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道透
第1話
朝起きて一時間。私はお餅を食べていた。今日は土曜日。そして陸上部の記録会である。エナメルバッグに水筒とスパイクとユニホーム、ゼッケンそしておにぎりを三つ入れた。天気も良く十分コンディションはいいだろう。高校に入って私は陸上部に入った。まだ、練習についていくのがやっとだ。とてもしんどい。それに八幡は竹やぶと山が多い。上り下りの練習は過酷だ。しかし、平たんなコースもある。田んぼの周りだ。秋になると米の稲が一帯に広がる。カエルの死骸も多々見る。そんな所での練習は平日と土曜日だ。休みは日曜日。今日が終われば明日は休みである。記録会でどうしてもいい記録を出したい。私はエナメルバッグを肩に掛け集合の駅に向う。八幡市駅で集合なのだ。車で送って行ってもらうので三十分とかからない。
八幡市駅に着くと梓が一番についていた。私たちの着ている白いウィンドブレーカーは白生地に黒いラインが入っていた。だから分かりやすい。すぐに自分の学校の人だと分かる。車から降りた。
「
私は十歩の距離を走った。
「おはよう、
「そう? いつも通りだけど」
「香帆はそうだったな」
梓の持っているエナメルバッグには荷物がパンパンに積み込まれていた。梓は今日のタイムスケジュールを書いた紙を取り出した。
「香帆は今日何にエントリーするの?」
梓の渡してきたエントリー表に目を通す。事前にエントリーの申し込みをしておく大会はあるが今回は飛び入り参加も可能になっている。
「一応、千五百メートルと八百メートルかなって。リレーのメンバー足りなかったら出たいなとは思ってるけど」
「そこは短距離との相談だね」
まあ、短距離がメインだから仕方がないな。
「梓は何か出るの?」
「私は考えてないな。暇だったら出るよ」
梓は陸上部のマネージャーなのだ。暇だったら出るとは言っているけどそんな時間はないと思う。部員全員の種目を確認し記録をメモしておく重労働がある。かなり大変だと思う。一年八人、二年五人、三年三人。集合時間が近づいて来た。通勤の人が増えていく。部員もほとんど揃っていた。部長が三年から点呼を取っていく。二年の点呼で香帆たちの名前が呼ばれる。三年は今年の夏の大会で引退する。それまで半年を切った。
「全員来てるね。もうすぐ電車来ちゃうし急ごうか」
部長は梓と肩を組んでいった。私たち陸上部はほんとに仲が良い。毎日が無礼講なのだ。香帆は同じ長距離種目の
「山本って今日は三千メートル走るんだって?」
「知ってたんだ」
「梓から聞いた。二人仲良いもんね」
山本は頭を掻いてハハハと笑った。電車を一回乗り継ぎバスに乗り西京極陸上競技場まで行った。近くなるにつれて違う学校の選手たちの姿がよく目に入る。
「行くだけで疲れるね」
「本当にね」
香帆たちは競技場の近くの駐車場をうろうろしていた。というのも顧問の先生を探しているのだ。顧問の
「あれ、京先生じゃん!」
皆がワゴン車を追いかけた。しかし、ワゴン車は無視して空いている駐車スペースを探した。皆が鞄をバタつかせ走った。息がはーはー言っている。しばらくしてワゴン車は駐車した。私たちは膝に手をつき息を切らした。
「集団行動の時は特に周りを見て歩けってつってるだろ」
ワゴン車から降りてきた女の先生から何とも荒い言葉が飛んだ。いや、確かに私たちが悪いのだが。皆で口を揃えてすみませんと言った。京先生は頷いた。
「今日もいつもの場所にテントを張って。ブルーシート持ってきてる?」
「はい」
目の合った私は答えた。
「出したごみは持って帰れよ。時間見て行動すること」
「はい」
今度は皆で言った。
「あ、分かってると思うけどベストを尽くすように」
「はい」
京先生のいつもの指示をもらうと私たちはワゴン車からあるだけの荷物を運び出した。男子はテントや差し入れの飲み物。女子はマットやレジャーシート、救急セットなどだ。私たちの場所は入り口、トイレの近くだ。かなりいい場所だと思う。私はレジャーシートを二枚取り出した。
