prologue2/仮初の勝利と敗北
──森の奥から現れたイブツは、二人のそばで歩みを止めた。
「ギュイイイイイン!!!」
目の前のイブツが甲高い、歪んだ駆動音をあげる。
「先に行け!あとで追いつく!」
シルマはカゴの青年を先に行かせ、迎撃の体制をとる。
「とはいえ…勝つイメージが湧かないな…」
シルマは実際に動くイブツを見るのは初めてだった。動かない、壊れたイブツなら見たことがあったが、目の前の物とは形も、大きさも異なる。
円柱に近い外観のイブツの、左右に動いていた頭はやがてシルマへと向けられ、停止する。
よく見ると頭には眼のようなものがあり、大きくなったり小さくなったりと、慌ただしい。
「アレは…眼か?」
シルマは無意識に後ずさる。目の前のイブツはシルマの身長の倍ほどの大きさを誇っていた。腕は比較的細めだが、伸ばしきると地面に簡単に触れるほど長い。四本ある脚はかなり頑丈そうで、森の不安定な足場を余裕で走破していた。
「一番警戒すべきは…腕か?」
あの腕に力任せに薙ぎ払われたら一発でオシマイだろう。木々の後ろに隠れつつ、なんとか隙を見て逃げるべきだ。
シルマはゆっくりと後ずさりつつ、大木の後ろに隠れようとする。
しかし、その瞬間
「キュイイイン!」
「!!」
唐突にイブツが動き出した。右腕を高々と振り上げ、シルマ目掛けて振り下ろす。
「くそっ!」
シルマは即座にその場から飛び退く。イブツの右腕がドゴオッと地鳴りのような音を立てながら地面に叩きつけられた。
叩きつけというシンプルな攻撃だったが、威力は恐ろしいほど高い。地面の上に露出していた大木の根っこが、イブツの叩きつけによって粉々にされていた。
「あぶねえ…!」
「一発でも食らったら…死ぬ…!」
体制を立て直したいシルマだが、思うように立ち上がれない。その間にイブツは、叩きつけた右腕を持ち上げ、こちらへもう一度攻撃を行おうとしている…!
「く…おおおっ!」
体制は整ってはいないが、シルマはイブツに向かって矢を放った。
しかし勢いが足りず、頭を狙った矢はイブツの脚へと命中した、が。
カンッと軽い音を立て、放った矢は弾かれた。
普通の生物に対してなら今の射撃でもいくらか傷を与えることができただろう。今日持って来た矢は矢尻が石で出来ているとはいえ、鋭利に磨かれていて、殺傷能力は高い。しかしイブツは、その程度ではキズ一つ付かない。
「聞いていた通り…こいつの外殻、尋常じゃない硬さだ…!」
残りの矢の本数は少ない。慎重に、相手の弱点を見極めて使わなければ…。
「っっ!」
再びイブツの腕が振り下ろされる。今度は先ほどよりは余裕を持って攻撃を避けることができた。イブツが腕を持ち上げるまで少しの間が生まれる。
「くらえっ!」
今度は万全の体制で矢を放つ。狙うは頭、眼のような部分。
イブツは外殻は硬いが、眼などの一部分はそこまでの硬度ではない──
街で小耳に挟んだ程度の情報だが、今はそれにしか縋れない。
アレが本当に眼ならば、破壊し、視界を奪い、ここから離脱できる…!
ガキッ!と金属が削れるような音が鳴った。見ると、しっかりと眼に命中したようだが、矢自体は弾かれている。
「キュ…キュキュ…」
大したダメージは負わせられなかったようだが、イブツは一瞬、動きを止めた。
──動きが止まった…!効いているのか…!?
なら、もう一度、眼に向かって矢を放つ…!
「ハァッ!」
万全の体制で再び放たれた矢は、見事、イブツの眼へ着弾した。
イブツの眼に、白いキズがつく。
「よし!どうだ!?」
恐らくはまだ足りないだろうが、眼を狙い続ければいずれ破壊出来るはずだ!
──その時。
「ギュアアアアアアアア!!!」
イブツがこれまで以上に歪んだ怪音をあげる。
瞬間、イブツはシルマのいる位置へと前進しつつ、両腕を使い、広範囲を薙ぎ払ってきた!
