戦火の少女

小鉢

第1話 戦奴の烙印

 荒地に華を咲かせましょう、真っ赤な、真っ赤な血の華を……


 戦場には、血に飢えた悪魔がいる。


 兵達は、その真実に、恐怖した。





 大陸暦1891年10月、


 世界は、混沌とした激動の時代を迎えようとしていた。


 大陸の中央に、皇帝を頂点とし、巨大な軍事力を有するライフニル帝国が存在する。

 大陸に、自由と民主化が広がる中、帝国は、中世からの身分制度を色濃く残し、何よりも、“力”を重んじていた。


 思想の違いは、争いを招く。


 当然、己の主義を決して曲げない帝国に、戦火は絶えることは無い。


 今も、国境線付近で煙が上がっている。

 そこで、帝国と南部自由国家連合が、各々の大義を掲げ、領土と命の奪い合いに、興じていた。


 旗色が悪くなった南部自由国家連合は、友軍を巻き込むのを承知の上で、広域殲滅魔法を行使した。

 自由の名の下に、味方諸共、帝国兵を皆殺しにするつもりだ。



 太陽は沈み、一日が終わりを告げようとしていた。

 夕闇に染まった空は、日の光を名残惜しみ、細やかな抵抗をしている。

 数千年、数万年、数億年前から繰り返えされた、それは、ついに破られた。

 突然、空が明るくなると、真昼の勢いを取り戻す。


 地上に巨大なドーム状の炎が出現したのだ。


 直径数百メートルの巨大な高温の炎が、森の木々を、そこで戦う兵達を無慈悲に飲み込み焼いていく。

 強烈な光を放ちながら、殲滅の炎は、敵味方区別なく、容赦無く襲った。


 十九世紀中頃に発明された領域座標結界は、数十キロ離れた場所から、このような無慈悲な広域殲滅魔法の行使を可能にした。

 これにより、戦争は、大軍のぶつかり合いから、小部隊が散開して敵の領域座標を破壊し、味方の為に新たな領域を設置する、領域設置争奪戦へと移行していた。


 先程の炎から離れた場所の上空に、広大な魔法陣が展開される。

 二発目の広域殲滅魔法だ。

 その属性は炎、初撃と同様に炎のドームが森林を覆っていく……

 中心部を上空からの衝撃で潰し、そこから、炎をまとった暴風が同心円状に広がる。

 離れた場所にいる兵士は、炎の暴風に巻き込まれ飛ばされた。

 木々を薙ぎ払い、それらを燃やし、兵を突き飛ばし、そして燃やす……。

 貪欲な炎は、全てを喰らおうとした。


 空は闇に支配され、地上は炎で満たされた。

 それでも、森から命の灯火は消えていない。


 自由を掲げる者達は、全てを始末しようと、三発目の行使を決意する。


 領域座標から任意の位置を特定し光り輝く魔法陣が、上空に展開され現れた。

 そこから、魔法陣はチリチリとした小さな稲妻を放ちながら、一点に集約した発動段階へと移行しようとする。

 しかし、それは何者かに阻まれ、出鱈目でたらめな衝撃波を辺りに撒き散らすと、弾けて消えた。


 領域座標結界が破壊されたのだ。


 もはや、南部自由国家連合は打つ手を失った。


 広大な面積の森林が失われ現れた荒地には、炎がくすぶっている。

 驚いた事に、それでも、そこに命の気配は消えてはいない。


 武器が強力になれば、防具も強固になっていた。

 強力な攻撃魔法をレジストし、生き残る兵は、どんなに過酷な状況下でも僅かながらいる。


 散発的な銃声と呻き声、そして、死体……、焼けた木々が横たわる荒地に、それらは延々と連なっている。

 何処からか飛んで来たからすは、亡骸なきがらをついばむと、鋭く鳴いた。

 そこへ、一陣の風が吹き抜けて、連なる死体の焦げた死臭を巻き上げる。


 戦い疲れた青年は、地面に刺したサーベルを両手で握り、身体からだを預けるようにして項垂れた。黒を基調とした帝国陸軍の焼けた制服は所々破れ、額からの血が、刃先まで流れると地面の染みになって消えていく。