「梓、レジャーシート広げに行くよ」
「はーい。二人じゃ無理でしょ。
私たちは一枚二人係で広げた。レジャーシートをふわっと上げると中に空気が入ってゆっくり沈んでいく。出来るだけ張るように敷いた。男子はその場所でテントの準備をしにきた。
「お前らも手伝え、山本も」
逃げようとした山本は先輩に捕まった。一つのテントに男子六人がついた。テントの六本の足を外に引っ張るとテントは広がった。
「ちょっとマット誰か手伝ってよー」
「誰、ここに荷物置きっぱなしなのー」
ワゴン車の方から声が飛んできた。手の空いてる人達はまたワゴン車の所へ戻って行った。香帆も後から走って行った。
「あれ、もう終わり?」
「マットだけだったからね」
「そっか。半分持つよ、梓貸して」
「このくらい大丈夫だよ。それより運び終わったからキョー先生にワゴン車のロックかけてもらって」
分かったと言って私は競技場のゲート二辺りをうろうろしていた。その時、香帆に声がかかった。
「香帆か?」
しかし、京先生ではなかった。
「
「久しぶり」
彼は林涼太。香帆と山本の中学の時の部活仲間であった。中学とは違う学校に入ったので着ていたウィンドブレーカーが違うのが違和感だった。黒地に白ラインだった。涼太は全く変わってなかった。久しぶりに会えたのが普通に嬉しかった。特に部活でしか話さなかったので卒業しても連絡しあうことはなかったのだが。
「香帆も今日記録会出るんだ」
「そりゃあ。涼太も出るんだね」
私が空気を悪くしてるのは分かってるけど、こればかりはどうしようもなかった。流れを変えようと涼太は話を振ってくれた。
「今日、何の種目出んのか決めてる?」
「ちょっと迷ってる」
「そっか」
何となく嘘をついてしまった。別段嘘をつく理由はなかった。
「俺は三千メートル出るから……うん。出るんだ」
「へー」
私はなんて言っていいのか分からなかった。本当は「お互いに頑張ろうね」って言えたら十分いいと分かっている。そう思う間にこの空気に耐えられなくなったのか涼太は手を香帆に向けた。
「じゃあ、また。拓海にもよろしく言っといてくれ」
「うん」
私の返事は涼太に聞こえなかったと思う。会うと思わなかったな。こうやって会うのは久しぶりだったのだ。一年の時は競技中で見かけるだけだった。こんだけ人が多くて場所も広けりゃ特定の人は見つけにくい。涼太には悪いことをしたと分かっている。久しぶりにあったのだから笑っとけばよかったな。原因は分かってる。ずっと知ってる。私が涼太のこと好きだからって。
中学に入学していた私はバスケ部に入る予定だった。しかし、仮入部の時あまりにも居心地が悪かった。人間関係に問題がある部活だった。香帆はその時直感的に思った。ここじゃやっていけないと。仕方なく仮入部の最終日、「どれにしようかな」で適当に決めたのが陸上部だった。運がついてたのか陸上部は当たりだった。そこに仮入部として一緒にいたのが山本と涼太だった。山本とはすぐに仲良くなった。これは彼の人となりだと思う。涼太とはあまり話さなかった。涼太は学年でもトップで足が速かった。タイムも凄いと思った。そして、涼太と私が一年で唯一駅伝に出ると決まった時嬉しかった。
「林君よろしくね」
私はこの日の帰り駅伝に出れる嬉しさから涼太に初めて話しかけた。
「お互い頑張ろうな。みんなみたいに涼太でいいぞ」
「じゃあ、私のことも香帆で……いいよ? いいぞ? 何か違うな。あ、香帆ってよんでね」
涼太とその時初めてちゃんと話した。それからちょくちょく部活で話すようになってから私は涼太を『尊敬の意識』でなく『好きの意識』で見るようになっていた。でも、この気持ちは涼太には言えなかった。初めはドキドキしていて緊張しいてって思ってた。でももし、これで涼太と距離が溝が出来てしまったらって思ったら。とても怖くなった。今日部活に行くことが、明日部活に行くことが楽しみだった。でも、やっぱり気持ちを伝えたかった。言葉では怖かった。だから分にして思いを綴った。
