第5話 始まった感情(陽介の場合)

その日のカラオケのことはほとんど覚えていない。

なでしこと和己が場をかなり盛り上げていたことはかすかに覚えているが、一番覚えているのはさつきさんのことだった。


この感情が何なのか僕には説明ができない。あの日見たさつきさんの姿が今でも頭から離れない。そんなこともあり、僕はGWの終わりまで半ば無気力状態で過ごしていた。


休み明けの2011年5月6日(金)。この日はGW明けではあるが、1日だけ学校に行くということでずる休みをする生徒が少なからずいた。中にはボランティア活動で学校に許可を受けて地元を離れている人もいたが、それを除いても登校してくる生徒の数は少ないように感じた。


僕はというとさつきさんのことが気になってはいたが、学校に行けば、和己がいるということもあり、通常通り登校した。


教室に着くと、まだ和己は来ていなかったが、チャイムが鳴るギリギリで登校してきた。


昼休みに話しかけようとしたが、和己の周りにはファンの女の子たちが集まっていたため、結局和己と話せたのは放課後になった。


「お疲れ。今どの棋譜さらってんの?」

「この前の棋聖戦の挑戦者決定戦のだよ。一応最近の棋譜はさらっとかないとな。でも、今俺に聞きたいのはそんなことじゃないだろ?」

「気づいてたか・・・。バレバレだった?」

「顔に出すぎ。今日ずっと上の空でいただろ。カラオケの後メールしても返事が来なかったから何となく察しはついてたけどな」

「え・・・?」


そうすると僕は携帯を取り出してメールを確認した。そういえば、今の今まで携帯を確認するのを忘れていた。言われた通り数件、和己となでしこからメールが来ていた。


「あの日、陽介の様子が変だったから気になってさ。そうか、そうか、そんなにさつきのことが好きになっちゃったのか」

「いや、確かに気にはなるけど、好きとかいうんじゃなくて・・・」

「皆まで言うな!よし、ここは俺が親友のために一肌脱ごうではないか!幼馴染からして言ってはなんだが、たしかにさつきには何か人を引き寄せる魅力があるからな」

「いや本当に待って、少し説明させてくれ」


話の展開が早すぎてついていけなくなりそうだったので、僕は一度和己を落ち着かせた。


「気になると言ったのは好きになったということも含めてなんだろうけど、もう1つどうしても確かめたいことがあるんだ」

「なんだ?連絡先はさすがにすぐには教えられんぞ。昨今、個人情報とか色々面倒なことが増えてきてるからな」

「そこは後で自分で聞くよ。それよりも気になることがあるんだよ」

「だから何だよ?気になることって?」


一瞬、和己にあのことを言おうか躊躇したけど、何も言わないで話を進めるのは無理そうだったので、少し内容をぼかして説明することにした。


「さつきさんと僕、小さい頃に会ったことがあるかもしれないんだ。しかもその時、僕は彼女とある約束をしたかもしれないんだよ」

「何だよ、かもしれないって?確証がないのか?」

「うん・・・確証がないこともないんだけど、これは直接本人に聞くしかなさそうで・・・」

「ちなみに約束って何なんだよ?そこが一番肝心だろ。内容によっては一気に仲を深めるきっかけになるじゃないか」

「笑わないかい?」

「内容による」

「分かった。約束の内容っていうのは・・・『お互いのことを忘れる』ってことなんだ」


一時的に空気が凍った。そして和己は深呼吸をしたあと話し始めた。


「忘れるってどういうことだ?昔のことなら自然に忘れるもんだろ?当たり前のこと言っただけなら約束にならないじゃないか」

「そういうことじゃなくて、お互いっていうのは自分自身ことも含まれてるんだよ」

「なんじゃそりゃ?それって互いに記憶喪失になるってことか?」

「そうなるのかな。でも、そんなことをさつきさんが言うとは思えないし、言ったとしても、どうしてそんなことを言ったのかも謎だから考え込んでたんだよ」


結局、和己に相談をしてみたが、僕と同様に和己も分からないという結論だった。

とりあえず、僕らはここで考え込んでいるよりも本人に聞いた方が早いということで明日の放課後にさつきさんと話せるように和己に連絡をお願いした。


しかし、さつきさんからの返信によると、部活の都合で週末の日曜日しか会えないということだった。仕方なく、僕はこのモヤモヤをあと3日間引きずることになった。


あの約束の女の子が本当にさつきさんなのか確証はない。

でも、僕はあの日あの時感じた直感に信じることにした。

当たっているにしろ、間違っているにしろ日曜日には何かしら解決を見せるだろう。



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