「うおあああああ!」
シルマは咄嗟に、大木を盾にするように頭から飛び込み回避を行った。腰の矢筒が少しカスったが、間一髪、回避に成功した。
ズドォン!とイブツの腕が大木に激突する。衝撃で木の葉がイブツとシルマへと舞い落ちる。それどころか…。
メキメキメキッ!と大木が悲鳴をあげる。今の一撃で幹が砕かれ、折れかけたようだ。倒れるまではいかなかったが、それでも異常な破壊力だ。
大木を盾にして難を逃れたが、それでも大木越しに伝わった衝撃で焦点が定まらない。
「メチャクチャだ…!これが…イブツ…!」
「ギュイイイン!!」
いつのまにか大木の裏に回り込んでいたイブツが腕を振り上げる。
避けなければ。なりふり構ってなんかいられない。
──死にたくない。
「あ゛あっ!」
ドゴオッ!と轟音が鳴り響く。どうやらまた、大木に攻撃が当たったようだ。
またもや間一髪で避けることが出来たが、もう限界だ。
無慈悲にも、こちらに眼を向け再び攻撃の体制に移ろうとするイブツ。
「ハアッ、ハアッ、くそっ…」
咄嗟に弓を構えようとしたが、弦が切れてしまっていることに気づく。いつの間に、どこで切れてしまったのか。考えようとしたが、今それを考えるのは思考の無駄だ。
弓と、腰に付けていた矢筒を捨てる。体が少しでも身軽になるように。
「フゥーー…」
腰に下げていた石剣を抜刀し構える。覚悟を決めろ。どうせ死ぬなら戦って死のう。
「キュイイイイイン!」
──イブツがこちらへ向かって来ようとする。その時だった。
ミシミシッ、バキバキバキィ!!
「ギュイイイン!!」
ついに損傷に耐え切れなくなった大木が倒れ、イブツの脚の一本を下敷きにしたのだ!
歪んだ駆動音を響かせながら、もがくイブツ。いずれ脱出するだろうが、しばらくは大丈夫だろう。
──逃げるなら、今しかない。
しかし思いとは裏腹に、シルマは、石剣を構えイブツへと駆けていた。
思考は逃げろと叫び続けている。しかし、本能は、何かに導かれるように足を前へと進ませた。
「うおおおおおおッ!」
倒れた大木の上に飛び乗る。大木は倒れたが、イブツの脚を下敷きにしたことで幹は斜め上へ伸びている。駆け上るとイブツの眼よりも少し上の位置に到達した。
イブツがシルマを見上げる。先ほどまでの立場が逆転したことに気づいたのか、眼が驚愕で見開かれたかのように大きくなる。
「く、ら、えええええ!!!」
大木からイブツ目掛けて飛び降りる。狙うは眼。全体重をのせた、渾身の一撃を叩き込む…!
ズガアァァァン!!!
石剣は、イブツの眼へと深々と突き刺さった。イブツは大きく体を震わせ、シルマを弾き飛ばす。イブツからは血は流れないので、視覚的に効いているのかが解りにくかったが、シルマは勝利を確信していた。
「やった…!やったぞ!!」
勝った。勝ったのだ。
もちろん、眼を破壊しただけだ。イブツの機能を停止させたわけではない。
それでも勝利には変わりない。これで安全に帰れる。さあ、急いで街へ戻ろう。カゴの青年は無事だろうか──
ピ、ピピ…ピピピピ…
今まで聞いたことのない音が耳に届いた。
徐々にその音は甲高く、音と音の感覚が狭くなっていく。
シルマはイブツを見る。
イブツの胴体の胸の部分に、青白い光が集まっていく。
音が変化していくのと同時に、光も強くなり──
一瞬、世界が暗転した。
次の瞬間襲ったのは体の痛み。
見ると、先ほど居た位置から数十メートル離れた位置にシルマは転がっていた。
「な…にが…起こっ、た…?」
イブツがこちらを見た。眼は潰した筈なのに、シルマを捉えている。
イブツの脚を下敷きにした大木は、大きな風穴を開け、離れた位置に倒れている。
──ああ……ここまでか……。
意識が薄れていく。視界が暗闇に包まれていく。
その最中、シルマは人影を見た。
鎧と……剣…?ああ……そこにはイブツが……、逃げろ……。
人影は、背中の剣を抜刀し──
──イブツは、その機能を停止していた。
シルマは現れた人影を驚嘆の眼で眺め──
意識の海へと、沈んでいった。
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