卒業式の日、私は覚悟を決めた。はずだった。靴箱を出た先で涼太は私より先に別の子に告白されていた。周りの人から冷やかされていた。口笛が飛び交ったり。掛け声が聞こえてきた理。私は手に持っていた手紙をとっさに制服の中に隠した。涼太は山本と笑っていた。その子の告白嬉しかったのかな? 最悪だ。私は盛り上がる学校から早く出ようと思った。でも、胸が痛かった。伝えたかったなんて逃げ出した私の口からは情けなくて言えなかった。人がいない所――。
部室に向かった。香帆は砂だらけのコンクリートの地べたに腰を落とした。
「寒い」
冷たい地べたが体温をじんわりと奪っていく。三月はまだ冷えていた。卒業式だった香帆はウィンドブレーカーではなく制服だった。コートも来てない体はどんどん冷えて行った。体育座りをし顔を埋めた。
噂に聞いた。山本は好きな人に好きな人がいたら「まだ、そいつのこと好きなのか」と聞くのが癖なのだ。涼太もそのくらい分かりやすかったらいいのにな。
卒業式の熱も次第に冷めてきた頃、顧問の先生と担任の先生に挨拶をして帰り道を歩いた。顧問の先生に部活動の記録会のビデオを卒業祝いに頂いた。しかし、自分には毒だからとDVDを入れてあるケースすら開けなかった。そのまま机の中に放置してある。香帆は誰に会うともなく真っすぐ帰った。涼太のことはなかったことにしよう。その日、香帆は密かに決めていた。もう会うことはないから。
「ふー」
懐かしい思い出に浸ってしまったな。涼太に会ってしまったから。話すつもりも会うつもりもなかったんだけどな。香帆は伸びをした。そして思い出したのだった。
「京先生にワゴン車の鍵閉めてもらうように言ってなかった!」
私は焦って競技場の中を見渡した。他の学校の先生と話していた京先生を見つけ呼んだ。無事鍵を閉めてもらい、私は皆の所に戻った。
「ただいまー」
私はテントの下に座り込んだ。帰ってくると女子が種目を梓と確認していた。私も梓の方に行った。
「お帰り、香帆。遅かったね」
「ああ、中学の時の部活仲間と会って話してた」
「そうなんだ」
梓は軽く言った。すると女子の輪の外から山本がひょっこりと顔を出した。
「それ、涼太か!」
「え、男子? めっずらしー。それだれなのさ」
さっきまで流し気味だった話に梓は食いついてきた。山本が要らぬことを言うから。ついには一年の子までくいていて来た。
「もしかして先輩の彼氏ですか?」
「よーし、吐かせるよ。みんな一通り出場種目決めたねー」
「先輩? ちょっと話が見えないんですが」
嘘でしょ。
「じゃあ、私はエントリーしてきますね」
梓は頑張ってと言わんばかりの目で私を置き去った。私は山本に助けの目を向けたが遅かった。既に桃と香奈、一部の男子から質問攻め状態であった。香帆は山本が要らぬことを言わないようにとだけ願った。しかし、私は私で質問攻めに合っていた。私はその場に立ち上がると仁王立ちになって言った。
「彼とは彼氏ではありません!仲良しでした」
私は言い切った。
「つまり好きってこと?」
「だろうねー」
先輩たちが私に少し遠慮してる雰囲気で言った。
「仲良しです!友達ってことです」
「そうだよな。俺から見てもそうだった」
山本が言った。「へー」と言う先輩の目は山本のの方に映っていた。私は時計を見る。もう開会式の時間だった。
「もう、開会式始まりますよ」
「仕方がないなー」
皆はまだいじり足りないのか不満たらたらだった。競技場では梓が先生と待っていた。他の学校もまだ揃ってるところの方が多いようでどうにか間に合った。天気は快晴で風もほとんどないという最高のコンディションだった。時間になると開会式が始まり十分ほどで終わった。これからが本番だというのにどうしても本調子が出せる自信がなかった。
「大丈夫かい、顔色悪いけど」
「今日こそベストだすぞー」
香帆は必死にモチベーションをあげようとした。
「なら良し。期待してるよ」
