第2話 願い

 リズは、低い姿勢を保ち、驚愕の速度で疾走した。


 前髪が流され、あらわになった瞳は、淡く輝く。


 瞳には、敵が放つ弾丸の未来が、一つの線となって映し出された。


 未来の軌跡。


 このことを、九歳の時、指導兵に伝えると、

「たいしたものだ」

 と、頭を撫でて褒めてくれた。


 彼女は、その時、感じた誇らしさと、喜びを今でも忘れない。


 人並み外れた集中力と、驚異的な動体視力から、未来を予測し、その軌跡を見せている。

 彼女が殺した指導兵は、そう結論づけた。


 リズは知らない、彼が間違っていると。


 “時の魔眼”は、過去と未来を暴き視る。

 リズの瞳は、未来を視る“時の魔眼”。


 リズは知らない、己の瞳に魔が宿っていると。


 彼女は、はっきり視える幾多もの射線を鋭く向きを変え、木々を利用しながら、やり過ごす。


 さらに、射線から、相手の力量を推し量る。


 射線は直線的で避けやすい。

 込められた魔力も微量……


 敵の放つ銃声の間隔が極端に短くなり、焦りの色が見えはじめる。


 彼女は決して手加減しない。


 指導兵のアランを思い出す。


 近接戦闘員を務めていた彼は、仲間を守り戦った。

 戦奴の烙印を持つ彼は、仲間からの人望も厚かった。

 交わした言葉は忘れたが、約束の言葉は覚えている。


「次はお前だ!」

 彼の言葉がこだまする。


 彼のように、結界や障壁で仲間を守ることは、彼女には出来ない。


「次はお前だ!」

 兄のように慕い、尊敬したアランの最期の言葉がこだまする。


「次はお前だ!」


 リズは、人並み外れた野性の勘と、魔力で強化した身体能力で、それを為すと決めた。

 彼の血を浴びながら、あの時、あの場で、そう誓ったのだ。


 敵が潜む茂みは、もう目前だ。


 リズは、戦い殺し、その手を血で汚す。

 仲間は、誰も殺させない。


 戦争の大義など意味も無いし、興味も無い。


 戦地に赴き、仲間を守る為、殺し、殺し、殺し続ける。


 腰の小刀アサルトナイフに手を伸ばし、それを抜く。

 彼女は小刀に魔力を流し強化する。

 刀身が、それに応えるように、冷たく淡く輝いた。


 茂みから敵兵が飛び出し、叫びながら小銃を乱射する。

 茶色を基調とし、所々に大胆に白と緑があしらわれた敵の軍服のズボンから枯葉が、ひらひらと落ちていく。


 リズは、大地を這うように姿勢を低くする。

 伸びてきた射線が頬をかすめるように消えていき、獲物との距離を一気に詰める。


 敵兵は、眼前に迫る少女の額に赤く輝く烙印を見つけ、恐怖に怯え小銃を振り上げた。

 リズは難なくかわし、彼の死角に潜り込む。


「帝国の悪魔……」

 敵兵の断末魔は震えていた。


 リズは、敵兵の死角から伸び上がり、首を斬る。

 血飛沫が彼女を襲う。

 魂を失った彼の身体は、膝から崩れ、大地に転がり、枯葉を赤く染めていく。


 その様子に、援護に駆けつけた敵兵が悲鳴を上げ固まった。

 リズは、迂闊うかつな彼に狙いを定め、容赦なく襲いかかると止めを刺した。

 最後に、背中を向け慌てて逃げ出した兵士を、あっさりと始末する。


 一陣の風が戦場をさらう。


 リズは落ち着くと、聞き耳を立て周囲を探る。

 銃声を聞きつけ駆けてくる援軍も、潜んでいる敵兵の気配も無い。


