第39話

 「悪いけど、あなたの相手は私よ」


 一切の気配を消して、一切の予備動作を廃して、狂った女英雄の刃が老人に迫る。正面戦闘も無論こなすリドルだが、アークを殺そうと日々を過ごすうちに、得意技は暗殺者めいた不意打ちになりつつあった。

 渾身の初撃。どんな達人でさえ回避も防御も間に合わないはずの一撃。それを老人は、苦も無く受け止めてみせた。


「……」


 リドルが怪訝そうな表情を作り、後ろに跳躍する。老人はそれを妨げることはしなかった。

 無言のままリドルは空中に5本の剣を創りだした。粗製濫造するならほぼ無制限に剣を創ることが出来るが、出来にこだわれば一度に創れる数はぐっと減る。しかしこの5本は確かな名剣だ。それを恐るべき速度で射出する。刃というより弾丸と表現するべきそれを、やはり老人は何の苦労もせずに撃ち落とした。

 しかし今度はそれだけでは終わらない。5本の剣は自分の意志を持っているかのように再び浮遊し、老人に襲いかかる。


「ほう……珍しい魔術じゃなあ、人を殺すのに派手な炎も強力な水流もいらぬ、ただ刃だけがあれば良い、そういった思想が感じられる。儂と気が合いそうじゃの、お嬢ちゃん」


「……私もアナタにお嬢ちゃんなんて呼ばれるような歳じゃないわ」


 軽口を叩きながら、剣を叩き落とす。老人は踊る剣の対応にしばらく追われていたが、剣の柄頭、輪になっているその部分から伸びる糸が月光を反射し輝いたのを見て、一度剣を回避し、アークが操っていたその糸を断った。


「ちっ」


 指先から剣の重さがなくなったことを感じ、アークは舌打ちする。そして傍らのリドルに話しかけた。


「あの老人の剣、何かがおかしいぞ」


「わかってるわ、受け方が普通じゃない。刃があの男の間合いに入った瞬間、存在することを拒絶されるというか……」


「そのあたりの感覚は私にはわからんから無理に言葉にしなくて良い。私の勘違いでなかったということがわかっただけで十分だ。それで、攻略出来そうか」


「さあね。ただ、あの男の剣に込められた殺意は異常よ、下手をすれば、私やアナタをその殺意だけで殺せるかもしれない」


「ただの人間が、そこまで至るか……」


 警戒を強める。老人は動いていない。正眼の構え。もっとも基本的なその姿勢のまま、二人を見つめているだけ。攻めようとしていなければ逃げようともしていない。アークとリドルの実力を測りかねているのか、と思えばそうではない。数多の人間を斬ってきた老人の不気味な雰囲気が、周囲を支配している。


「睦言は終わったか?」


 老人の声は闇の中、否、頭の中に直接響いたかのように聞こえた。一瞬二人の思考が止まる。その隙を突いた老人の斬撃を受け切れたのは、リドルが運に恵まれたからだとしか思えなかった。


「くっ!」


「カカ、不意打ち返しじゃ。ほれ、脇がお留守じゃぞ」


 刀が翻り、地面に対して水平な弧を描く。その軌跡を瞳に捉える頃には、リドルの脇腹は裂け、鮮血が白い月を汚すかのように吹き上がった。


「カハッ」


 傷は即座に修復される。だがリドルは治癒力が尋常のものではないというだけで、痛みを感じないわけではない。脳に送られたアラートが、更に肉体の動きを妨げていく。


「リドルッ!」


 アークが騎士型の人形を操り、リドルと老人の間に割り込ませる。ほんの一瞬で砕かれるが、その一瞬があればリドルが間合いから離れるには十分……のはずだった。


「だめ、逃げられないわ!」


 剣と刀がぶつかり合う音が鳴る。それはリドルが老人の間合いから離脱出来ていないことを意味する。違和感。アークが放った人形は確かに破壊されている。だがそれを破壊する手間をかける間に、リドルは後方に退避出来るはずだった。それなのに未だリドルは老人の剣を受けている。何故、とアークが考える間にも、リドルの体には傷が増え、そして減っていく。痛みに悶える女の悲痛な声が、殺人鬼の笑みを深めていく。


「くそっ!」


 異様な光景は、アークを普段では考えられない行動に走らせた。人形ではなく自分自身が老人とリドルの間に割り込む。


「何ィッ!?」


 老人の動揺。刃はアークの肩口から胸の中心までを切り裂いていたが、吸血鬼に肉体の損傷具合は関係無い。


「ほう、なるほどな。咄嗟の行動だったがカラクリが分かったぞ。貴様は『人斬り』だ。それ故に、歪められた生命であっても『人』の英雄であるリドルを、『刀で斬る』という過程を飛ばして『斬った』という結果に行き着かせる。『人』型の『人』形を斬ることも容易いだろう。貴様の剣は最早『人』という概念を斬る程の高見に登っている。リドルという『人』が創った剣にさえその技能は適応される。そして私が使った『糸』はそもそも、斬撃という概念に弱い。ある程度その刀というものに習熟した者なら斬ることは出来るだろう。だが、『吸血鬼』そのものを斬るには、まだ経験が足りなかったようだな」


 『人』という概念を斬る剣術。一人の人間が一生で達する境地としては破格だ。この男は確かに『人斬り』だったが、『ヴァンパイアハンター』では無かった。


「人しか斬ってこなかったのならば、気付かないのも道理だ。お前の一生分の研鑽、中々面白かったぞ」


 相手の手の内を暴き、余裕の笑みでそれを呑み込む。アークの語りは強力な暗示となって老人の意識を蝕み、深い眠りに落とした。

 街に、また静寂が戻る。

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