梓は私の肩をポンっと叩いてテントの方に走って行った。苦い思い出ほど忘れにくいものなのは何故だろか。泣く体力があるってんなら大会新記録出してみろってんの。私は二時間後の八百メートルに向けてアップをしようと体操をテント前でしていた。ユニフォームに着替える時間や召集時間を見積もってアップメニューを考えた。体操して十五分くらいジョグして補強で丁度良いくらいの時間になるだろうか。
「香帆、俺も行くわ」
「山本も午前だったっけ、三千メートル」
「ああ」
「そっか。じゃあジョグ行こうか」
山本と一緒に競技場の周りをジョグしようと時間の確認をした。なぜか山本はテントの人に向かって持っていた飴玉を投げつけた。
「どうしたの?」
「行くぞ」
腑に落ちない香帆より山本は一歩先に走った。香帆もそれについて行った。山本と走るのは久しぶりだった。梓にはよく付き合ってもらったけど。
「香帆、今日涼太と会ったんだよな?」
「あったよ」
「そん時何かあったか?」
鋭い。しかし、さすがに山本でもこのことは言えないな。山本も聞いたところで私の勝手話に困るだけだろうし。
「別に無理に言わなくていいし。何か涼太のこと知ってんの俺らだけだから何かあったならっておもっただけで」
山本はこれ以上の追求はしようとしなかった。
「ありがとう。でも本当に何もなかったんだよ。あ、涼太が種目、三千メートルに出るんだってさ」
「うえー」
「大丈夫だって。走るレース違うでしょ。山本の方が一レース下でしょ」
「そんなこと言うかよ」
「中学でもそうだったしー」
種目でもある程度同じタイムの人と同じになるようにレースが分けられる。タイムが低い人はタイムが高い人とは競えないのだ。競うには自分のタイムを伸ばすしかなかった。事実、山本より涼太の方がタイムが上だった。今もっそうだろう。そう思ってしまうのはやっぱりすごいって知ってるからだろうか。
「頑張れー!」
南山城の寒空の下、声援が飛び交っていた。中学一年生にして駅伝のチケットを私と涼太は貰った。今日がそのチケットの使用日だった。香帆は男子の応援に出ていた。涼太は六区だった。男子は全部で六区あってそのラストだった。一区とロックは坂道が激しくかつ距離が長かった。試走の日のタイムで決まった区間。涼太は先輩をほとんど抜いてゴールしていた。本番、私はA地点に来ていた。涼太は山を下り折り返しのコーンを曲がった。私と一瞬目が合った。
「りょーた、ふぁいとー!」
全力っで叫んだ。腹から出した。一瞬早くなったのが気のせいではないと思いたい。涼太の前には八人選手がいた。せめてベスト
女子は何とか五位に入り府大会に進出が出来た。男子の結果を言ってしまうと九位だった。府大会への道は断たれた。でも、涼太は区間賞を取ったのだ。私は正直感動した。でも、おめでとうって声を掛けてあげられなかった。何かそんなに軽く言ってしまってはいけない気がしたから。でも、私は褒めてあげたかった。
私は山本とジョギングを終えると先にトイレでゼッケンをつけたユニフォームを着た。ユニフォームが上下カラフルだった。やっぱり慣れないな。しかも、冬は寒い。すぐに体操服とウィンドブレーカーを上に着た。テントの下に戻ってスパイクの日もを結びなおした。青のスパイクは私が中学から使っているものだ。足のサイズが変わらないのでずっと使っている。今では愛着も湧いている。
「香帆、そろそろ召集じゃない?」
「ほれ」
梓からスポーツドリンクを貰った。
「ありがとうね」
「香帆先輩私も行きます。私も八百メートル出ます」
「二人とも頑張ってこい」
私は梓にピースした。私は集中した。真剣に。涼太が見ていると思うと緊張した。本番前通り掛かった京先生が来た。
「二人ともちゃんと準備運動した?」
「しました」
「香帆、今日はやる気だね。よし、香帆十秒タイムあげてこい」
十秒……きつくないか? 頷こうか躊躇った時、京先生が私の後頭部を押した。なんて先生だ。強制的に頷かさせた。
「じゃあなー」
先生は去って行った。
「香帆先輩ならいけます」
「よく言うよ。他人事だと思って」
