第8話 未曽有の災害に問われる報道力
「あれね、L字画面って言うの。アルファベットのLの字の形に画面を分割するから、そう呼ぶんだけど。情報が溢れていたわよね、確かに。浸水被害や停電、断水、列車の運休、避難所ごとの人数や道路の被害。どれもこれも基本的に3県分。加えて青森や茨城、千葉でも被災していたわけだから、何時間も見ていないと欲しい情報が回ってこないということになるのね」
両親がマスコミ関係者の千穂が詳しく解説してくれるので、広海も5年前の記憶がより鮮明になってきた。
「入ってくる情報を右から左に放送する。安否情報も、被害状況も交通情報も入り混じってだよ。情報が溢れて半ばパニック状態の放送局には、受け手である視聴者のことを構っている余裕なんてなかったんだろう。せめて被災地別に情報を整理することができていればって思うんだ。そうすれば視聴者にとってもっと有益なツールになったんじゃないだろうか」
恭一がみんなの意見を聞こうと話を向けた。
「でも、そういう人はネットで自治体の災害情報をチェックすればいいわけで。欲しい情報がいつ流れるか分からないテレビやラジオに、正直そんなに期待してませんよ。どっかで流れればいいけど、もしかしたら流れないかもしれない。必ず流れる保証なんてないんだから。送り手の都合で放送される情報にあんまり期待しない方が良いと思いますよ」
耕作の指摘は一面で正しい。結局、市民にとってテレビは受動的なメディアなのだ。欲しい情報を必要な時に、能動的に手に入れるメディアとしてはインターネットの方が有益な時代だ。しかも最近はパソコンよりスマートフォンからネットにアクセスするユーザーが増えているらしい。しかし、一方でテレビが市民にとって、新聞と同様に信頼性の高いメディアであることも事実だ。
「テレビを弁護するなら、視聴者のリクエストっていうのは、人それぞれに違うから一々対応できない。結局、最大公約数的にピックアップする形にならざるを得ないわけさ」
一通り当時を振り返ったところで、恭一の話は核心に入る。
「ここからが本題なんだけど、記者やリポーターが同じ取材場所に集まって、各局の中継機材が同一カ所に集中することに果たしてどうれだけの意味があるだろうか。千穂ちゃんが言うように、当時はどのチャンネルに切り替えても似たり寄ったりの映像が流れていた」
恭一の問いに誰も答えない。みなそれぞれに当時の映像を思い浮かべながら考えを整理してみたが、なかなかまとめることが出来ずにいた。
「ふだんのニュースやワイドショーは、まあ許容範囲としよう。けど、未曾有の大災害ではもっと英知を生かした方法があったんじゃないか、ってオレは思うんだ」
「どういうことですか」
頭の回転の早い耕作にもまだ、自分の考えがうまく整理できていない。
「取材者の重複は、基本的に情報の重複を意味する。大きな中継車や大勢の中継スタッフの集中は、混雑を招くばかりじゃなくお金のムダとも言える。議員の経費じゃないから、こっちは税金ではないけどね。報道の自由だ、局の勝手だと言われればそれまでだが、反論もある。放送は免許事業だ。民放であろうが公共性という役割があるはずだよね」
どうやら恭一が言わんとすることのキーワードは“公共性”にありそうだった。
「確かに各局が同じ避難所で中継しているリポートの中身に、そんなに大きな違いは出ないですよね。身を寄せ合っている被災者だって同じ人ばかりだし、取材に応じる役所の担当者だって基本、同一人物だから」
幹太にも少しずつ状況が飲み込めてきた。
「テレビの中継車が何社分も集まるっていうことは、カメラのケーブルだって大変よ。プロ野球の中継やってる球場でも見たことあるでしょ」
と千穂。中学生の頃、母親と行った大きなイベントの中継を思い出していた。太いケーブルが束になって地面を這う。テレビ局のアルバイトがケーブルを踏まれたりしないように、警備員のように見張り役をしていた。
