったことは言うまでもないのだけど、あまりにもこちらに身を入れ過ぎたがために他の教科の宿題がほぼ白紙の状態になってしまい、総合的には著しくマイナスだったというかなりベタなオチがつく。
どんなものであっても、他人と変わったことをしようとするのは簡単なことじゃないのだ。
さて、そんなこの商店街史について一見識ある僕にもどうしてもわからないことがあった。
それは、そもそも何故『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』などという、それこそ言語学的にも倫理観的見地から眺めたとしても、ふざけているとしか思えないような名前がその通りについていたのか?
また、誰がどんな意味を込め、どんな意図を持ってしてわざわざそんなうら寂しげで救いようのない名前を考えついたのか?
ということだ。
その辺りの根本的なところがまったくもってわからない。
会館の資料室に保管されていた書類やファイルを子細に調べてもそれらしい記述はなかったし、僕が鉛筆とメモ帳を携えて駆けずりまわるように取材した、この街の生き字引とも呼べる多くの老人たちの口からも、有為なことは――多少、痴呆気味な迷走のために根本的に怪しげなところがあったことは否めないけれど――何も聞き出せなかった。
誰かの見えざる大きな力によって故意に隠ぺいされたのか?
はたまたただの思いつきと軽いノリで考えられたがために、はじめから後世に残すほどの大した由来も意味もなかったのか?
……真相はわからず仕舞いのままだった。
とにかく『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』は何も僕らに語ることはなく多くの謎を己の身内に秘めたまま、古代の何某文明のそれのように、静かに歴史の狭間の深淵へと沈んでいってしまったのだ。
それでも昔の名残は、どうやら定礎の記念として通りの入口付近に設けられたらしい石碑という形をとって未だに残っている。
長く……それも十年や二十年どころの話では済まないほどの長期間に亘って雨風にさらされ、削られてきたのだろう。
設置された日付も流麗な詩歌もなく、侵食が進んでうらぶれたその、
『Lonely Place Avenue』
と英字が刻まれただけの御影石の石碑は、刻み込まれた言葉から感じる印象そのままに、見る人を自然と荒涼とした気分にさせた。
滅多やたらに繁茂する雑草に覆われ、おそらく植えられた当初は小さな苗木であったであろう大樹の陰に一年中隠れて苔むしているその様は、確かに時の流れというものの諸行無常を、己の身を持ってして人々に無言で投げかけるだけの説得力が過分にあるものだった。
多分、ここで生活する人々の大半は、そんな打ちひしがれたような石碑の存在なんて知らなかったし、例え知っていたとしても殆ど忘れて暮らしている。
通勤・通学、朝一からのタイムセール、そば屋の出前、空き缶ひろい、鬼ごっこ、夕方のタイムセール、恋人との逢瀬、仕事終わりの英会話教室、深酔いにほろ酔い、夜逃げに朝帰り……。
誰一人として石碑には目もくれず、それぞれがそれぞれの事情と目的と体調を持ってして、それぞれの向かう方へと石碑の前を通り過ぎて行く。
夕飯の買い物のついでや忙しい商売の合間を縫ってまでわざわざ立ち止まって眺めていくような人は決して現れない。
もちろん、彼らが悪いわけじゃない。
彼らはあくまでも善良な一市民、今日も健康で文化的な忙しのない生活を必死で営んでいる普通の人々だ。
滅茶苦茶な英文がかすれ気味に刻まれているばかりで、ありがたい言葉も崇高なる輝きも放たない石碑に、そんな普通の人々を無条件で立ち止まらせるだけの魅力がなかっただけ、ただそれだけの話なのだ。
僕だってあの小学生の一夏以来、まったくと言っていいほどその石碑のことを忘れて日々を送っていた。
結構な熱を入れあげたはずなのに、課題が終わった途端、まるで記憶の底がそこだけすっぽりと抜け落ちたてしまったかのように、その存在は僕の頭の中から完全に失念してしまっていた。
所詮、子供の好奇心なんてそんなものなのかもしれない。
だから本来なら御多分に漏れることなく、いつものように市井の人として黙ってそこを通り過ぎていたことだろうと思う。
月並みな容姿と平凡な頭脳と異性への真っ直ぐな純情を携えた、中くらいのランクの私立高校に通うごくごく有り触れた読書好きの普通の高校二年生として。