香帆の緊張は少し溶けていた。変なプレッシャーが逆に荷を下ろしてくれた気がした。召集が始まりタイムの早い順から呼ばれて言った。私は三つ目に呼ばれた三レースに出ることになった一年の子は八レースだった。一レースから始まり順番が近づいてくる。ドキドキした。一体何位を取れるのか。どんなに気持ち良いレースが出来るのか。開会式より風は出てきているが問題はなかった。梓たちが応援に来ていた。山本は三千メートルの召集に行ってるようだ。やっぱり皆早い。二レース目に入り、私はそれをじっと見ていた。すると隣の子が後ろの同じ学校の子と話していた。私は盗み聞きをしていたわけではないが聞いていた。
「やっぱり早いよね、一番だよ林さん。兄弟そろって凄いよね」
林さん。私は一番前を走ってる子を見てみた。兄弟って言ってたけど。隣の子たちは兄弟のうちもう片方の人の名前は言わなかったけどモヤモヤした。あの子は私のタイムの十五秒先にゴールした。顔も知らない子にイラッてしてしまう自分が嫌だった。私のレースが来てた。一レーンに二人ずつならんでいく。私は三レーン目に知らない子とならんだ。途端にスターターピストルが鳴った。私は姿勢をますっぐに保ちかけ出した。初めは先頭の子についていく。歓声の中に私は飲み込まれた。トラックの外は見なかった。競技場のトラックは一周四百メートル。一周目が終わるとラスト一周の鐘が鳴った。香帆はカーブを前に先頭に立った。ペースを上げる。ラスト三百メートルで私は短距離走のように走った。姿勢を前傾にした。どんどん二位の人と差がついていった。そしてゴールするとトラックの内側の芝生に膝をついた。ゴールの瞬間タイムを見る余裕はなかった。私は終わった。二月が嘘のようだった。暑い。そうこうしてると体が冷えるので体操服は着た。梓がやってきた。
「お疲れ様」
「梓、私大丈夫だった?」
「さすが香帆だわ。どこからラストスパートかけてんの。私ら度肝を抜かれた」
タイムが早く見たかった。タイムが出るまでそう時間はかからなかった。私は、ボードに貼られる前から待ち構えていた。係の人が貼りに来るとタイムを気になってたのは香帆以外にもいたようで人波が出来た。
「え、あ、上がってる!」
驚くのは上がったタイムだった。十五秒も上がっていた。私は飛び上がり梓に抱き着いた。
「良かったー」
「はいはい、次は拓海だよ」
「山本か、早く行こう」
私は意外と単純なのかもしれない。壊れかけたテレビだって叩けば大抵は治るのだ。私たちはフェンス越しに見ていた。既に一レース目が始まっていた。やっぱり涼太いるんだ。一番ではないが三番手についていた。一位と十メートルとない。その時、梓が反応した。
「拓海がいるじゃん、何で」
「何で山本? 嘘。何考えてるの」
「分からん」
私は梓と走りすぎる山本を見ていた。良くて三、四レースなのに。何で一レースにいるの。必死にネバっているさすがに無理がある。これはどうなってるんだ。あっという間に涼太が返ってきた。しばらくして山本が走ってきた。初めに飛ばしすぎたのか体力はギリギリだった。もう少しで涼太に一周差をつけられてしまうではないか。周りも「何であんなタイムの子が」って雰囲気になっていた。梓は叫んだ。
「あきらめんなー、拓海! ファイトー!」
「……梓」
私はちょっと照れている梓の様子を見た。山本が少し早くなったように見えた。さらに一周来た時、涼太に抜かされる寸前だった。私は梓に続いて言った。
「ファイト―、拓海」
「ファイトー、山本」
涼太と目が会ってしまった。なぜか涼太がスピードを増した。一人抜かしてきた。さらに山本に近づいた。抜かされんなよ。この調子で鐘が鳴りラスト一周に入った。山本も遅れてはいたがラストを頑張った。本人は気づいていないのだろうか。山本の腕は止まっていた。腕をしっかり振るから足がしっかり動く。脇も締まってない。しかし、ちゃんと完走しきった。
「お疲れ」
梓がボッソッと言った。
「本人に言ってあげたら? 絶対嬉しいと思うよ」
「言うよ?」
「何があったか知らないけど山本がんばったもんね」