 そこから少しだけ離れた所に、とうに満たない小柄な少女が、結んだ髪を熱風に踊らせ、潤んだ瞳に炎を映し、その様子を見つめていた。

 彼女は、戦いに備え、黒い制服に包まれた小さな肩を、小刻みに揺らしながら、息を整えている。


 風が吹く。

 焼けた枯葉が、真っ赤な炎を伴い舞い上がる。


 青年は顔を起こし、燃えた大地に刺したサーベルをおもむろに抜くと、それをかたわらへと投げ捨てた。

 それを見た少女は、後ろに束ねた黒髪を、大きく左右に、ふわりと揺らし、小さな身体からだで火の粉を払いながら、懸命に駆けていく。


 彼は表情を崩し、暖かい笑顔を浮かべると、己の厚い胸板に向かい入れ、大きな腕で包み込む。

 そこに、彼女は、穏やかな表情で額をつけた。


 そして、二人は、言葉を交わし合う。


 なぜか、少女のうるんだ瞳から涙があふれ、熱に照らされた可愛らしい顔を濡らす。


 そして、躊躇なく、小刀アサルトナイフで、青年の胸を突き刺した。


 青年は満足げに微笑み、血を吐きながら、

「次は、お前の番だ……」

 と彼女の耳元でささやいた……


 いつのまにか、銃声が止んでいる。


 深い闇が天を覆い、


 火の粉が舞い上がる戦火の中、真っ赤に染まった少女は、燃え盛る炎に照らされていた。


「次は、お前の番だ」

 少女の脳裏に、青年が放った最期の言葉がこだまする。




 三年後……


 夏の日差しが容赦なく照りつける八月。


 帝都の端、底辺の者達が集うスラム街、そこに貧相で古い煉瓦造りの集合住宅の群れがある。


 身勝手な理由で世界を呪う若者がそこにいる。


 マシュー・カウフマン、彼は、帝国訓練兵が着る、灰色の軍服に身を包み、自分の住処の軒先で、スーツを着崩した男達、二人と対峙していた。


 狭い路地には、紙くずや煙草の吸殻が散乱している。

 彼らの他に、人影はない。

 正確に言うと、先程まではいたのだが、今は、いない……。

 皆、面倒事を避け、蜘蛛の子を散らすように消えていた。


 ここは、空気が、とても淀んでいる。


 相手の大柄な男が、彼を覆うようにして、勢い良く壁に手をつく、

「時間切れだぜ、坊主」

 今にも殴りかかりそうな勢いで、顔を近づけマシューを睨む。


 マシューは顔にかかった唾を、制服の袖で拭うと、顔をしかめた。借金取りの彼らとは、付き合いも五年と長い。今では、恐怖を感じることは無かった。


「おい、よせ、兵士を殴ると、後が面倒だ」

 連れの痩せ男が、大男の肩に手を掛け、マシューから引き剥がそうとする。


「ちっ、兵士なんてなりやがって、それで、俺たちがビビるとでも思ったか、マシュー」

 大男は、痩せ男に抗って、離れようとせず、マシューの鼻先で、威嚇する。

 生暖かい吐息からする匂いを嫌って、マシューは顔をそらした。


 その時、彼の視線の先で、窓が勢い良く閉ざされた。


 そこの住人は、勢いよく閉ざすと、ガチャリと鍵を掛ける念の入れようだ。


「助けなんて来ねえぜ、何、今すぐ、金を返せって訳じゃねえ、妹を働かせろって、だけたぜ」

 両手をポケットに突っ込んだ痩せ男は、先程の窓を見て、下卑た笑みを浮かべた。

 男の大きく開かれた襟元から、みっともない胸毛が覗いている。