 茂みからは、葉の擦れ合う音だけが聞こえ、木漏れ日は、新鮮な死体を照らしている。


 冬がもう側まで来ているとはいうのに、周りの緑が眩しく感じられた……


 リズは、小刀アサルトナイフを腰に収めた。

 戦場に血の匂いが漂い充満する。

 彼女は、コートの襟を引っ張り鼻を隠す。

 前髪の奥で輝く冷めた瞳は、鮮血で染まる大地を映し出した。


 新鮮な死体からは、血がゆるゆるとにじみ流れ出ている。

 少女は死体を漁り、手袋を血で染める。


 死体の中に索敵士はいなかった。

 広範囲を探る索敵士は、所属する部隊の認識を阻害し隠すこともできる。

 兵士なら誰でも知ってる常識だ。


 死体が着る軍服の胸ポケットから白い紙が覗いていた。

 紙を手に取り調べると、リズは顔をしかめる。

 紙が赤く血で染まる。

 慌てて、元の場所へと丁寧に入れると、

「サイモンの奴……」

 と同班に所属する索敵士の名前を呟いた。

 もちろん、誰も返事しない……


 しばらくして風に舞った枯葉が死体に落ちた。


 紙きれは写真だった。

 そこには、見知らぬ二人の男女が肩を寄せ合う姿が写っていた。

 彼女の知らない幸せが、確かにそこにはあった……


 リズは、死体に一瞥いちべつすると、仲間の元へと駆け出した。


 ここは、戦場だ……弱い癖に参加する方が悪い。

 リズは、自らに、そう言い聞かせ納得させた。


 彼女の人生は、帝国の歴史と同じで、血塗られている。

 そして、その人生は、帝国の歴史より最悪だった。


 リズは殺しに大義を求めない。

 己の願いを叶える為に、命を奪う。


 “戦奴の烙印”は、命を喰らい成長する。

 額の烙印は輝きを失うと前髪の奥へと潜み隠れている。


 少女が目指す場所で班長は、片膝をつき、手に包み込んだ単眼鏡で、遠くの茂みを覗いていた。

 その隣でマシューも少女の事が気にかかり、小銃を構え伏せたままジッとしていた。


「凄い……」

 小銃のスコープを覗きながら、マシューは呟いた。

 射撃には自信があったが、スコープでリズの動きを完全に捉えられない。


「見えたのか、大したもんだ……」

「いや、見えてない」

「そうだろうな」

 班長は、単眼鏡から目を離すと、それでマシューのアタマを小突いた。


 銃声が止んだ。


「そろそろ、戻ってくるぞ」

 単眼鏡を腰袋にしまうと、手で合図をして皆を呼びよせる。


 班員達が、動きだす。


 彼らは、マシューを揶揄いはじめた。

「よぉ、マシュー、餓鬼に気を使ってたみたいだが、おまえ、そういう趣味なのか」

 ニヤニヤしながら、小銃を肩に掛けている男の名前を、マシューは知っていた。


 ダグラス伍長、マシューより五歳年上の射撃手だ。


 どうやら、行軍の最中、リズの事を気にかけて、手を貸そうとした事を指しているらしい。


「いや、同じ年頃の妹がいるので、ああいうのは……、放って置けない……」

 マシューも銃を肩に掛けて立ち上がった。


「そんなに、似てるのか?」

「ああ……」

 胸ポケットから一枚の写真を取り出すと皆に見せる。


 マシューの所属する第一班は、彼を入れて八名で編成されていた。この人数は、班編成の最低必要人数より、かなり少ないのだが……

 とにかく、班長を中心に集まった班員達は、彼の写真を回して手に取り眺めていた。

 