まさか……ね。ちょっと梓が恋をしてるなんておもちゃったけど違うかな。
私は結局千五百メートルを走らなかった。今日十分頑張ったからだ。山本も今日はもう他にエントリーしなかった。梓も少し余裕が出来たので、あずさの散歩に私たちは付き合わされた。
「京都アクアリーナに行こう。そこだし」
そこは本当に目と鼻の先だった。室内の外は芝生だった。公園の様な広い芝生の上を私は走り回った。先輩たちがいたらリレーできたのにね。私たちが入部する前までは恒例行事だったようだ。先生に黙って、目を盗んで行ってたらしい。さぞかしスリル満点だったことだろう。私たちは芝生に座った。
「寒いけど気持ちい所だよね」
私は言った。梓は頷くと室内を覗き込んだ。
「自販機あるか見てくる」
「オレンジジュース」
じゃあということで私は言ってみた。山本も便乗してきた。
「炭酸」
「仕方ないな。先行かないでね、待っててよ」
面倒だという梓の気持ちは二人に届かなかったようだ。梓は走って室内へ走って行った。私は良い機会だと山本に質問した。
「どうして、一レースに出てたの?」
「涼太がいたから」
私は拍子抜けした。何それ。本気で言ってるの?
「言っとくけど本当だから」
「意味わからん。果てしなく意味わからん」
「だろうなー。言っとくけど香帆のせいやかんな」
それに対して香帆は「意味わからん。果てしなく意味わからーん」とふざけて言った。山本は「まだ、涼太のこと好きなんか?」という出かかった質問を飲み込んだ。こっちに帰ってきた梓が見えたからだ。
「……」
香帆は黙った。梓は香帆たちの希望に副ったものを買ってきてくれた。
「いただきます」
私は勢いよくオレンジジュースを飲んだ。時計を見ると香帆は溜息をついた。
「どうかしたか?」
「私、先戻ってるよ。先輩のタイム気になるし。二人はゆっくりしてて」
そう言って芝生を歩いていく香帆を二人は不思議そうに見ていた。
「涼太」
私は見つけた背中に声を掛けた。
「香帆、お疲れ。どうかしたか」
彼はぎこちない口調だった。でも、涼太は避けようとはしなかった。私はちょっと言っときたいことがありますと言って涼太を人の少ない所に連れて行った。私は今度こそ言うと決めたから。もう、逃げない。早く決着をつけたいから。
「香帆?」
ずっと尊敬してる。今でも凄いと思うから。
駅伝に出れると決まった時、誰よりも先に涼太と喜んだ。
分け合ったスポーツドリンクも覚えてる。
死ぬより過酷な合宿のトレーニングも助け合ったよね。
私に好きという事を教えてくれた。
好きだからこその悲しみだって。
高校に入っても忘れられなかった。きっと、一緒に喜びを分かち合い、苦しみを共に戦ってきた同士だったからだ。心からそう思う。その気持ちに嘘はない。だから――。
「涼太のこと好きだったよ、ずっと」
涼太は驚いていた。でしょうよ。いきなり自分が好きだったなんて言われたら驚くでしょう。涼太は何か言おうとしていた。
「俺も香帆のことが好きだ」
好きだ? じゃあ私と違う。私は好きだったんだ。
久しぶりに会った私に声を掛けてくれてありがとう。
だから、私は心を整理する機会を貰えたんだよ。
これからも良き元部活仲間でいようね。これからも。
「香帆」
「じゃあ、私先生から召集かかってるからもう帰るね」
山本は心の中で「まだ、涼太のこと好きなんか?」と言ったらしいが残念なことに漏れていた。聞こえてしまった。これは山本の癖だった。この際それを理由にしてもいい。言い訳にしてもいい。
涼太が見えなくなると香帆は最後に言っていいだろうかと言った。涙は流さない。気持ちに嘘はつけない。でも正直にもなれない。最後だからお願い、本当に最後だから――。
「好きだよ」
って。虫のよな弱弱しい声は空気の中に溶けた。私は何もなかったようにテントに戻ると荷物を片付けて閉会式の用意をし始めた。本当に何事もなかったように。
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