 マシューには、五つ歳の離れた器量良しの妹がいる。

 先月、初等学校を卒業したばかりの妹を、マシューは、九月から、中等学校に入学させると決めていた。


 なので、仕事に就かせる気は無い。


 さらに、彼らの態度からは、いかがわしい想像しか浮かばなかった。それは、消して許せない。

「妹には、手を出すな!」


「あぁ、偉そうに言うようになったじゃねぇか」

 大男は、マシューの腹に拳を入れ、目をギラつかせ、ベタついた汚い唇を薄く開く。


「効かねぇなぁ」

 身体がくの字にならぬよう堪えて、浮かべた笑顔は震えていた。


 無言で大男は、二発目を、また腹へ深く入れた。相手の身体をくの字にすると、もう一撃、そこに、見舞う。


 それでも、彼は屈しない。

 それを許さぬ拳は、彼を何度も襲った。


 大男は、己を誇示しようと、必死で殴る、腹、頬、顔面……、延々と繰り返す……、その度に、マシューの身体が宙に浮き、踊る。


 身体が大きい、この貧しいスラムでは、それだけで畏怖の対象だ。

 更に大男の腕っ節は中々のものだった。

 それなのに……


「おい、その辺りにしとけ……」

 痩せ男が声を掛けるまで、必死の暴力は続いた。


 地面に膝を付いた状態で、マシューは口元から流れた血を拭った。


「ちっ、なんつう目をしやがる、恨むなら、借金をして消えた、お前の親父を恨みな」

 大男が、マシューの胸ぐら掴み、彼を再び立たせると、壁へと押し当てる。 


 父親は、五年前、事業に失敗し、借金を抱えて失踪した……

 その出来事は、比較的裕福だった彼の人生を、貧乏な最下層へと見事に転落させた。


「やめて!」

 妹のアメリアが、玄関から、鍋を持って飛び出して来た。


「ヒュー、妹ちゃんの登場だぜ」

 男達は、彼女の姿に興奮し、はしゃぎはじめた。

 マシューは、壁を背に横目で戸口の方を見る。


 確かに綺麗な赤毛を一つに束ね、長いまつ毛に二重の瞳の顔立ちは、とても可愛らしく将来を期待させる。

 でも、地味な服装と油で汚れた前掛けが、悲しくさせた。


「お兄ちゃんを離してっ!」

 借金取りの男達の舐めるような視線を浴びながら、妹は怯え、玄関先から動けない。


 開かれた扉から錆びた蝶番の音がすると、少し閉じて、小さな細い身体に触れた。

 彼女は、それを開き戻すと、可愛い顔を強張らせ、震える足で懸命に身体を支え踏ん張った。


 馬鹿な奴だ……

「お前は、奥でじっとしてろ!」

 マシューは、大声で叫んだ。


「だって、お兄ちゃん……」

「いいから、早く、中に入れ!」

 妹は、そこから、動く気配はない。鍋で口元を隠すと、そこから覗くように、じっと兄を見つめている。


「ほら、妹に助けてもらえ、楽になれよ、マシュー」

 痩せ男が、嬉しそうにマシューの耳元で囁いた。


 “楽になれ”だとぉ。


 マシューは、自分の過去を振り返る。

 彼は、父親が失踪したあと、家族の為に働いた。

 酒に溺れた母親と、幼い妹の為に、初等学校を辞めて、働き、ただひたすらに働いた。

 お陰で、彼の学歴はゼロで何も無い……


「黙れ!」

 マシューは、大男の腕を取り、彼を軽々と引き剥がすと、通りの中央まで押し返した。


 彼は、弱い自分が許せない!