「確かにケーブルも大変だ。中継車に接続するカメラの台数×放送局分だけ必要だ。最近はコードの要らないワイヤレスもあるだろうけどね。ヘリコプターにも同じことが言える。大きな事件や災害が起きると、各系列ごとに自社のヘリを出動する。中継の必要のない新聞社も飛ばすから自ずと台数は増える。災害は別にして、ちょとした事件の場合、低空で飛ぶヘリコプターは、近隣で暮らす住民からすればかなりの騒音公害だよね。しかも1機や2機じゃない。何機も何機も入れ替わり立ち代わりだから溜まったもんじゃない。チャーター機でなければ経費のムダとまでは言わないが、狭いエリアに数多くのヘリが集中すれば機体同士の衝突のリスクだってある。報道機関のヘリの他にも、当然のことながら警察や消防、自治体のヘリだって飛ぶわけだからね」
恭一の説明は分り易かった。取材のウラ側の話だから、実際にテレビに映し出されるわけではない見たことのないシーンだったが、広海たちにも容易に想像することが出来た。
「良い画を競って取材合戦ってわけですね」
幹太が言う。
「そういうことだね。『報道の自由』っていう“大義”をかざして捜索や救助目的のヘリに混じって新聞社やテレビ局のヘリが飛ぶ。正直そんなに違いのある映像が撮影できているとは思えないけどね」
恭一の素直な感想だ。
「ヘリの中から中継するリポーターって、みんな異常にテンション高くないですか?」
耕作は思ったままを言う。
「ヘリコプターのプロペラの音がうるさいからだよ。本人たちはヘッドホンをかけてるから気がついていないんだ、きっと。電車内やお店の中でマナー違反で携帯電話している人も同じ。相手の声が聞き取りにくいから、ついつい自分も必要以上に大きな声で会話することになるんだよ」
幹太はバラエティ番組で見たスカイダイビングの映像を思い浮かべながら解説した。パイロットも同乗者も目の前にいる相手に、身振り手振りで意思疎通を図っていた。
「ってことはやっぱり周辺の住民にとっては、相当な騒音よね」
広海たちは乗ったことのないヘリコプターをイメージしてみる。
「ヘリコプターってチャーターするのに相当お金が掛かるって聞いたことがあるわ」
と千穂。キー局や中央紙の自社ヘリなら借り上げ料はかからないが、その分、パイトットの人件費も含め年間の維持費は相当な額だろう。
「都会の夜景を楽しむ人気のツアーだって、僅か20分とか30分で何万円もするのよね、確か」
と広海。いつか観たテレビの情報番組の受け売りだ。
「観光の遊覧飛行と一緒にはできないけれど、確かに金はかかる。でもオレが言いたいのは金の問題じゃない。災害救助の際に、それぞれの局が自治体や自衛隊、海上保安庁のヘリの隊員が撮影した映像を放送することがある。画面に撮影者のクレジットが入るから分かるよね。つまり、大災害時に各局がマイカーよろしく個別に“マイ・ヘリ”を出す意味が分からない。おそらくテレビ放送史上最大の災害現場だったはずの東日本大震災で、テレビ局同士が競争する意味がね。放送局側の論理で言えば、史上最大規模の大災害だからこそ、他局には負けられない、ってことだろう。しかし、空撮は公の機関が撮影した映像を提供してもらえば事足りることは、図らずも自分たちで証明している。未曾有の災害時に、アナウンサーや記者が感情を露わにしたライブの実況なんて視聴者は誰も期待していない」
恭一の指摘の通り、最近まで海底火山が噴火を繰り返していた小笠原諸島の西之島の空撮映像も、多くは海上保安庁のクレジットが入っていた。何もわざわざ同じ目的のためにって気もする。
「確かに。映像の内容について、勝った負けたって騒いでいるのはテレビ局ぐらいですよね、きっと。テレビ各局が連日繰り返し放送した震災当日の津波が襲ってくるシーンで、恐怖や不安から体調を崩す視聴者もいたわけだし、結果的かもしれないけれど、もっと冷静に考える必要があったと思います」
千穂が振り返る。最近、テレビ各局は当時の津波の映像を放送する時に、わざわざ注意喚起のコメントや字幕を入れることが多くなった。画面の変化が激し過ぎるアニメ番組で体調を崩さないように、お断りスーパーを出すようになったのと同じ理屈だ。どちらの場合も、注意喚起だけでは根本的な対策にはなっていない、と恭一は思っている。
「所詮、お祭りなんですよ、お祭り」
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