第40話

 眠りに落ちた老人を抱える。その体は今までの猛烈な戦いぶりからは想像も出来ないほど軽かった。一体どのような力で刀を振るっていたのか、想像もつかない。

 アークは浅く息を吐く。肩口から入った刀が呼吸を阻害していた。それを抜こうと刃を掴む。瞬間。


「ぐっ!?痛み、だとッ!?」


 肉体の損傷を伝える危険信号が、電流の如くアークの脳を焼いた。痛み、戦闘中、それによって行動を阻害されないよう、シャットアウトする感覚。何故かその機能を無視して痛む、痛む。刃が、命に、届く。


「ガッ、ぐぅぅ……!」


 アークは本来戦士では無い。痛みへの慣れはリドルやサイグなどには大きく劣る。自分が大怪我を負っているという状況にオーバーフローを起こした脳が、視界を白熱させる。


「アーク!」


 リドルが間に入り、突き刺さっていた刀を大きく上方に弾く。老人も意識が混濁していたのだろう。本来なら防げるはずのそれを甘んじて受けた。

 アークと老人は互いに大きく距離を取る。アークの傷口からは血と肉がボトボトと音を立てて落ち、老人は刀を杖代わりにして床に突いている。だが老人の方はすぐに頭を振って体勢を立て直し、再び刀を構え直した。それに対してアークは未だ傷口を押さえ、痛みに耐えている。


「傷の治りが、遅い……」


 確かに塞がりつつあるが、普段なら一瞬で治るような傷だ。しかし今は修復が遅々として進まない。筋肉や神経、血管が少しずつ再生しながら元の姿に戻ろうとする感覚が気分を悪くさせる。


「言ったでしょう、アイツの殺意は私達の命に届くかもしれないって。わざと攻撃を受けて長々説明してたら、殺意に侵されておかしくもなるわよ。ねえ、殺人鬼さん」


 『人』も吸血『鬼』も『殺す』者。戦いの中、己の力を自覚したせいで、老人の剣術は更に悪い方向へと進化を遂げた。


「当然。何が人斬りじゃ、人も鬼も竜も神も等しく殺す。殺すことは儂の快楽であり生存理由。何、誰だって何かを殺して生きておる。儂の場合殺す相手がたまたま言葉を喋っておっただけのこと」


「ただ殺意だけで、吸血鬼の命を狩るなど、聞いたことが無い!」


「あん?そりゃ殺し合いしてりゃ聞いたことがないものばっかり目の前に出てくるわい。お互い必死、死に直面すりゃ誰だって死ぬ気で足掻く。大概、予想外のことをしでかすもんじゃよ」


 殆どの人生を他者を殺すことだけに費やしてきた老人。以前戦ったシンキとは、精神的に格が違う。殺し合いの場こそが彼の生きる場所。そこで生き残るためなら、どんなことでもやってのけてしまう。3000年の生は、70年の死に満ちた生に比べて、命の危機というものに疎かった。リドルに命を狙われることでさえ、長い時の中で死への感覚を麻痺させただけに過ぎなかったのだ。


「ねえアーク、アイツを殺しても良いかしら」


 アークが自信の油断と慢心に苦い顔をしているのを全く意に介さず、リドルはそう言い放った。自警団からは、あくまで確保するだけで殺せとは言われていない。沙汰を下すのは彼らの仕事ではないからだ。


「加減が出来ない相手ということか」


 痛みを忘れてアークが問う。静かにリドルは頷く。その両手には剣が握られていた。いつものような量産品めいたものではなく、一目見るだけで名剣とわかる逸品。殺意あいじょうを込めた、究極の一対。


「正直これでも相性が悪いわ、加減して倒せるとは思えない」


「……自警団の連中との約束は違えることになるが、他に手も無い。やれ」


 その言葉が終わると同時に、黒い影が夜の闇の中を駆け抜けていった。

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