 学歴がゼロなのも、底辺にいるのも、父親のせいでは無いと……知っていた。

 きっかけは父親だが、それを受け入れたのは自分だと。


 働きながら学校に通う、底辺のスラムなら当たり前の光景だ。妹だって、家事を手伝い、小遣い稼ぎ程度はしている。

 それに、努力で底辺から這い上がった美談など、世界にごまんと溢れているではないか……

 今からでも、頼めば、初等学校に通え、卒業の資格だって得ることが出来る……

 

「黙れ!」

 マシューは、大声で再び叫ぶと、大男を突き飛ばした。


 今更、初等学校に通うなんて、出来るか!


 ちっぽけな、くだらない彼の自尊心が邪魔をする。


 それでも、妹を守りたい。

 この境遇から、彼女を救いたい。


 自尊心を捨てきれない彼は、命を担保に差し出し、ある賭けをする事にした。


 軍に志願したのだ。


 兵士の身分は、帝国では不自然に高い。

 借金があっても、最低限の生活は保証してくれる。


 それに……


「マシュー君、遅くなってすまない」

 いつのまにか、倒れている大男を覗き込むように黒い軍服を着た兵士が立っていた。腰にはサーベル、肩には小銃と武装している。


 大男は、兵士を見上げ、腕の腕章を見つけて驚く。

 腕章の色は白、そこには羽ばたく鷹がデザインされていた。


「け、憲兵殿がこんな汚い所に、何の御用ですか」

 慌てた痩せ男が腰を屈め憲兵に近づくと、大男に手を貸し、起き上がるのを手伝っている。


 憲兵がスラムに現れるなんて滅多にない。

 ここに、守るべきものは無いからだ。


 憲兵は、大男と痩せ男のつま先から頭まで、ゆっくりと観察すると、

「君は、怪我をしているようだが、暴力を振るったのは、この方々かな?」

 ゆっくりと口を開いた。


「いや、口を少し切っただけです。気にしないで下さい」

 憲兵は、マシューをいぶかしげに眺めると、ニヤリとした。


「マシュー君、そちらの紳士達に、君の手帳を見せてあげなさい」

 憲兵は、マシューに、軍から発行された軍人手帳を出すように促した。


 革表紙のしっかりした作りのそれは、全ての軍人に支給されている。

 そこには、地位や身分、軍歴や戦功など、兵士、個々の情報が細かく記載されていた。

 もちろん、能力も……


 軍服の胸ポケットから手帳を取り出すと、彼は能力を記したページを開く。


 それを覗いた借金取りの男達は驚いた。


 そこには、

 氏名、マシュー・カウフマン、

 年齢、十七歳 、

 能力、上級(特)、

 適正、射撃手、

 と大きく記しされていた。他にも、このページに、細かい事項が記載されているのだか、なにより、


「能力が上級……」

 大男は、マシューから慎重に距離をおく。


 能力とは、魔力量を記載したものだ。

 中級の魔力で人が束になっても敵わない。

 更に、上級は別格で、中世なら、魔人と呼ばれる化け物だ。

 マシューが本気なら、大男の命は無かった。

 その証拠に、あれだけ殴られても、唇を切っただけだ。


 近代戦闘は、中世のように、魔力が全てではない。それは、確かだ。

 現代の武器は進化している。

 支給される軍服は、古典的な中級魔法なら軽くレジストできる。

 さらに、魔石技術で強化された銃は、少ない魔力で魔弾を放ち、障壁を貫いて人を殺す。

 もちろん、これらの恩恵を受けるには専門の訓練が必要だが……


 それでも、上級は未だに別格で、時に化け物扱いされる。


 彼らは、人を殺す兵器としてとても優秀だからだ。


「彼の家族は、軍が責任をもって保護することになった、君達にも、帝国への忠誠と協力を要請する」

 憲兵は、懐から書類を出すと痩せ男に見せた。


 震えた手で痩せ男は、書類を受け取り内容を確認する。

「し、しかし、これでは、旦那……」

