第11話 (44歳)

 私の父は私が結婚する前に亡くなったが、母は96歳の大往生だった。それはつまり、私の母よりも夫の方が先に亡くなったということだ。


 夫が亡くなり、私が一人暮らしになってから暫くして、私と母は自然と一緒に暮らすようになった。それは私が結婚前に家を出てから実に50年ぶりの母との生活で、そして初めての、女だけでの生活だった。

 母は年齢相応に体が不自由になっていたが、頭はまだしっかりとしていたので、母との生活や会話はとても楽しかった。二人で家にいる時はよく、炬燵に入ってテレビを見ていた。ワイドショーで流れる芸能スクープにああだこうだ言って盛り上がり、映画を見れば思い切り笑って泣いて、クイズ番組や脳トレの番組では二人の力を合わせても散々な結果を出し、ドラマを見ては感想を言い合い続きを予想しあった。私は、母の影響で、時代劇の俳優に随分と詳しくなった。

 ある時、世間で"女子会"という言葉が流行ったとき、母が、私達は毎日女子会してるわよねえ、と言ったので、もうとっくに女子なんて歳じゃないでしょう、と言って笑ったのをよく覚えている。


 二人暮らしを開始してから5年経たないところで、母は心臓を悪くして亡くなったが、その時は夫の時ほど取り乱さずに済んだ。母が亡くなる前から心臓の病気は診断されていて、母の年齢も鑑みて、覚悟をする時間は充分にあった。また、この歳になると親戚で亡くなる者も多く、死というものが身近になり、少しだけ慣れて耐性がついていた。


 母が亡くなり、再度一人暮らしが始まった。子ども達は幾度か、私の一人暮らしを心配してくれたが、まだ体は元気に動いていたので

、心配はないと伝えていた。息子は、「何かあればすぐに言えよ」と言ってくれた。


 人生3度目の一人暮らしを始めて、何年か経った冬の日のことだった。昨日の夜から雪が降り続いており、とても寒い朝だった。

 その日はお昼頃から、息子家族が遊びに来る予定となっていた。なので私は、朝から孫たちが大好きなメニューばかりの昼食を準備していた。


 台所に立ち、火にかけた鍋を見つめていると、玄関前に車が止まる音がした。案の定、それは息子家族の車だったようで、鍵を開けたままにしていた引き戸の開く、ガラガラという音と、孫の、おばあちゃん、来たよ!、という元気な声が聞こえた。顔を玄関の方に向けて、いらっしゃい、と声をかけた。ドタドタとリビングに入ってきた孫は、持っていた荷物を床に撒き散らすと、トイレー!、と宣言しながら、再びドタドタとトイレへと走っていった。息子の「走らない!」という声が孫の背へと投げられて、トイレのドアが勢いよく閉まる音がした。


 リビングへと入ってきた息子に、道路、混んでた?、と聞くと、息子は「んー、そんなに」という適当な返事をして、荷物を床に置いた。

 私は鍋へと視線をやったまま、息子に、お昼、もうすぐ出来るからちょっと待っててね、と告げた。息子は、「……母さん、それより、謝らなきゃいけないことがあるんだ」と言った。息子へと振り向くと、随分と神妙な顔をしていたので、私は、何よ、帰って早々に、と言いながら、火を止めるため、再度鍋の方へと向きなおった。火を止めた瞬間、息子が「母さん、ごめん」と言った。私は、とりあえず座りましょう、と言おうとして、それは叶わなかった。私の後頭部が思い切り殴られたからだ。


 何が起こったか理解できないまま、世界が傾いていく。後ろを振り向こうとする。息子の顔がギリギリ視界に入ったが、視界は急速に暗く、ぼやけていき、表情は分からなかった。


  そういえば あの  言葉


 記憶の奥底で埃を被っていた、占い師のあの言葉を思い出しかけたところで、私の意識は闇へと沈んでいった。

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