「確かに、髪の色は違うが、確かに……」

 ダグラスは、班長の方を見た。


「編成は、変えんぞ、あれは、本部の指示だ。でなければ、新兵をあれと組ませるか」

 班長は、くそっと舌打ちすると、煙草の箱を握りつぶし、投げ捨てた。

「おい、誰か、煙草を持ってないか、サイモン、お前、しこたま買い込んでたろ」

 索敵役のサイモンは、三十五歳で、最前線では、老兵と言っても良い年だ。


 班長はサイモンの肩に手を回して、煙草をせびりはじめている。彼は、嫌々、煙草の箱を差し出し、銘柄を見て班長がケチを付けた。


「あれだ、あれは、妹と違う、それは忘れるなよ。あと……、よう、リズ、早いな」

 ダグラスは気配を察して、言葉を濁した。


 編成とは、恐らく、戦闘の際、互いに補完し合う陣形のことを指して言っているのだろう。

 第一班の基本陣形は、中心に班長等四名が構え、その周りに二組の攻撃役を配置する。

 攻撃役は、近接戦闘兵と射撃手が一対となり、連携を取りながら敵を攻める。


 そして、マシューは、リズと組む事になっている。


 それが気に喰わないらしい……


「ほら、預かり物だ」

 マシューは、身体に魔力を巡らせて身体強化する。

 空気が微かに震え、地面の落ち葉が踊る。

 傍にあるリズの荷物を掴むと、片手で彼女に放り投げた。


 しかし、重い荷物だ。

 改めて、その重さに、マシューは、舌を巻いた。


 リズは、片手でそれを受けとると、

「ありがとう」

 と礼を述べた。


 特に、驚いている様子は無い。

 常時、身体強化をしているなんて……、ありえないとマシューは不思議に思う。


 しかし、筋力のみで、あれを持つのは不可能だ。

 それにしても、中身は、領域用の魔石か……


「流石、特級の実力者は違うな、いや、まだ上級だったか」

 班長が、かなり短くなった煙草を吸いながら、感嘆の声をだす。

 それを長い時間を掛けて、肺の奥まで吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。

 煙の一団は、じわじわと上昇しながら、やがて、薄くなり、空気に溶け込んで消えていく。


 そんな中、紅一点の衛生兵の

「怪我は無いですか?」

 と言う優しい声が、マシューの耳に入ってきた。


 衛生兵のマーガレットは、マシューより一つ年上の十八歳。彼女は、現在では、稀少な上級回復魔法の使い手だ。

 それだけでも驚きだが、

 さらに、長い金髪を後ろに束ね、大人びた美しい容姿をしている。


 マシューは、そんな彼女に淡い憧れを抱きつつ、彼女に対して深い疑問があった。


 彼女のような人物が、危険な前衛部隊に、その中でも一番生存率の低い第一班に留まっているのが不思議でならない……、

 彼女なら安全な後方勤務も出来たはずだ……


「大丈夫、怪我は無い」

 リズは、マシューから受け取った荷物を片手で持ち上げて背負う。


 彼女の羽織るコートには血が付いていた。

 その姿が、マシューにはいたたまれない……


 リズは、班長が、煙草が吸い終わるのを待ってから、近づくと、報告をはじめた。


「敵は三人、その中に、索敵士はいなかった」

 リズは、この班の索敵士を務めるサイモンを見つめた。


「そうか、他に何かあるか? あと、サイモン! てめぇ、サボってやがったな!」

 班長は、飼い主が犬を褒めるような仕草で、リズの頭を撫でながら、他に報告がないか尋ね、索敵士のサイモンを睨む。


「他は、特にない」

 リズは、写真には言及しなかった……


 マシューは、仲間達を眺めながら木の幹に寄り掛かり腰を下ろす。しばしの休息だ。

 彼の配置された第一班は、最も生存率の低い部隊だ。それだけ、重要な任務を任せられると言い換えてもいい。新兵がいきなり配属されるような部隊ではない。

 それでも彼は……


 リズが彼の目の前に立っていた。

 その姿に、マシューは、あの時、戸口の前に立っていた妹を思い出す。


「新兵は、すぐ死ぬから、心配……」

 彼女は、マシューの手を掴み彼を引っ張った。


 馬鹿な奴だ……


「そうだぜ、お前が死ぬと荷物が増えるからな」

 近接戦闘員を務める大柄なエドガーが、マシューの肩に腕を回し、強い力で引き寄せた。


「そういえば、マシュー、お前には、まだ、分担されてなかったな」

 エドガーは、マシューの肩に回した片腕を強く締めながら、少女のリズを指差す。


「新人が持つとめんどう」

 リズは、班長の方へと歩いていく。


「銃声を聞きつけ敵が寄ってくるかもしれん。この場所から、離れるぞ!」

 班長は、リズに地図を見せ歩きながら相談をはじめた。


 領域を確保し、結界を設置するには、いくつかの魔石と、それらを結合し支える頑強な部材が必要だ。

 魔石は、大人の拳ほどの大きさだが、込められた魔力のせいか、比重が馬鹿みたいに重く、一つ、最低でも十キロはある。


 さらに、一つの班の最低構成人数は、十七人と言われているが、第一班の人数は、たったの八人だ。

 一人当りに分担される資材の重量はかなりのものだ。


 少女が背負う重い荷物をマシューは見つめた。


「ということは、あれだな……、マシュー、お前が死んでも、荷物、増えねぇなぁ〜、お前、死んでもいいぜ」

 エドガーは、マシューを自由にし、大声で笑った。


「そうね……、気にしないくていいわよ」

 衛生兵のマーガレットが、その厚い唇に指を当てながら、マシューの傍らに来た。


「サイモン、今度は、しっかりと仕事をしろよ」

 班長は、リズとの打ち合わせが完了したようで、彼女に先頭を任せると後方に下がって来た。


「酷いっすよ、グラハム班長……、煙草を返して下さい!」

 サイモンは不服そうな仕草を見せると、時折、歩みを緩め、目を閉じ、精神を集中させはじめた。


「隊列が乱れてるぞ!」

 グラハム班長の指示に従い、第一班は隊列を整え、木漏れ日が降り注ぐ中、森の奥へと消えていった。

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