 憲兵に書類を返し、何やら懇願しようとするが、言葉は途中で阻まれた。


「そうか……納得して頂けないなら、残念だが、但し書きを実行するしかないな」

 憲兵は、腰のサーベルにゆっくりと手を掛けた。


 書類には、

 マシューが兵士である限り、利子は免除され、この借金の返済をに行うことができる。

 また、戦死すれば、それをもって完済とみなすという内容と、

 その但し書きに、債権者の同意を得られない時は、帝国が皇帝の名において、責任をもって障害をするという文言が大きく記されていた。


 つまり、命が惜しければ借金を帳消しにしろという脅しで、既に書面には、マシュー・カウフマンのサインがある。


「いや、旦那、逆らうつもりは……、戻ってボスのサインを……」

「なら、そこへ、今度、赴くとしよう、何にせよ、彼の家族は、帝国が保護したという事実を忘れるなよ、二度とここに来るな、という事だ」

 大男と痩せ男は、急いで、この場を離れていく。

 遠くで痩せ男がつまずき路地に転んだのが見えた。


 その様子にひとまず満足した憲兵は、軍人手帳を取り上げると、繁々しげしげと眺めている。


 マシューは、訓練中に妹の手紙を受け取ると、それを教官に見せ、便宜を図って貰っていた。

 憲兵の派遣と借金の処理は、軍の方から、勝手に申し出てきた。


「遅れて申し訳ない。しかし、能力が上級とは本当に凄いな、しかも特級相当か……上層部が期待するはずだ。しかし、残念だな、領域感知能力は無しか……」

 手帳をマシューに返し、憲兵は彼の肩に手を置く。

 マシューに領域感知能力があれば、安全な後方で、領域技術を活用した広域殲滅魔法の砲台として勤務できたはずだった。

 軍部も、強力な砲台を増やすことができ、満足したに違いない。


「あ、あの〜、ありがとうございます」

 握った鍋を背中に隠し、妹のアメリアは、憲兵に頭を下げた。


「頭を下げることは無い、君のお兄さんの優れた能力に感謝しなさい。彼はきっと最前線で帝国の為に活躍してくれる」

「最前線……」

 妹が、兄のマシューを心配そうに見つめている。


 最前線で戦う兵士の生存率はとても低い、学校では、始業の時に、前線の兵士の無事を祈り、就業時には、兵士達に感謝の祈りを捧げている筈だ。


「心配するな、兄ちゃんは強い」

 マシューが妹の頭に手を置くと、彼女は目を細めた。


 彼は、賭けに勝利していた。


 命を担保に入隊した軍隊で、能力を認められた彼は、前線での活躍を期待され特別待遇を与えられた。


 その報酬で、彼は、妹の人生を変えた。


 あとは、戦場に赴くだけだ。


 戦死しても、借金は残らないし、遺族給金で中等学校は卒業できるだろう。望めば、その先も……


「お兄ちゃん?」

 マシューに強く抱きしめられた妹は、その様子に不審がる。


 感の良い子だ……


「明日まで、休暇だ……、出来れば、あれを作ってくれると嬉しい、作ってくれるか?」

 妹を解放し、その細い両肩に手を置いた。

 彼女は、神妙な面持ちで、コクリと頷く。


「やっぱり、あなたは私の息子よ、マシュー、あなたには王族の血が流れているのよ」

 酒に溺れた母親が、今更ながら出てくると、彼の軍人手帳を見て喜んだ。


 魔力は遺伝する。


 これが、一般論だ。


 中世において、貴族に魔力が高いものが多かったことから、高貴な血筋に見られることが多い。


 没落貴族の娘だった母親には、それが、何より嬉しかったらしい。

 聞き飽きた自慢話しを延々とはじめた。


 兄と妹は、目を合わせるとうんざりとした表情をつくり笑い合う。


 憲兵は、気を使って何も言わずに去っていた。

 彼らは、市民から煙たがれる事が多いが、軍人には甘い。

 マシューが死んでも、遺族には、便宜を図ってくれるだろう。


 だからこそ、帝国軍は強い……


