第7話 3.11 あの日あったこと
「本日勉強会開催のため、ご協力をお願い致します。珈琲はお召し上がりいただけます」
喫茶「じゃまあいいか」の入口にテープで止められた手書きのお断り。恭一が店を「準備中」にしなかったのは、店の営業を優先したからではない。DVDの鑑賞や広海たちの勉強会をクローズド、つまり非公開にする意味はないと考えただけだ。静かなひとときを希望する客にはご遠慮いただかなければならないが、勉強会を傍聴したり、オブザーバー的な参加を断る理由はない。街頭で“路上ライブ”をやっている広海たちにとっては大歓迎だった。
「もしこの映画を東日本大震災の前に観ていたら、イマイチ現実味がないというか、感情移入もできなかったかもしれない。ううん、むしろ能天気にポップコーン頬張って笑いながら観ていたかもしれない。でも、福島の現状を考えると、ただ笑っていられない。いろんなことを考えさせられたわ」
千穂の言葉がみんなの感想を代弁した。
「安全、安心って、安全対策が本当に万全なら、映画みたいに原発を都市部に建設することに何にも障害はないはずだよね。広い土地が必要とは言っても確保できないわけじゃない。でも現実そうなっていないのは、やっぱり万一事故が起きた時のリスク回避なんだよ。安全対策だって、どこかで疑っている。だからお役人も政治家も自分の生活圏内に危険分子を抱えたくないっていうこと。産廃といっしょさ」
幹太が冷静に分析した。
「そんなに安全なら、東京電力は東京に、関西電力は大阪に原発を建設すればいい。鹿児島の川内原発の再稼動も問題になっているけど、九州電力は福岡に作ればいいのに。それぞれの都市の住民は当然、反対するだろうけどさ。農作物や、魚、肉などの食べ物については地産地消を謳っているんだからさ。でも、電力会社がそんな選択肢を用意しない。自分たちの“本店”のある場所に原発なんて作るわけがない。万一、原発事故が起きた時の桁違いの被害や影響を一番よく知っているからさ」
「見てもらってよかったみたいだな『東京原発』。せっかくだから、みんなに意見を聞いてみてもいいかな」
珍しく恭一から切り出して来た。広海たちは少し身構えた。
「東日本大震災を思い出してほしいんだ。政府や行政の対応ではなくマスコミ、主にテレビについて。震災の発生当初は状況の把握も十分じゃなかったし、東京も交通や情報網といったライフラインのトラブルで右往左往する帰宅困難の学生やサラリーマンが多かったから、報道される内容も多岐に渡った。で、首都圏の混乱が一段落すると、伝えられる内容の大半は福島、宮城、岩手の東北3県の被災状況に集中した」
恭一の話を聞きながら、広海たちはそれぞれに5年前の3月を思い起こした。
「NHKだけでなく民放各局もCMをカットして終日、報道番組を続けましたよね。安否情報とか、ライフラインの情報とか」
幹太の言葉に、恭一が頷く。
「道路や鉄道の交通網が寸断されていたし、電話もつながらないからね。家族や友人、知人の安否確認もままならなかった。テレビやラジオは最新情報を知る上で重要な手段だったよね」
「但し、地震の影響で停電が続いたエリアも多かったから、しばらくはリビングなんかのテレビは見ることが出来なかった人も結構いたのよ。携帯のワンセグは別にして。だから、どっちかって言うと乾電池で動くラジオの方が役に立ったはずよ。ウチなんか、父親が散歩で愛用している携帯ラジオが大活躍。イヤホン外して母親と一緒に聴いていたもん」
学校が早めに授業を打ち切ったので、千穂は帰宅困難者で溢れかえった混雑に巻き込まれずに、早めに帰宅できたという。都心のホテルも多くが満室だったようだ。
「被災地とその周辺はもっとパニックだったろうね。情報もほしいけど、きっと精神的にも肉体的にも余裕はなかったと思う」
そう言って、幹太が冷静に振り返るのは、電車が止まったり、電話がつながらなかったり程度で済んだ首都圏で暮らす人の話だ。被害の大きかった被災地の避難所は、命からがら津波に飲み込まれずに助かった人たちで溢れていた。しかも、大切な身内や知り合いを喪ったり、目の前で津波にさらわれる犠牲者を見ているしか術がなかった被災者も少なくなかった。夜遅くまで自宅にたどり着くことができずにストレスを感じていた幹太たちにも、当時の彼らの心の痛みは計り知れない。
「テレビで言えば、民放でも丸2日はCM抜き。その後も被災者感情を考慮して広告を自粛するスポンサーが多いもんだから、もうAC(公共広告機構)ばっかり。元々コマーシャルだった枠をACに置き換えなきゃいけないんで、結果「エーシー」「エーシー」の連呼状態。視聴者からの批判もあって、ACは慌ててパターンを変えたCM素材を作ってヴァリエーションを増やしたって話だよ。CMが復活してからも震災のお見舞い広告ばっかりだった」
母親からの受け売りも含め、千穂が当時のテレビを語った。
「ただ、テレビを見ることが出来たのは、主に被災3県以外の遠くで暮らす人だよね。被害の集中した3県と隣接する東北各県は日を跨いでも停電していたりしたから、基本テレビなんか映らない状態だったわけで。避難所に身を寄せていた大勢の被災者は自分の身の回りのことだけで精一杯。震災被害の概要も全然分らないわけだから、不安は半端なかったと思う」
みんな、それぞれに震災直後の3・11がフラッシュ・バックするように脳裏に蘇る。恭一は一体、何が言いたいのだろう。広海は思った。
「当時の状況は今、思い出してもらった通りだが、オレが聞きたい問題はそこではなくてテレビの番組内容だ。横並びの放送には以前から批判も少なくないが、特にあの3・11直後には別にやり方があったと思うんだ」
恭一も自分自身、頭の中で震災当時の記憶を整理する。
「どういうこと?」
広海には恭一の言わんとすることがまだ理解できない。
「例えば、各局の取材対象。まず、各県のメインの避難所を数ヵ所必ず押さえる。避難者が一番多いから、当然といえば当然だね。レポーターも張りついて。それから被害の最も大きかった場所。物理的な被害の大きさももちろんだけど、酒店とかスーパー・マーケットとかね。酒や飲料のビンが床に落ちて派手に割れていたり、棚から落ちた商品が散乱した光景が映像的にインパクトがあるからだろう。彼らにとっては、火事だったら勢いよく燃える炎が“良い画(え)”とされ、交通事故なら大破した自動車とかが映っていないと“残念な画(え)”となる。当事者のことを考えると不謹慎極まりないが、視聴者の興味を引くことに腐心するんだ。後は災害対策本部や病院もマストの取材対象」
実際、各局が取材や中継に選ぶポイントに大差はない。
「確かにどのチャンネルを見ても同じような映像だったわ。消防や役所の責任者もそうだし、避難所でインタビューを受ける被災者も同じ人だったり」
話しながら、千穂は徐々に震災直後の状況を具体的に思い出す。
「テレビ画面の端をカットして、安否情報やライフラインの復旧状況も流していた。ちょうど列車の遅れを伝える駅の電光掲示板みたいにね。でも、気になったり関心がある情報に限って、なかなか流れて来ないんだよ。イライラしたのを覚えてる」
幹太が言うのは、地震や台風の情報を伝える際に、通常の番組の画角をひと回り小さくして青地に文字情報を載せた画面のことだった。
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