3.続 衝撃

「お前は家を出ろ」

 再度俺の頬を叩いた親父は、先程とは逆の耳に顔を近づけそう言った。

「酷い雨で連中も参ってる。用事で出かけるフリをして駅まで行け。できるだけ遠くまで行って、警察に逃げ込むんだ。親の事を聞かれたら、いないと言え」

「なっ…」

「俺は、お前の親父じゃない」

「はっ…?」


 突然の事に、俺の頭はついていかない。親父じゃないとは、どういう意味だ。親父が、ついに俺を捨てるという意味なのか……?

 違う。俺はすぐに打ち消した。俺が捨てられるんじゃない。親父は、俺に親父を捨てろと言っているのだ。

「そんな事」

「いいから黙って行って来い!」

 親父は怒鳴って、俺の鳩尾に一発入れた。完全に無防備な状態での一撃に、息ができなくなる。

 うずくまった俺の耳元で、親父は続ける。

「お前は俺の子じゃない。お前は、俺の……弟だ」


 弟。

 知っているけれど耳馴れない言葉に、俺は全てが止まった気がした。

 呼吸も、時間も。心臓の音だけが、やけに大きく全身に響く。

「俺はいつの間にか親父の保証人にされていた。親父の借金を払うハメになって、ほとんど寝る暇もなく働きに出てる間に、嫁に子どもができた。それがお前だ。俺はお前の親父じゃない。お前は……俺が世界一憎んだ男の息子だ。俺と同じでな」


 ――世界一憎んだ男の息子。

 その言葉は、重石みたいにドスンと俺の心に圧し掛かった。

 息を吸おうとして、苦しくて涙が出る。そうだ、苦しいんだ。鳩尾への一発が効いて……。

 ヒュウヒュウと息を吸って、吐いて…顔が、涙でぐしゃぐしゃになる。何でこんなに苦しいんだ。親父は俺を、憎んでいるのか……? 憎い男の子どもだから、親父は自分の事も俺の事も愛せなかったんじゃないのか。

 親父は、俺を……。


 母親が出て行った時、俺は一度だけ泣いた。

 以来、悲しくてないた事はない。人生において、あれほど悲しい事はもう二度とないのではないかとさえ思っていた。

 でも、違った。今日は、人生で一番悲しい。母親が自分を捨てて出ていった時よりも、さらに大きな力で悲しみが俺を支配しようとする。


「葉蘭!」

 強く名前を呼ばれて、頬を両手でバシリと挟まれた。乱暴だけれど、真っ直ぐに合った瞳が、先ほど生まれた疑念を一瞬にして吹き飛ばす。

 俺は、親父に愛されていないんじゃない。

 ずっと、知っていた。親父は、俺を愛していると。

 だからこそ、俺だって親父を愛せたんだ。


「早く出て行け…。俺は多分、もう長くない。どこが悪いのかは知らないが、自分の寿命が尽きかけてる事ぐらい分かる。散々無茶ばかりやってきたんだから当然だ。だが俺が死んだら、次はお前の番になる。あの野郎、もう何年もお前の事をスケベな目で眺めやがってっ…!」

 親父の指に力がこもり、爪が食い込む。痛いけれど痛くない。俺は親父の両腕に手を伸ばした。

「葉蘭」

「大っ嫌いだ。親父のそういうとこ」

「なっ」

 俺は素早く親父の腕から右手を離し、親父の首筋に手刀を入れた。

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