「母さんも、アメリアも、早く中に入ろう」

 マシューは、母親の手を引き、彼にとって宝物の妹の背中を押しながら、玄関の奥へと消えていく。


 その日の夜は、彼の好物が食卓に並び、会話は途切れる事は無く続いた。


 マシュー・カウフマンは、妹の、アメリア・カウフマンの人生を変えた。


 彼は、その事に満足し、死を覚悟した。




 三ヶ月後、


 マシューは、最前線に配属された。





 大陸歴1894年11月、


 ライフニル帝国は、北東の隣国、コルド王国との開戦を決意した。


 三年前、南部の自由国家連合が暴走した、あの戦場を経験した少女は十二歳になっていた。

 あれからも、様々な戦場を転々とし、戦闘に参加し、人を殺す日々を過ごしている。


 彼女にとっては、国が掲げる戦争の大義など意味も無いし、興味もなかった。

 ただ命令に従って、戦地に赴き、人を殺す。

 それだけだ……


「次は、お前だ」

 ふと、少女の脳裏に、慕っていた青年が告げた最期の言葉がこだまする。




 帝国北東部、コルド王国との国境線にまたがって広がるアルバニア大森林は、原生林が未だに残り“閉ざされた白い山林”とも呼ばれていた。


 ここが、彼女の新たな戦場だ。


 針葉樹が生い茂る森の中、木漏れ日は淡い光のカーテンを創り、動物達は、朝を迎えた喜びを、鳴き声で表現している。

 早朝の霞がかった空気の中、兵士達が列を作り、木立の間を縫うように行軍していた。


 人の気配に驚いた鳥が、悲鳴をあげ、枝を大きく揺らし羽ばたいた。


「ちっ、鳥か……、ついてねぇ……」

 一人の男が、鉄帽を深くかぶり、苦虫を噛み締めるように呟いた。

 男は背嚢せのうの肩紐を握ると気を持ち直し、先頭を歩く大きな荷物を背負った小さな少女を見つめた。


 孤児の中には、軍に随伴し、雑用をこなして生計を立てる者がいる。


 この班に配属されてから男は、重そうな荷物を背負う少女のことを雑用係だと思っていた。


 大きな荷物を揺らすこと無くコートを着込んだ少女はしっかりとした足取りで歩いている。

 慣れたものだと思いながら、妹を思い出す。


「おい、大丈夫か?」

 男は、列を飛び出し、先導する少女の傍に移動した。


 少女は、少しも動じず、歩みも緩めない。


「おい、マシュー、隊列を乱すな」

 後方から、別の兵士が、呆れた声で男を非難した。


 マシューは、両手を振り、大袈裟な仕草で、後ろを振り返る。

「荷物待ちの餓鬼の先導で死ぬなんて御免だぜ」


 彼を注意した兵士は、やれやれといった様子で口を開こうとするが、別の兵士に肩を叩かれ、たしなめられた。


 マシューは、不満そうに口を閉ざす兵士の様子に満足すると、

「おい、大丈夫か?」

 と手を差し出した。

 行く手には、折り重なった苔に覆われた倒木が、木々の間に広りはじめた。


 幻想的な光景だ。眺めているだけなら……


 湿ったそれらは、注意して踏みしめなければ、足元を滑らせる。


 稀有な者を見るように目を見開き瞬くと、少女は、無言のまま、歩き続ける。

 彼女の瞳は、ついでに怪しげな微かな光のまたたき捉えていた。


 突然、木立の間を枯葉を巻き上げながら強風が駆けてきた。


 慌てたマシューは腕で顔をおおうと目を閉じた。


 正面から風を受けた少女のコートは広がり、黒い軍服に包まれた幼さを残す女性らしい身体の線を披露した。

 吹き上がった前髪から覗く大きな澄んだ瞳は、とても美しく、可愛らしい。


 遠くの茂みで、光が、再びまたたいた。


 少女の瞳は、それを逃さない。


 危険を察知すると、マシューを片手で弾き飛ばす。


「何、しやがる!」

 マシューは枯葉にまみれ、驚いた表情で叫び声をあげた。

 その声に、少女はかぶせて、

「敵襲!」

 と叫ぶ!