だけど、僕は今こうやって立ち止まっている。
朝日の下にゆっくりと回り始めた世界にすっかり置き去られてしまったような古びた石碑の前に立ち、刻み込まれた『ロンリー・プレイス・アヴェニュー』の名前をボンヤリと眺めながら、昔の夏休みの課題なんてものを回想して実りのない時間を過ごしている。
そして何より、健全なる高校生としての健全なる活動義務を前に、僕はピタリとその歩みを止めて動かないでいる。
よく晴れた気持ちの良い月曜日の午前九時、普通の高校生ならば前日の日曜日の余韻から覚めやらぬまま、気怠げに一時限目の授業を受けていなければならない時間だというのに、僕はこんなところに立っている。
……まあ、平たく言ってしまえば絶賛不健全な学生活動中、目下のところ僕は純然たる不登校の状態にあるわけなのだ。
はじめは本当にゆっくりとさりげなく……だけど確実に歩速はのろく、歩幅は狭くなっていった。
何食わぬ顔をして家を出てから真っ直ぐ近くの公園のトイレに入り、制服からバックに詰めて持ってきた私服に着替える。
無断欠席だと両親へ連絡が行きかねないので携帯電話で学校に電話をし、風邪を引いただとかなんだとか適当な理由をつけておく。
そして電車やバスに乗り込んで繁華街に出向いたり、あてもなく歩いてみたり、どこか遠くの街の公園のベンチに座って本を読んだりボーっとしたり弁当を食べたりして時間を潰し、夕方になるとまた朝とは逆の要領で私服から制服に着替えて何食わぬ顔で家に帰る。
一年生の時に、ある日ふと思い付いてから、時々そんなふうに学校をサボるようになった。
頻度としては一か月に一度とかそれくらいのものだったろうか。
それが二年生にあがってから三週間に一度、二週間に一度と間隔が狭まり、ついには一週間に一日というペースになった。それもそのうち二日となり、ほどなくして三日となった。
それから間を置かずして四日になり、やがて五日になり六日になったところでさすがに不審に思った担任が両親に電話をしてようやくみんな僕が不登校をしていることに気がついた。
後はまあ……ちょっとした騒ぎだった。
―― 何が不満なのか? ――
担任の教師も両親も、僕にそう尋ねた。
言い回しやその都度一緒に吐き出される感情(怒り、同情、呆れ、悲哀などなど)は違っていたけれど、要するに彼らが知りたいことは、僕が一体、学校生活の何に対して不満を抱いているのかということだけだった。
僕は正直に不満も不安も全然有りはしないと言った。
人生のうちでその時ほど嘘偽りなく自分の胸の内を述べたことなんてないというくらい、僕は正直に言った。
だけど、彼らは一向に信じてはくれず、ため息と一緒に様々な感情(怒り、同情、呆れ、悲哀などなど)を吐き出すばかりだった。
僕はきっと模範解答を求められていたのだろう。
陰湿なイジメにあっているだとか、学校と僕との方向性の違いだとか、勉強する意味を見いだせないだとか、学食のまずさに絶望しただとか、付き合っていたクラスメイトの女の子に三股をかけられていただとか……。
真偽なんてものはこの際どうでもよく、彼らは僕が思春期特有のアイデンティティー・クライシスにとらわれて、精神状態が不安定になっているのだということにてっとり早くまとめておきたかったのだと思う。
担任は僕が学校を辞めるにしろ再び登校するにしろ、クラスで不登校の生徒が出た場合に現状だの理由だのを記した然るべき報告書を学校側に提出しなければならかったし、親は親で叱りつけるにしろ嘆くにしろ、ハッキリとした原因があった方が楽だった。
まあ、みんな忙しいのだから仕方がない。担任は他にも同じように思春期真っ只中の感じやすい生徒を三十人以上抱えていた。
両親はグルメ雑誌や食べ歩き番組で何度も紹介されたことのある手作りコロッケの有名な惣菜屋の切り盛りで、朝から晩まで動き回っていた。
いくぶん世界を
だけど、僕は嘘を付けない。
そもそも小さな頃から事あるごとに嘘はいけないと言い続けてきたのは父であり母であり教育者ではなかったのか?
いつから正しい行為と正しくはない行為の定義が入れ替わったのだ?
……そう思えばこそ、なおさら僕は頑なに正直であろうと思い続けた。不平も不満も理由もない、ただ僕は急に学校に行きたくなくなっただけ、それだけなんだ、
本当に。
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