 数発の銃声が轟く。

 少女は、素早く動き、起き上がろうとする彼の身体を片手で抑え、自らも地面に伏せた。


 少女は、顔をマシューに向け、

「目立つと狙われちゃう。新兵は直ぐ死んじゃうんだから」

 と小さな声でささやいた。


 間近で見た少女の瞳は、とても綺麗に澄んでいる。


 マシューは、少女の瞳に心を奪われ、自分を押さえ付けている力の大きさに驚いた。


 すぐに、後方から重心を低くしながら兵士が駆けつけてきた。


 銃声が鳴り響く中、兵士はマシューの横に来ると慣れた様子でうつ伏せになった。

「おい、マシュー、大丈夫か?」


「班長……」

 マシューは、口ごもる。訓練は受けているが、何をすべきが分からない……


 班長は、マシューの背中を二度叩くと、その身体越しに少女に話しかける。

「リズ、位置は分かるか?」


 リズは、首を縦に振った。前髪が揺れ、隙間から覗くひたいに烙印が見え隠れする。


「そうか、殺れそうか?」

 班長の言葉は、マシューには理解できない。

 大した武器も持たない小柄な少女に何が出来るというのだ!


 彼は、烙印の意味に気付いていない。


 リズと呼ばれた少女は、不満そうに背中に乗っている荷物を叩いた。


「もちろん、荷物は置いて行け」

 班長は歯を見せ笑う。


「なら、問題無い」

 リズは頷くと外した荷物を、マシューの背中に乗せた。

 彼は、その重さに耐えかねて呻き声をあげている。


「リズ、敵を始末してこい!」

 班長は、彼女の背中を強く押す。


 すぐに、リズという名の少女は、解き放たれた猟犬のように飛び出した。

 銃声が鳴り響く中、コートを風になびかせ、低い姿勢で、獲物を目掛け、駆けていく。


 唖然とし言葉を失った彼は、リズの姿が視界から消えると、目で班長に問い掛けた。


「烙印が見えたか?」

 班長は、マシューの表情を楽しむように眺めている。


 マシューは班長の言葉で、ある噂を思い出した。


 “戦場には血に飢えた悪魔がいる”


 班長は、何かを思い出したかのように、着ている軍服をまさぐりながら、

「あいつが、なぜここにいるか、わかるか?」

 と問いかけた。


「孤児だからか?」

 いや、違う。

 確かに、孤児は戦場に駆り出されるが……


「違う、強いからだ。あれは、ああ見えて、誰よりも強く……」

 リズを猟犬のように放った班長は、それが向かった方向を向き、

「そして、残酷だ。ただそれだけだ。他に理由なんてない。命令があれば、誰でも殺す。帝国の犬だ」

 そう言うと、何処からか煙草を取り出し火をつけた。


「あいつは、命令があれば、きっと誰だって殺すんだ……」

 彼は、煙草の煙を吐き出すと、くしゃっとなった箱から飛び出した一本を、そのままマシューの目の前に持ってきた。


 マシューは、それを断った。


 “戦場には血に飢えた悪魔がいる”


 幼い頃から殺しの訓練を受けた悪魔のひたいには、その証が刻み込まれている。


 もともとは、“戦士の証 ”と呼ばれる、その烙印らくいんを、


 人々は、畏怖と軽蔑の念を込め、


 “戦奴せんど烙印らくいん


 と呼んだ。

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